ココ・シャネルはナチスのスパイだった!? 偉大な功績の裏の「知られざる黒歴史」
2021.07.23 FRaU
ファッションで女性の生き方を変え、上流階級のものだったモードを民主化したココ・シャネル。
ただ、彼女はもともとそうした思想をもっていたわけではない。貧しい生まれの彼女にとって、ファッションは経済的な自立と自由を手に入れるための手段でしかなかった。
その上昇志向が数々の功績につながり、と同時に、彼女の「黒歴史」をも生み出した。それが明かされているのが、7月23日に公開されるドキュメンタリー『ココ・シャネル 時代と闘った女』だ。
https://gendai.media/articles/-/85497
『失われた世界史 封印された53の謎』
歴史の謎研究会/編集 青春文庫 2018年発行
ココ・シャネルの謎――憧れのデザイナーの顔と、もうひとつの顔 より
20世紀を代表するファッション・デザイナーのひとりココ・シャネルは、恵まれない幼児体験のせいか自立心が強く、創造力にも富んでいた。
彼女の成功は当時も今も、上昇志向の強い女性たちの模範と化しているが、そんな彼女に1つだけ汚点があった。第二次世界大戦下、ドイツのスパイとして働いた疑惑がかけられているのだった。
世の男女の美意識を変えたスーパーレディ
ココ・シャネルの愛称で記憶されるフランスのファッション・デザイナー、本名ガブリエル・ボヌール・シャネルは女性服に革命をもたらした偉人と言えた。
彼女が生まれたのは1883年のこと。それまでの女性服はコルセットで腰を締め付けることで、身体の曲線を強調するものだったが、それは労働には向かない代物だった。
シャネルがパリに帽子店を開いたのは大戦前夜の1910年だったが、人一倍自立心の強い彼女はすぐさま服飾の世界への進出も図り、シンプルで着心地がよく、無駄のないことを第1とする新たな女性服を開発。腰が締め付けられることもないため、たちまち大好評を博した。
第一次世界大戦が勃発すると、シャネルのデザインに対する需要はさらに高まる。男性があらかた戦場に駆り出されてできた穴を、女性たちで埋めざるをえなくなったからである。そこでは動きやすい服装が第1とされた。
戦時の徴発のために布地の入手は困難であったが、その規制がかえって好結果をもたらした。シャネルはそれまで男性の下着やスポーツ着にしか使用されていなかったジャージーに目をつけ、シンプルなデザインのスーツを考案した。これが大当たりして、専属の職人を300人も囲い込み、3つの店舗をフル稼働させねば需要に追いつかないほどだった。
ブームは戦時中だけに終わらず、大戦を契機として女性が街を自由に歩き回ることが一般化すると、シンプルなジャケットに膝下数センチのタイト・スカートというシャネル考案のスーツは「シャネル・スーツ」と呼ばれ、広く受け入れられるのだった。
戦後、より短いミニスカートのブームがきても、シャネルはそれを取り入れようとはしなかった。彼女の美意識に合わなかったからである。「膝小僧は美しくない」という彼女の信念は死ぬまで揺らぐことはなかった。
その他の点では、「シャネル・スーツ」こそが、世界中の男女の美意識を変えることになった。流行を追う女性たちが豊満な肉付きを嫌い、スレンダー志向に走り始めたのである。世の男性たちもそのような体型を愛でたことから、美の追求としてのダイエットの世界が始まるのだった。
シャネルはドイツのスパイだった?
事業では大成功を収めたシャネルだが、生涯一度として結婚することはなかった。
恋愛下手とか男性やセックスに興味がなかったわけではなく、良縁に恵まれなかったからだけのようである。その証拠に1942年から翌年にかけ愛人生活を送った経験があった。
だが、その相手が悪すぎた。パリのドイツ大使館に勤務し、扇動や諜報活動の疑いが持たれていたハンス・ギュンター・フォン・ディンクラーゲ男爵だったからである。
事実、ドイツの諜報機関アプヴェーアはココ・シャネルを自分たちのスパイとして登録していた。そのことはマドリードの匿名筋からフランス国内のレジスタンに知られていたが、当のシャネルがスパイとして自覚を持っていたかは定かではない。
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シャネル自身が反ユダヤ感情を有していたのか、レジスタンに関する情報を愛人に流していたかは不明ながら、たとえそうであったとしても、当時のフランスにあっては別段珍しいことではなかった。
大戦終結後、フランスでは国外で活動したド・ゴール将軍の「自由フランス」と国内レジスタンを持ち上げる論調が支配的となったが、それは対独協力の後ろめたさを隠すための行為であった。本意かどうかはともかく、大半のフランス人が人道に反する罪に手を染めていたのだった。
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どうでもいい、じじぃの日記。
シャネルはドイツのスパイだった?
ココ・シャネルは第二次世界大戦下、ドイツのスパイとして働いた疑惑がかけられていた。
話は異なるが、
約10年前、波田野節子著『李光洙――韓国近代文学の祖と「親日」の烙印』という本を読んだ。
李光洙(1892~1950)は朝鮮の文学者、思想家である。
「朝鮮近代文学の祖」とも言われる。
李光洙は、韓国併合前後に日本に留学した。
やがて朝鮮・新韓青年党の呼びかけに応え、海外にいる独立運動の指導者たちと共に上海に集まる。
上海では、民族運動の資料を整理し『独立新聞』の仕事に携わった。
その彼が韓国で「親日」の烙印を押され、祖国を裏切った者として今日に至っている。
当時、日本に留学したほとんどの朝鮮人は、「親日」の烙印を押されている。
韓国で「親日」とは、過去に日本の植民地統治に協力した人や組織、慣行を指す。
「売国奴」とほぼ同義の強い否定のニュアンスが込められている。
(ただし、尹錫悦大統領になって対日関係が改善されてきている)
ココ・シャネルの愛人がドイツ人だった。
「だが、その相手が悪すぎた。パリのドイツ大使館に勤務し、扇動や諜報活動の疑いが持たれていたハンス・ギュンター・フォン・ディンクラーゲ男爵だったからである」
ココ・シャネルも、李光洙と似たような犠牲者なのかもしれない。