Glen Beck, Freemasonry and The French Revolution (Ep 7)
動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=sy5WQhqvrBU
フリーメイソン 歴史の喪われたシンボル amazon
森瀬 繚 (著、編集)
フリーメイソン解説の決定版! ダン・ブラウンの最新作『ロスト・シンボル』。その作中に登場する実在の秘密結社「フリーメイソン」。
本書は『ロスト・シンボル』と「フリーメイソン」の関連性について考察を行なうだけではなく、フィクションにつきものである誇張されてしまった「虚像」を紹介しつつも、そのエピソードひとつひとつに検証を加え、可能な限りそのエピソードに隠された「実像」を伝え、『ロスト・シンボル』の副読本でありつつ、フリーメイソンに始めてふれる人にとっても安心して読めるガイドブックです。
18世紀のイギリスに出現し、世界各国へとその組織を広げていった秘密結社フリーメイソンリー。
アメリカ独立戦争、フランス革命―動乱の影に、必ず蠢いていたとされる謎の組織。秘密のヴェールに包まれた、その真実の姿に迫る。
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『失われた世界史 封印された53の謎』
歴史の謎研究会/編集 青春文庫 2018年発行
フリーメイソンの謎――フランス革命、トルコ建国…、この組織の隠れた功労 より
世界を陰で操る秘密結社。フリーメイソンのイメージをそのように定着させたのは教会や全体主義国家だった。
実際は中世イギリスの石工集団に始まり、フリーメイソンを名乗るようになったのは18世紀初頭のこと。間口を広げたことにより政治色を帯び始め、フランス革命だけでなく、イタリア統一運動やトルコ革命にも関与した。
石工のギルドに始まる博愛団体
フリーメイソンは秘密結社ではない。
いきなり何をと思われるかもしれないが、この点は最初にはっきりさせておかなければなあない。フリーメイソンは謎めいた部分があるのは事実だが、それは本邦で発展した密教同じく、儀礼の上で非公開な部分があるだけで、その他の点はロータリークラブとさしたる違いのないのが実情だった。
フリーメイソンの起源については諸説あるが、中世のイギリス発祥という説がもっとも有力とされる。1360年のウィンザー城再建に際し、王命により諸侯から徴用された568人の石工集団を起源とするというのである。フリーメイソンの名そのものが「自由な石工」を意味することから、その起源が石工のギルド(特権的同業者組合)にあることは間違いなかろう。
そう言われてもピンとこない読者がピンとこない読者も多いだろうが、それは資本主義社会の現在の価値観に縛られているためで、中世のヨーロッパでは職業や金融業は賤しい商売と見なされ、それとは逆に親方クラスの職人は社会的地位の高い存在だった背景があるのだ。
貴族には及ばないまでも、それに次ぐ階層と位置づけられ、教会か王侯の特権的な庇護のもと、さまざまな義務を免除される立場にいた。
しかし、教会の権威が低下して、石工の活躍の場が減少するのにともない、組織の構成員も多様化した。18世紀初頭、フリーメイソンの名が定められた頃には秘儀の要素や社会的な使命を兼ね備えた博愛主義団体と化していた。活動はロッジと称される支部単位を基本としたが、それは本来、大きな建築現場に職人たちのために設けられた「普請小屋」を意味する言葉だった。
フランス革命とイタリア統一への関与
政治的な理念が掲げられたからといって、イギリスで誕生した時点のフリーメイソンが政治活動を行なうことはなかった。
それが始まるのはフリーメイソンのロッジがヨーロッパ大陸でも続々と誕生してからのことで、フランスのグラントリアン(大東社)やバイエルンの啓明結社(バイエルン幻想教団)など、フリーメイソンから派生、ないしはそれに倣って結成された結社は明らかな政治色を帯びていた。
フランス革命の「人間及び市民の権利の宣言」、いわゆる人権宣言が起草されたのもロッジの中で、自由・平等・博愛がスローガンとして叫ばれたことについても、フリーメイソン人脈が革命運動全体に深く関わっていたことを示している。
アメリカでも同様の傾向が見られ、ワシントンやフランクリン、ジェファーソンなど建国の父と称される人びとの多くがフリーメイソンの会員だった。モンロー、セアドラ・ローズベルト、タフト、フランクリン・ローズベルト、トルーマンなど、歴代大統領の多くも会員で、1ドル紙幣にフリーメイソンの象徴であるピラミッドとその上に目の浮かぶ図柄が採用されたのも、フリーメイソン人脈のなせる業だった。
イタリア統一を目指す運動はリソルジメントと総称されるがこれの開幕にもフリーメイソンのロッジが関与していた。
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サルデーニャ王国の主導のもと、おおよその統一がなり、イタリア王国の建国が宣言されたのは1861年のこと。
フリーメイソンの働きかけがなければ、統一はもっと遅れていたか、なせずにいたままの可能性もあった。
狂信的なナショナリズムとは相いれず
フリーメイソンの働きかけはヨーロッパのキリスト教世界だけではなく、中東イスラム世界や中南米にも及んでいた。
19世紀末のオスマン帝国では、スルタンのアブドゥルハミト2世による専制が強化され、近代化を目指す活動家の多くは地下に潜るか亡命を余儀なくされていた。フランスのパリに逃れていた者たちが1894年に「統一と進歩委員会」という組織を結成するが、実はこれにもフリーメイソンが関与していた。
組織づくりの方法や運営について細やかな指導を行なっていたものと見られており、「統一と進歩委員会」がのちのトルコ革命やトルコ共和国建国につながったことから顧みれば、トルコの変革にあたり、フリーメイソンの果たした役割は非常に大であったと認めざるをえない。
このように世界中の多くの出来事に関与してきたフリーメイソンであるが、彼らと現地の民族主義勢力の蜜月は、多くの場合長続きしなかった。
それはフリーメイソンが政治的全体主義や排他主義、狂信などへの反対を貫いていたからで、革命や独立運動を経た諸国では極端な主義思想に走る傾向が強く、それがフリーメイソンをして蜜月関係の終焉へと走らせたのだった。
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どうでもいい、じじぃの日記。
フランス革命はフリーメイソンの仕業か?
テンプル騎士団は、中世ヨーロッパで活躍した騎士修道会。正式名称は「キリストとソロモン神殿の貧しき戦友たち(羅: Pauperes commilitones Christi Templique Solomonici)」であり、日本語では「神殿騎士団」や「聖堂騎士団」などとも呼ばれる。
十字軍活動以降、いくつかの騎士修道会が誕生したが、テンプル騎士団はその中でももっとも有名なものである。創設は第1回十字軍の終了後の1119年であり、ヨーロッパ人によって確保されたエルサレムへの巡礼に向かう人々を保護するために設立された。
ウィキペディア(Wikipedia) より
米国誕生100周年記念に寄贈された「自由の女神」が、フランスのフリーメイソンが米国フリーメイソン&テンプル騎士団国家であるアメリカ合衆国誕生成功のために送られた。
まあ、「フランス革命」とフリーメイソンはつながっていたというお話。
米国大統領トルーマンは、広島と長崎への原子爆弾の投下を決めた人物として知られる。
白人至上主義者団体クー・クラックス・クラン(KKK)へも加入していたという。