じじぃの「人の死にざま_1425_ヘロドトス」

The history of ancient Greece 動画 Youtube
http://www.youtube.com/watch?v=E-Mgb1mav_U
Helen of Troy 動画 Youtube
http://www.youtube.com/watch?v=9x7n0ELVKHI
ヘロドトス ウィキペディアWikipedia)より
ヘロドトス(羅:Herodotus、紀元前485年頃 - 紀元前420年頃)は、古代ギリシアの歴史家で、今日まとまった形で伝承された最初の歴史書『歴史』により「歴史の父」とも呼ばれる。
【業績】
ドーリアギリシア人であり、小アジアのハリカルナッソス(現ボドルム)に生まれた。
ヘロドトスペルシア戦争後、諸国を遍歴して『歴史』(全9巻)を著した。『歴史』の記述はギリシアはもちろんペルシア、リュディア、エジプトといった古代オリエント世界の歴史、地理まで及ぶ。ヘロドトスが自分で実際に見聞きしたことが集められており、一見渾然としてはいるが、それらがギリシアによるペルシア戦争勝利へのストーリーの中に巧みに配置されており、読み物として面白くまた分かり易く書いてある。しかし、伝聞のためか疑わしい話も少なからず盛り込まれており、そのために『歴史』の信憑性が疑われることもあり、研究としての歴史はトゥキュディデスから始まったとみなす説もある。
ヘロドトスギリシアの神々の意志や神託の結果を尊重し、ギリシア人の立場から『歴史』を物語的叙述で著したが、この点は後に現れるアテナイの歴史家トゥキュディデスが著した実証的な『戦史』と対比的に捉えられている。
『歴史』はヨーロッパで最も古い歴史書の一つであり、後世まで読みつがれたほか、中世ビザンティン時代のギリシア人達もヘロドトスに倣った形式で歴史書を書いた。現在でも古代ギリシア古代オリエント古代エジプトの歴史研究の上で欠かせない書物の一つとなっている。
なお、「エジプトはナイルの賜物」と言う言葉はヘロドトスが『歴史』(巻二、五)に書いているが元はヘカタイオスの言葉である(この「エジプト」はナイルデルタを指しており、デルタがナイル川の運ぶ泥が滞積したものであることは当時から知られていた)

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『目からウロコの世界史』 島崎晋 著  PHP文庫 2006年発行
エジプト文明 神の化身ファラオが統べた文明 (一部抜粋しています)
「エジプトはナイルの賜物」といわれるように、メソポタミアについで早く開花したエジプト文明ナイル川流域に栄えた。
紀元前3000年頃になされた最初のエジプト統一から、前30年に滅ぶプトレマイオス王超まで31の王朝を数えるが、そのなかでエジプト文明がひときわ輝いていたのは、古王国(第3〜第6王朝)、中王国(第11〜第12王朝)、新王国(第18〜第20王朝)の各時代である。      ・
ピラミッドは王=ファラオの墓として(いまだピラミッドからファラオのミイラが発見された例がないという問題はあるが)、もしくは葬祭殿として建造されたと考えられている。建造方法についてはヘロドトスが詳細な記録を残しているが、ではなぜ、かくも巨大にする必要があったのか。ギザのピラミッドを例にとると、毎年10万人ずつ働いて本体の建造に20年を費やしたと推定されているが、人びとはなにゆえ、かような労働に耐えられたのか。

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『マンガ ギリシア神話〈7〉 トロイの木馬 里中満智子/著 中央公論新社 2000年発行
解説 戦争・女性・神話 名古屋経済大学助教授 西村賀子 (一部抜粋しています)
史実としてのトロイア戦争についての言及は以上にとどめ、次に、神話レベルでこの戦争がどのように扱われたかを女性との関連から考えてみましょう。戦争が社会全体を巻き込むものである以上、戦争には両性の参加が前提とされます。しかし戦場は男性の領域であるため、伝説上でも女性と戦争のかかわりはおもに戦闘の前後に限定されます。というのは、伝説を具体的に表現する文学作品や図像のなかで女性が登場するのは、戦場に兵士を送り出す場面と帰還した戦士を迎える場面がほとんどだからです。そしてそういった場面で女性は補助的ではあるものの重要な役割を演じます。
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一般に戦争の理由は、物質的ないしは経済的要因に求められるのが現代では普通です。しかし神話的説明では、地上に増えすぎた人口を減らすというゼウスの意図が最初に置かれます。神の意図はペレウステティスの婚礼の祝宴に投げこまれた黄金の林檎(りんご)とパリスの審判という過程を経て実現されていきます。そしてトロイア戦争の直接的な原因はスパルタ王妃ヘレネトロイア王子パリスの駆け落ちであると、伝説は語ります。
神話や伝説はもちろん架空の物語です。しかし伝説がいくら虚構であるとはいえ、たった1人の女性を取り戻すためにギリシャ全土からすべての英雄を呼び、あらん限りの船と兵を集め、敵の陥落まで10年もの長きにわたって戦戈(せんか)を交えるというのは、誰がどう考えてもおかしな話ではありませんか。このような理由が説得的ではないと感じるのは、なにも現代人だけではありません。ホメロスよりもおよそ300年ほど後の歴史家ヘロドトスも、「女が掠奪されたことに対して本気になって報復しようなどというのは、愚か者のすることであり、奪われた女のことなどは全く顧みないのが賢明な態度である」というペルシャ人の主張を紹介しつつ、ヘレネ奪回を目的とした遠征の不合理性を批判しています。(松平千秋訳『歴史』第1巻第4節、岩波文庫)。
ヘロドトスは神話がまだ生きていた時代の人物ですが、そのとうな人物にとってすら、伝説上の開戦理由はどこか不自然だったのです。それにもかかわらず、女を奪回」するための戦争の物語がギリシャ世界に深く広く浸透し、多くの芸術作品の源泉となったのはなぜでしょうか。
「戦争を生み出す暴力と支配の論理が、一方の性の抑圧と排除、つまり男性による女性の抑圧と排除によって維持されている」(若桑みどり『戦争がつくる女性像』、ちくま学芸文庫)と考えるなら、この謎を解く鍵は家父長制に求められます。男性による女性の抑圧と排除とは、家父長制の支配形態であり、古代ギリシャは家父長制の社会であったからです。
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以上のような家父長制の概念を念頭においてトロイア伝説を読むと、はっきりと見えてくるものがいくつかあります。たとえば、本書第2章でも触れられているように、パリスはスパルタ王の妻だけではなく彼の財宝も奪い去りました。けれども伝説が財宝についてはあまり語らず、ヘレネばかりを強調するのは、一体どうしてなのでしょうか。また、ヘレネは意に反してトロイアに連れ去られたと語られることもあれば、逆に自分から進んでパリスに従ったと語られることもあるのですが、彼女の行動はなぜこのように曖昧に語られるのでしょうか。
ヘレネの動機の曖昧さには両義的な意味があります。しかも、それはどちらに解釈しても家父長制の目的にかなうものとなっています。というのはまず、絶世の美女との結婚をアプロディテに約束されたパリスがヘレネを掠奪したとするならば、ギリシャ側には戦争を合理化するに足る倫理性が賦与されます。人妻の略奪は、一夫一婦制という家父長制的結婚制度を根幹から揺るがす重大な違反行為だからです。社会秩序の侵犯を懲罰するという道徳的な口実によって、トロイア遠征は聖戦と化します。たんに財産を取り返すためだけでは、このような合理性は成立しません。
次に、アプロディテ女神の関与でパリスに恋したヘレネが自らの意志で出奔(しゅっぽん)したとすれば、女は淫乱だという家父長制的偏見を示す好例となるとともに、女性のセクシュアリティの管理がうまくいかなければいかに恐ろしい事態になるかを示す見本ともなります。つまりヘレネが積極的な役割を演じたとすれば、この伝説は、奔放な女の身勝手な行動のせいで幾多の英雄や戦士が命を落としたというメッセージを含むことになるのです。
このメッセージは、女性は使徒不幸をもたらす災いであるという女性嫌悪思想のバリエーションにほかなりません。家父長制的女性観の典型である女性嫌悪思想をもっとも顕著に表明しているのは、第1巻第6章に収録されているパンドラ神話です。人間を罰するためにゼウスが創造した人類最初の女性パンドラは「美しい災い」と呼ばれました。(ヘシオドス『神統記』585行)