じじぃの「古代世界の7不思議・アレクサンドリアのファロス灯台は実在したか?謎解き世界史」

Lighthouse of Alexandria 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=bztCJHCfaXs
Alexandria underwater: the (so called) Lighthouse 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=8kzVuQ9p_bM
古代アレクサンドリア天文学 PART1/7 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=4ZlvfOpQ7qM
古代アレクサンドリア天文学 PART2/7 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=qWw08kUvreM&feature=relmfu
underwater alexandria Google 検索
http://www.google.co.jp/images?hl=ja&rlz=1T4GZAZ_jaJP276JP276&gs_l=hp...41.0.0.3.4598...........0.Ff_w5bAeZ30&sa=X&oi=image_result_group&q=underwater%20alexandria&tbm=isch
海底遺跡 ウィキペディアWikipedia)より
一般には、地上で造られた都市や構造物が海面の上昇や地震による地殻変動などの理由で海底に沈んで遺跡となったものを指す。また、海底にある沈没船なども海底遺跡として扱われることがある。代表的な海底遺跡は、ジャマイカのポート・ロイヤルやエジプトのアレクサンドリアのものである。
アレクサンドリアの大灯台 ウィキペディアWikipedia)より
アレクサンドリアの大灯台(Lighthouse of Alexandria)は、紀元前3世紀頃にエジプトのアレクサンドリア湾岸のファロス島に建造された灯台アレクサンドリアのファロス、あるいはファロス島の大灯台とも呼ばれる。
ファロス島は、アドリア海に同名の島(現在のフヴァル島)があるが、それとは別で、アレクサンドリア港の一方の端に人工の埋め立てにより出来上がった半島の突端にあった小さな島である。世界の七不思議のひとつ。ただし、ビザンチウムフィロンの選出した七不思議には含まれていない。14世紀の二度の地震によって全壊したが、七不思議の中ではギザの大ピラミッドに次ぐ長命な建造物だった。
【顛末】
796年の地震で大灯台は半壊し、その後の1303年と1323年の地震で完全に崩壊した。14世紀の旅行家イブン・バットゥータは、崩壊のために中に入ることもできないと記している。1480年頃、跡地に灯台の残骸を利用してカーイト・ベイの要塞が建造され、大灯台は完全に消滅した。しかし、アレクサンドリアの大灯台は、七不思議の中では現在残るギザの大ピラミッドに次いで存続した建造物である。
1994年にダイバーによって遺構が発見され、衛星調査によってさらに詳細の解明が進んだ。
アレクサンドリア図書館 ウィキペディアWikipedia)より
アレクサンドリア図書館は、紀元前300年頃、プトレマイオス朝のファラオ、プトレマイオス1世によってエジプトのアレクサンドリアに建てられた図書館。
世界中の文献を収集することを目的として建設され、古代最大にして最高の図書館とも、最古の学術の殿堂とも言われている。図書館には多くの思想家や作家の著作、学術書を所蔵した。綴じ本が一般的でなかった当時、所蔵文献はパピルスの巻物であり、蔵書は巻子本にしておよそ70万巻にものぼったとされる。アルキメデスやエウクレイデスら世界各地から優秀な学者が集まった一大学術機関としても知られる。薬草園が併設されていた。

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『数学物語』 矢野健太郎/著 角川ソフィア文庫 1961年発行
ユークリッド (一部抜粋しています)
ユークリッドは紀元前330年に、シリアのかたいなかに生まれました。ユークリッドのおとうさんは、ユークリッドの勉強のことをひじょうに心配して、
「こんなかたいなかにいたのでは、何一つ思うように勉強できないから、首府のアゼンスへ行って勉強しなさい」
といって、ユークリッドをアゼンスへ遊学させたのでした。この恩に感じたユークリッドは、アゼンスの町で、プラトンのながれをくむ哲学者や数学者について長い勉強を続けました。そしてたんだんとユークリッドの名はギリシャの国に広がっていきました。
そのころ、みなさんもごぞんじのあのアレクサンダー大王の後継者トレミー1世は、アレクサンドリアの町にアレクサンドリア大学をはじめ、大図書館、動物園、植物園、実験所などを建てて、文化の発達につくし、アレクサンドリア大学校へは、当時の大学者を残らず集めて教育に努力していました。ユークリッドもこの大学校へ招かれて講義をした大学者の一人でありました。

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『謎解き世界史 ふしぎ伝説の真相に迫る!』 歴史の謎を探る会/編集 KAWADE夢文庫 2010年発行
見つかった古代の石在は「ファロのス灯台」のものか… (一部抜粋しています)
紀元前2世紀、ビサンティウム(現在のイスタンブール)のフィロンという哲学者が『世界の7つの景観』という本を書いた。そこで紹介されている7つは、のちに「世界の7不思議」として語り継がれることになる、「エジプトのピラミッド」「バビロンの空中庭園」「オリンピアのゼウス像」「エフェソスのアルテミス神殿」「ハリカルナッソスのマウソロス墓廟」「ロードス島の巨像」「アレクサンドリアのファロスの灯台」である。
これらのうち、現存しているのはエジプトのピラミッドのみ。ほかの6つは現存していないため、その正体については謎に包まれている。ピラミッド以外は伝説といってよいだろう。
ところが近年、その伝説のひとつとなっていたファロスの灯台が歴史の闇から目を覚ましたのである。
そもそもファロスの灯台とは、クレオパトラでおなじみの古代エジプト最後の王朝、プトレマイオス朝の首都アレクサンドリアにそびえていたといわれる灯台だ。建造されたのは紀元前280年頃で、7世紀頃まで使われていたとされる。
130メートルもの高さがあり、その光は56キロメートル先まで届いたと伝わる。なぜそんなに遠くまで光を届けることができたのかというと、反射鏡がブロンズでできていたからだ。ブロンズは青緑色と思われるが、これはカビの色である。古代のブロンズはもともと黄金色か白銀色でピカピカに光っていた。
しかし、この灯台は2度の地震によって倒壊してしまったと伝えられている。現在は灯台があったとされる場所に15世紀頃につくられたカイト・ベイの要塞が残っているにすぎない。
世界の7不思議に数えられた伝説のファロのス灯台は、本当に存在していたのか。どんな建造物だったのか――。残された記録がほとんどないため、これまでは答えが得られることはなかった。
しかし、1995年に画期的な出来事があった。灯台の実在を証明する遺物が発見されたのだ。
きっかけは、その前年の94年にカイト・ベイ要塞付近に防波堤を築く工事を行ったさい、作業員が海底に古代の石材らしきものをみつけたことだった。これを受けて95年9月に調査が開始されると、海底から次々に遺物が発見された。

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どうでもいい、じじぃの日記。
ぼけっと、『謎解き世界史 ふしぎ伝説の真相に迫る!』という本をめくっていたら「見つかった古代の石在は『ファロス灯台』のものか…」というのが出てきた。
かってアレクサンダー大王が建設したとされる古代都市アレクサンドリアは、地中海の中継貿易の要として発展し世界最大の貿易港だった。そして港には130メートルもの高さの灯台がそびえ、沖合50キロ以上も光を照らしていた。
矢野健太郎著 『数学物語』という本にユークリッド(エウクレイデス)が生きていた時代のエジプト・アレクサンドリアのことが書かれている。
アレクサンドリアの町にアレクサンドリア大学をはじめ、大図書館、動物園、植物園、実験所などを建てて、文化の発達につくし、アレクサンドリア大学校へは、当時の大学者を残らず集めて教育に努力していました」
アレクサンドリアの大図書館は当時世界最大の図書館で、蔵書はおよそ70万巻にものぼったといわれる。そして、クレオパトラの宮殿もアレクサンドリアにあった。アレクサンドリア大学校ではユークリッドアルキメデスプトレマイオスらが教壇に立って教えていた。
それがいく度かの地震によって、これらアレクサンドリアの街の建築物はすべて崩壊し、水没してしまったのである。ファロス大灯台の方は、8世紀後半に起きた大地震によって倒壊した。
あたかも、去年起きた東日本大震災(3.11)を連想させる。
ピラミッドの建造方法など、今でも謎とされているが、この大図書館の蔵書の中にその建造方法が書かれていたのかもしれない。