じじぃの「人の死にざま_897_クフ王」

クフ王 - あのひと検索 SPYSEE
http://spysee.jp/%E3%82%AF%E3%83%95%E7%8E%8B/1233839/
The Great Pyramids 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=ycUbkjfW1Xc&feature=related
Elaine Whales and the Mummy of King Khufu (Trailer) 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=V9uitvf6TuU
クフ ウィキペディアWikipedia)より
クフ(Khufu; 紀元前26世紀、在位紀元前2589年 - 紀元前2566年)は古代エジプト古王国時代のファラオでカフラーの父。「クフ」と言う名は「クヌム神に護られしもの」を意味する「クヌム・クフ・ウイ」(khnum - khufwy)を簡略化したものとされ、ギリシア語ではケオプス(Cheops)と称される。ギザの三大ピラミッドのうち最大の大きさを誇る、いわゆるクフ王のピラミッドを造営したことで知られる。
ヘロドトスの『歴史』によれば、国民の苦しみも顧みずに大規模な土木事業を繰り返した暴君とされるが、実際には、この事業がしばしばおこったナイル川の氾濫で一時的に職を失った農民のための失業対策であったとされる。しかし、この大事業が代々繰り返されたことで、国力は弱体化し、古王国時代は終焉を迎えることとなった。
クフ王の船 ウィキペディアWikipedia)より
クフ王の船(通称「太陽の船」)とは、1954年および1987年にギザの大ピラミッドの付近で発見された2隻の船である。クフ王の船は紀元前2500年頃、古代エジプト古王国時代第4王朝のファラオであったクフのために造られたとされている。
クフ王第一の船は全長42.32m、全幅5.66mもの大きさで、古代の、最も古く、大きく、保存状態の良い船の1つである。主に杉板で作られていた。
クフ王第二の船】
1987年には第一の船が発見された竪坑の西隣から早稲田大学エジプト学研究所が電磁波レーダーを用いた地中探査を行い木材反応を確認、翌1988年アメリカ隊が石坑内部を小型機器で視認、もう1隻の別の船体が発見された。こちらは『クフ王第二の船』と呼ばれ、発掘・保存・復原はエジプト考古庁と早稲田大学エジプト学研究所が共同で行うこととなり、2011年6月23日より約5年間の予定で発掘が進められている。2012年2月20日より埋蔵現場から木製部材の採取を開始しており、600以上の木片を回収し木造船を復元する予定。

                                              • -

『人類の歴史200万年』 READERS DIGEST 1980年発行
太陽への階段 (一部抜粋しています)
ピラミッドの形状にどんな意味があったのかは明らかでない。階段ピラミッドは、王が太陽へ登る階段を表し、のちの正四面体ピラミッドは、王が登っていった太陽の光線を表しているとも思われる。現世では、王は天の神ホルスの化身であり、来世では太陽神ラーと合体して、聖なる船で空を渡るとされていた。
古代のいかなる記念物も、ギザの三大ピラミッドの創造力には及ばない。このBC26世紀の巨大な3つの石塚には、父と子と孫が埋葬されている。最古にして最大の大ピラミッドはクフ王が建てた。この王はピラミッドの中心に位置する花崗岩製の玄室に葬られた。大ピラミッドの敷地面積は5万m2を越え、800万tに近い石材を使い、高さは150mに及ぶ。しかも北面の地上17mのところに、唯一の入口があるのみである。四面は、ほぼ正確に東西南北を向いている。当初表面は最上質の石灰岩でおおわれていたが、それは今日ほとんど失われた。ギザの第2ピラミッドはクフの子カフラーが建てた。大ピラミッドに比べ、大きさではわずかに劣るが、ある点ではより重要な意味を持っている。第2ピラミッドには、ピラミッドに付属する建物がそっくり残存しているからだ。
     ・
ギザの第3ピラミッドはカフラーの子メンカウラーが建てたが、面積は祖父の大ピラミッドの半分にも及んでいない。

                                              • -

『目からウロコの世界史』 島崎晋 著  PHP文庫 2006年発行
エジプト文明 神の化身ファラオが統べた文明 (一部抜粋しています)
「エジプトはナイルの賜物」といわれるように、メソポタミアについで早く開花したエジプト文明ナイル川流域に栄えた。
紀元前3000年頃になされた最初のエジプト統一から、前30年に滅ぶプトレマイオス王超まで31の王朝を数えるが、そのなかでエジプト文明がひときわ輝いていたのは、古王国(第3〜第6王朝)、中王国(第11〜第12王朝)、新王国(第18〜第20王朝)の各時代である。いまでも観光でエジプトをおとずれると、各時代の栄華の跡を実際に目にすることができる。古王国の遺跡では大ピラミッド、大スフィンクス新王国時代のものではアブシンベル神殿、王家の他に、ハトシュプスト女王葬祭殿などが代表的といえる。なかでもひときわ目をひくのがカイロからすぐ西のギザにそびえる三大ピラミッドである。
のちにナポレオンがエジプト遠征をしたおり、
「兵士たちよ、4000年の歴史が諸君を見おろしている」
と激励のセリフを吐いたことはよく知られているが、まさに三大ピラミッドの前に立つと、見おろされているということが実感できる。一番大きいクフ王(在位前2553〜前2530年頃)のピラミッドが底辺230メートル、高さ146.5メートル。次に大きいカフラー王(在位前2521〜前2495年頃)が底辺215メートル、高さ143.5メートル。一番小さなメンカウラー王(在位前2488〜前2470年頃)のものでも底辺108.5メートル、高さ66.5メートルもある。
ピラミッドは王=ファラオの墓として(いまだピラミッドからファラオのミイラが発見された例がないという問題はあるが)、もしくは葬祭殿として建造されたと考えられている。建造方法についてはヘロドトスが詳細な記録を残しているが、ではなぜ、かくも巨大にする必要があったのか。ギザのピラミッドを例にとると、毎年10万人ずつ働いて本体の建造に20年を費やしたと推定されているが、人びとはなにゆえ、かような労働に耐えられたのか。

                                              • -

クフ王 Google 検索
http://www.google.co.jp/images?q=%E3%82%AF%E3%83%95%E7%8E%8B&hl=ja&rlz=1T4GZAZ_jaJP276JP276&gs_upl=0l0l0l31lllllllllll0&gs_l=serp.3..0l10.49967.50918.0.52135.3.3.0.0.0.0.109.296.2j1.3.0...0.0.Pg7G5vsDIEo&sa=X&oi=image_result_group