じじぃの「科学夜話・時空・弦理論・座標はいくつあるのか?すごい数学」

String Theory Explained - What is The True Nature of Reality?

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=Da-2h2B4faU

Superstring theory, illustration


『世界を支えるすごい数学――CGから気候変動まで』

イアン・スチュアート/著、水谷淳/訳 河出書房新社 2022年発行

3章 ハトにバスを運転させよう より

次元とは

曲線の概念のおおもとをたどっていくと、初期人類が砂か泥の上に木の棒の先端を滑らせると跡が残るのに気づいたことにさかのぼるだろう。それが現在のような形になりはじめたのは、古代ギリシャで論理的な幾何学の方法論が生まれ、エウクレイデスが点は位置しか持たず、線は太さを持たないと言い切ったときのことであり。曲線とは必ずしもまっすぐではない線のことで、そのもっとも単純な例が円や円弧である。ギリシャ人は先述の楕円や円積曲線やサイクロイドなど、さまざまな種類の曲線を考え出してその性質を調べた。具体的な例だけを論じて、一般的な性質は「自明である」としていた。
微積分が誕生すると、曲線の2つの性質が問題になってきた。1つは連続性、切れ目がないことを指す。もう1つは、滑らかさというもっと微妙な性質。尖った角(かど)のない曲背は滑らかであると表現する。積分は連続曲線、微分は滑らかな曲線でももっとも威力を発揮する(話の腰を折らないようかなりいい加減な表現を使っているが、フェイクニュースよりは真実に近いはずだ)。もちろんそんなに単純な話ではなく、”切れ目”や”角”を正確に定義しなければならない。さらに難しいことに、どんなふうに定義するにしても数学の研究にふさわしいものでなければならないし、数学の用語で表現しなければならない。使いようがないとどうしようもないのだ。数学科の学部生でも初めてその詳細に触れると戸惑ってしまうくらいなので、ここでは説明しないことにしよう。
2つめの重要な概念が次元である。空間は3次元、面は2次元、線は1次元であると誰もが教わる。そのときには、まず”次元”という言葉を定義してから、空間や面には次元がいくつあるかを数えるという方法は取らない。少し違った方法を取る。空間が3次元なのは、任意の点の位置をちょうど3つの数で特定できるからであると考える。どこか特定の点を原点として選び、南北・東西・上下の3つの方向を指定する。そしてそのそれぞれの方向に沿って、原点から問題の点までの距離を測る。そうすると3つの数(”座標”、方向の選び方によって変わる)が得られ、空間内の各点はそのような3つの数の組みただ1つに対応する。面が2次元なのは、この3つの数のうち1つ、たとえば上下の距離を表す数が必要ないからだ。線が1次元なのも同じである。
とても簡単そうだが、考えはじめるとそうとも言えなくなってくる。いまのパラグラフでは、問題の面は水平であると仮定していた。上下を無視できたのはそのためだ。しかし傾いた面の場合はどうなるのか? 上下が関係してくるではないか。しかし上下を表す数は必ずほかのほかの2つの数によって決まってしまう(傾きの大きさが分かっていればの話の話だが)。したがって問題となるのはいくつかの方向に沿って座標を測るかではなく、独立な方向、つまりほかの方向の組み合わせになっていない方向がいくつあるかだ。
こうなると話はもう少し複雑になってきて、単に座標がいくつあるかを数えるだけでは済まず、もっとも少ない個数の座標で点を表現しなければならない。するとかなり深遠なもう1つの疑問が出てくる。面の場合に最低限必要な座標の個数が実際に2であることはどうしたら分かるのか? きっと正しいだろうし正しくなければもっと良い定義を考えなければならないが、完全に自明であるとは言えない。同様の疑問は次から次へと出てくる。空間の場合に最低限必要な座標の個数が3であるとはどうしたら分かるのか? 互いに独立な方向をどのように選んでも必ず3つになることはどうしたら分かるのか? もっと言うと、3つで十分であるとどうして言い切れるのか?

この3つめの疑問は実は実験物理学の守備範囲で、そこからアインシュタインの一般相対論を介して、物理的空間は平坦な3次元ユークリッド空間でなく湾曲しているという説が示された。あるいはもしも弦(げん)理論が正しければ、時空は10個または11個の次元を持っていて、そのうちの4つ以外はどれも小さすぎて我々は気づかないし入り込むこともできない。

1つめと2つめの疑問は満足のいく形で解決できるが、そう簡単ではない。3次元ユークリッド空間を3つの数の座標体系で定義してから、任意の個数の座標を持ちうるベクトル空間に関する大学の講義を5週間ないし6週間受けた上で、ベクトル空間の次元の数がただ一通りに決まることを証明しなければならない。
ベクトル空間に基づくアプローチは、座標系が直線でできていて空間は平坦であるという考え方が前提となっている。それはもう1つの呼び名が”線形代数”であることからも分かる。ではアインシュタインと同じように座標系を曲げてみたらどうなるのか? 滑らかに曲げるのであれば何も問題はない(一般的に”曲線座標系”と呼ばれる)。しかし1890年にジュゼッペ・ペアノが、座標系をとんでもなく曲げて、もはや滑らかではないが連続的ではあるようにすると、2次元の面をたった1つの数からなる座標系で表せることを発見した。3次元空間でも同じことができる。このもっと一般的で柔軟な座標系を用いると、一通りに定まっていたはずの次元の数が突如として一定でなくなってしまうのだ。
この奇妙な発見を無視してしまうという手もある。滑らかな座標系を使わなければならないのは当然だという態度である。しかしこの不思議な発見を受け入れて何が起こるかを見ていくほうが、はるかに創造的で役に立つし楽しいことが明らかとなった。その一方、批判する伝統主義者たちはかなり厳格で、若い世代にいっさい楽しむんじゃないと迫ったのだった。

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どうでもいい、じじぃの日記。
我々は三次元の世界(縦、横、高さ)に生きている。
私は、何となく、四次元の世界に生きていると思っています。
もう1つの次元が重力です。

2019年発行 ミチオ・カク著 NHK出版 『人類、宇宙に住む 実現への3つのステップ』 より
「つまり素粒子は音符のようなものだ。宇宙はひもの交響楽で、物理学はそうした音符が織りなすハーモニーにあたる。そしてアインシュタインが長年追い求めた『神の心』は、超空間に響きわたる宇宙の音楽なのである」
宇宙が「ひもの交響楽」だったら、指揮者がいてもよさそうです。