じじぃの「封印された謎・学問の放棄・ローマ帝国滅亡のつながりとは?世界史の雑学」

Justinian the Great part I - Eastern Roman Empire

動画 YouTube
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随臣を従えたユスティニアヌス帝


世界史用語解説 アカデメイア

前4世紀、古典期ギリシアアテネプラトンが開設した学園。ギリシア哲学の研鑽の場となり、紀元後6世紀まで存続し、アカデミーの語源となった。

プラトンアテネの郊外に設けた学園。アカデメイアの名は、設置された場所が英雄アカデモスをまつる神域だったからとされる。また、Akademeia が、英語の Academy の語源となった。学園にはオリーブの林があり、プラトンはそこを逍遙しながら思索にふけったという。プラトンは、ポリス国家の理想的な国政参加者を養成することを目指したようだが、むしろ哲学・数学・天文学など純粋な学問の場として存続した。その創設は、紀元前387年ごろとされている。

ルネサンス期のプラトン=アカデミー
アカデメイアローマ帝国キリスト教が国教となってからは衰退し、東ローマ帝国ユスティニアヌス帝によって529年に閉鎖されたが、ビザンツ帝国のもとでギリシア人の中でのプラトン思想の伝承と研究は続いた。さらにビザンツ帝国イスラーム国家であるオスマン帝国によって脅かされ、1453年にコンスタンティノープルが陥落して滅亡すると、その前後に多くのギリシア人学者がイタリアに亡命した。それはイタリアのルネサンスの古典復興に大きな刺激となり、フィレンツェにコシモ=ディ=メディチの手によってプラトン=アカデミーが設けられ、多くの人文学者によってギリシア古典が研究されることとなった。
https://www.y-history.net/appendix/wh0102-139_1.html

『失われた世界史 封印された53の謎』

歴史の謎研究会/編集 青春文庫 2018年発行

ビザンツ帝国の謎――学問の放棄と巨大文明滅亡のつながり より

古代ギリシャが生んだ最高の哲学者プラトン
そのプラトンが 創設した学園は529年に閉鎖に追い込まれた。ときのビザンツ皇帝はユスティニアヌス1世。西ローマ帝国旧領の大半を取り戻し、帝都に聖ソフィア聖堂を再建するなど、輝かしい業績を重ねてきたユスティニアヌスがなぜそのよな暴挙に走ったのか。

異教時代のものはすべて悪として根絶

ローマ帝国はあまりに巨大化しすぎたことから、395年以降、東西分裂が固定化された。西ローマ帝国が衰退の一途をたどったのに対し、東ローマ帝国コンスタンティノポリスを都にしてなお1000年も命脈を保った。コンスタンティノポリスの古名がビザチウムと言ったことから、まぎらわしさを避ける意味からも、東ローマ帝国ビザンツ帝国ないしビザンティン帝国と呼び習わされている。

6世紀初頭時点、ビザンツ帝国の版図はバルカン半島から小アジア、シリア・パレスチナ地方、エジプトと、地中海東部沿岸を覆い尽くすかたちで、それをさらに拡大さえたのが527年に即位したユスティニアヌス1世だった。
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晴れがましい業績を多々重ねたユスティニアヌス1世だが、彼にも汚点がいくつかあり、その最たるものが529年に実施したアカデメイアの閉鎖だった。

アカデメイアは前387年頃、哲学者のプラトンによりアテナイ(現在のアテネ)郊外の公共体育場内に設けられた学園に由来する教育施設で、哲学をはじめ、数学や幾何学天文学など、古代ギリシャ科学の粋を集めた知の宝庫と呼ぶに値するところでもあった。
そのような施設がなぜ閉鎖に追い込まれたのかと言えば、答えは異教(キリスト教以前の多神教)撲滅のためと、極めて単純なものだった。

人類にとって有益かどうかはまったく顧慮されずキリスト教という最高の真理が世に伝えられる前のものだから根絶する。ユスティニアヌス1世はただそれだけの理由で閉鎖に踏み切り、少なくともキリスト教の聖職者からは称賛を浴びせられたのだった。

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どうでもいい、じじぃの日記。

「人類にとって有益かどうかはまったく顧慮されずキリスト教という最高の真理が世に伝えられる前のものだから根絶する。ユスティニアヌス1世はただそれだけの理由で閉鎖に踏み切り、少なくともキリスト教の聖職者からは称賛を浴びせられたのだった」

一説には、古代ローマからルネサンスが登場する前の中世は、ヨーロッパの「暗黒時代」といわれている。

ガリレオの地動説への有罪判決は、1963年になってようやく取り消された。

4ヵ月前に、ガイア・ヴィンス著『進化を超える進化』という本を読んだ。

こんなことが書かれていた。

「人は他者から低く評価されると、自己評価が下がる。自尊心のレベルは他者が自分をどう見るかによって決まることは、多くの研究で明らかになっている。言い換えれば、自尊心は自らの評判に左右されるので、評判は道徳的行動の原動力になるのだ。また、道徳的な行動をとっていれば、おのずと自尊心は高くなり、それを見た他者はその人をより高く評価するようになり、それを受けて自尊心はいっそう高くなる。こうして道徳心に基づく行動は、他者からの高い評価を導き、自尊心を高める。この種の内省は認知的負担が大きいが、社会的状況で他者を操ることを可能にする」

何となく、聖職者と呼ばれる人は「道徳心」が強いように思われる。

例えば、夜、自動車を運転していて人をはねてしまった場合、その後どんな行動をとるだろうか。

年をとるにつれて、運転に自信がなくなってくると不安になってくる。

まあ、「道徳心」と「宗教」は関係がないのかもしれない。