じじぃの「科学・芸術_42_著名なフリーメイスン」

Famous Masons 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=kOWPOdgp1DU
Georgia Guidestones And Obama March 22 Illuminati Freemason Symbolism. 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=A2EN7_-Pcf0
Famous American Freemasons

   Freemasons lodge mark

Famous_Masons
●Famous American Freemasons
MacArthur, General Douglas - Commander of Armed Forces
http://phoenixmasonry.org/famous_masons.htm
フリーメイスンのすべて―その歴史・象徴・秘密』 W.カーク マクナルティ/著、武井摩利/訳 創元社 2008年発行
結社の兄弟たち 著名なフリーメイスン (一部抜粋しています)
19世紀には会員が急激に増え、革命派、守旧派、王族、共和主義者などあらゆる政治的党派にメイスンがいた。ヨーロッパの19世紀はナポレオン戦争で幕を開ける。ナポレオン自身は会員ではなかったが、周囲にはメイスンが多かった。大東社(グラントリアン)を復興させたのもナポレオンである。それにしても、世界的な広がりを持ち、(場所ごとに若干方向性を異にしていたとはいえ)、マラー、ウインストン・チャーチルガルバルディ、シモン・ボリーバルほどに毛色の違う人々が揃って所属していたフリーメイスンリーとは、なんという団体であることか。だがそれも驚くにはあたらない。フリーメイスンリーは特定の政治的主題を追求することはせず、会員には自らの良心を信じ居住地の法律を守るように説いているだけなのだ。おそらく、ひとつ一般化して言えるのは、フリーメイスンは自由のために戦い、抑圧に反対してきたという点だろう(自由の女神像は彫刻家も構造設計者もメイスンである)。末日聖徒イエス・キリスト教会[モルモン教] のジョセフ・スミス・Jrもフリーメイスンリーの支持者であった。彼は1842年に入会しており、メイスンリーの教えの一部がモルモン教の教義に反映されている。蒸気機関を実用化したジェイムズ・ワットと、種痘を開発して世界を天然痘から救ったエドワード・ジェンナーという2人のメイスンは、人類の進歩に大きく貢献した。
20世紀にも、フリーメイスンリーには有名人が集まった。ハリウッドのセシル・B・デミルダグラス・フェアバンクス、クラーク・ゲイブルや、奇術師ハリー・フーディーニ、アル・ジョルスンはじめ多数のジャズ・ミュージシャンらが(それぞれ活動の度合いは違えども)会員になっている。俳優のフリーメイスンは昔から多い。儀礼に演劇的な性格があるためかもしれない(シェイクスピアの作中に登場するヨリックのしゃれこうべを図案に取り入れた俳優ロッジの徽章 画像参照)。
フリーメイスンリーは設立当初からずっと軍隊での人気が高く、20世紀にもイギリスのキッチナー卿やアメリカのダグラス・マッカーサー元帥らが会員になっている。他に、探検隊のロバート・スコット、月面に立った宇宙飛行士バズ・オルドリン、ペニシリン発見者アレクサンダー・フレミングもメイスンである。
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多くの文筆家がフリーメイスンリーに入会した。『ジャングル・ブック』を書いた英国の作家・詩人ラドヤード・キプリンは、1882年に「希望と堅忍」ロッジ・No.728でメイスンになった。彼の作品の多く(とりわけ詩)では陸軍での経験が語られ、メイスンリー的な内容も多い。作家・劇作家のオスカー・ワイルド1854年ダブリン生まれ、オックスフォード大学で学び、アポロ大学ロッジ・No.357で参入儀礼を受けた。ジョナサン・スウィフトもダブリンで1667年に生まれ、聖職の道に入って1713年に聖パトリック大聖堂の執事となった。『ガリヴァー旅行記』や社会風刺文をものにしたスウィフトはまた慈善活動でも知られ、「ヘイマーケット脇の羊」ロッジ・No.16のメンバーだったといわれている。1694年生れのヴォルテールはフランスの貴族社会を批判する風刺文を書き、一時バスティーユに投獄されていた。1740年代にルイ15世の外交官を務め、1746年にアカデミー・フランセーズ会員に選ばれている。1778年、没する数ヵ月前に、パリの「九姉妹(ヌフスール)ロッジに入会した。
最も有名なのフリーメイスンの音楽家は、ヴォルフガング・アマデウスモーツァルトだろう。多くのロッジが彼にちなんだ名を持つ。彼は1784年に「慈愛」ロッジに入会した。