じじぃの「人の死にざま_1013_ユークリッド」

エウクレイデス - あのひと検索 SPYSEE
http://spysee.jp/%E3%82%A8%E3%82%A6%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%87%E3%82%B9/965/
Greek Mathematics (Part 1) 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=UPlqJaUi5jE
Euclid as the Father of Geometry 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=WqzK3UAXaHs&feature=related
Euclidean geometry  Google 検索
http://www.google.co.jp/images?hl=ja&rlz=1T4GZAZ_jaJP276JP276&q=Euclidean+geometry&gs_l=hp...0j0i30l4.0.0.2.84578...........0.vEP-kvppxx4&sa=X&oi=image_result_group
エウクレイデス ウィキペディアWikipedia)より
アレクサンドリアのエウクレイデス(英語: Euclid(ユークリッド)、紀元前3世紀? - )は、古代ギリシアの数学者、天文学者とされる。数学史上最も重要な著作の1つ『原論』(ユークリッド原論)の著者であり、「幾何学の父」と称される。プトレマイオス1世治世下(紀元前323年-283年)のアレクサンドリアで活動した。『原論』は19世紀末から20世紀初頭まで数学(特に幾何学)の教科書として使われ続けた。線の定義について、「線は幅のない長さである」、「線の端は点である」など述べられている。基本的にその中で今日ユークリッド幾何学と呼ばれている体系が少数の公理系から構築されている。エウクレイデスは他に光学、透視図法、円錐曲線論、球面天文学、誤謬推理論、図形分割論、天秤などについても著述を残したとされている。
なお、エウクレイデスという名はギリシア語で「よき栄光」を意味する。その実在を疑う説もあり、その説によると『原論』は複数人の共著であり、エウクレイデスは共同筆名とされる。
確実なのは彼が古代の卓越した数学者で、アレクサンドリアで数学を教えていたこと、またそこで数学の一派をなしたことである。ユークリッド幾何学の祖で、原論では平面・立体幾何学整数論無理数論などの当時の数学が公理的方法によって組み立てられているが、これは古代ギリシア数学の一つの成果として受け止められている。
ユークリッド幾何学 ウィキペディアWikipedia)より
ユークリッド幾何学ユークリッドきかがく、英語:Euclidean geometry)は、幾何学体系の一つであり、古代エジプトギリシア系哲学者エウクレイデスの著書『原論』に由来する。
古代エジプト古代ギリシャなどでは盛んに幾何学が研究されていた。 エウクレイデスはその成果を『原論』の1〜4巻において体系化した。その手法は
まず、点や線などの基礎的な概念に対する定義を与える
次に、一連の公理を述べ、公理系を確立する
そして、それらの上に500あまりの定理を証明する。
という現代数学に近い形式をとっており、完成されたものであったので、それ以降の多くの幾何学者はこの体系の上に研究を進めた。ヨーロッパでは重要な教養の一つと考えられていたものである
アレクサンドリア図書館 ウィキペディアWikipedia)より
アレクサンドリア図書館は、紀元前300年頃、プトレマイオス朝のファラオ、プトレマイオス1世によってエジプトのアレクサンドリアに建てられた図書館。
世界中の文献を収集することを目的として建設され、古代最大にして最高の図書館とも、最古の学術の殿堂とも言われている。図書館には多くの思想家や作家の著作、学術書を所蔵した。綴じ本が一般的でなかった当時、所蔵文献はパピルスの巻物であり、蔵書は巻子本にしておよそ70万巻にものぼったとされる。アルキメデスやエウクレイデスら世界各地から優秀な学者が集まった一大学術機関としても知られる。薬草園が併設されていた。

                        • -

『数学物語』 矢野健太郎/著 角川ソフィア文庫 1961年発行
ユークリッド (一部抜粋しています)
ユークリッドは紀元前330年に、シリアのかたいなかに生まれました。ユークリッドのおとうさんは、ユークリッドの勉強のことをひじょうに心配して、
「こんなかたいなかにいたのでは、何一つ思うように勉強できないから、首府のアゼンスへ行って勉強しなさい」
といって、ユークリッドをアゼンスへ遊学させたのでした。この恩に感じたユークリッドは、アゼンスの町で、プラトンのながれをくむ哲学者や数学者について長い勉強を続けました。そしてたんだんとユークリッドの名はギリシャの国に広がっていきました。
そのころ、みなさんもごぞんじのあのアレクサンダー大王の後継者トレミー1世は、アレクサンドリアの町にアレクサンドリア大学をはじめ、大図書館、動物園、植物園、実験所などを建てて、文化の発達につくし、アレクサンドリア大学校へは、当時の大学者を残らず集めて教育に努力していました。ユークリッドもこの大学校へ招かれて講義をした大学者の一人でありました。
ユークリッドがのちのちの人々のために残して功績といえば、それはユークリッドが心血をそそいで完成した幾何学の教科書「エレメント」です。これはユークリッドアレクサンドリア大学校で講義するときに使った教科書ですが、それから2000年以上たった今日なお教科書として使われているくらいですから、どんなにりっぱな本であるかが想像されましょう。この本を書いている私も中学校で幾何学を習いましたが、そのときに使った教科書も7、8分どおりまではユークリッドの書いた「エレメント」そのままでありました。
「世界で一番多く読まれた本は、第1に聖書、第2にユークリッドの『エレメント』である」といった人もあるくらいです。
この「エレメント」の内容は、いまではみなさんが中学校で習うくらいですが、昔の人々にはなかなかむずかしかったとみえます。その例としてこんな話が残っています。
ある青年が、ユークリッドについて幾何学を習いはじめました。ところがしばらくしてこの青年はユークリッドに聞きました。
「先生こんなむずかしいことを勉強してなんの得があるのですか」
と。これを聞いたユークリッドは、さっそく下男を呼んでいいつけました。
「この人に3ペンスおやり、この人は、学問をしたらすぐ得をしなければならないと思っているようだから」
と。
またある日アレクサンドリア大学校でユークリッドがへいぜいのとおり熱心に「エレメント」の講義をしていますと、これも熱心に講義を聞いていたトレミー1世が、
ユークリッドよ! どうも幾何学という学問はむずかしい学問だ。なんとかしてもう少しらくにこれを勉強する方法はないものかな」
と、さすがのトレミー1世も弱音をはいてしまいました。これを聞いたユークリッドは、顔色一つかえないで、王様に向かって、
「王よ! 幾何学に王道はありませんぞ」
と答えたそうです。つまり苦心に苦心を重ねなければ、たとえ王様でも幾何学を理解することはできない、という意味です。これにはさすがのトレミー1世も一本まいってしまいました。

                        • -

Euclid Google 検索
http://www.google.co.jp/images?hl=ja&rlz=1T4GZAZ_jaJP276JP276&q=Euclid&gs_l=hp...0l5.0.0.1.90470...........0.8DaYjD1TPwo&sa=X&oi=image_result_group