じじぃの「カオス・地球_114_プーチンは何をしたかったのか?イリイン・彼に影響を与えた人物は」

「戦場でロシアに勝つことは不可能」プーチン大統領が演説でウクライナ侵攻を改めて正当化…侵攻いつまで続く?【news23】|TBS NEWS DIG

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=2p5Cs1PgUOE

イワン・イリイン


ロシア国民が持つロシアン・イデオロギーの正体

2022/09/05 東洋経済オンライン
イワン・イリイン(1883-1954年)は、ソビエト政権に否定的であったため、祖国を追放された思想家である。
彼は在外白系ロシア人の組織である「ロシア全軍連合(ROVS)」のイデオローグとしても知られる。スイスで死んだが、ソ連崩壊後、その遺骨はモスクワに埋葬された。

現在、ロシアでその著作が次々に発刊されている。プーチン大統領もその演説の中でしばしばイリインに言及しており、プーチン大統領の政治思想に大きな影響を与えている人物であると考えられる。
https://toyokeizai.net/articles/-/613426?display=b

プーチンは何をしたかったのか?

【目次】
はじめに
第1章 プーチンは、何をしたかったのか?――なぜクリミア併合、ウクライナ侵攻へ至ったか
第2章 プーチンとは、いったい何者なのか?――スパイを夢見た少年時代、若き日の挫折、そして一大転機で権力者へ
第3章 どうやってロシア大統領になったのか?――最高権力者まで上り詰めた疾風怒涛の4年間
第4章 権力者となったプーチンをとりまく人々――政治を動かすオリガルヒ、愛すべき家族や親族
第5章 プーチンが築きあげた“盗人支配”と“監視”のシステムとは?――クレプトクラットが盗み、シロヴィキが見張る

第6章 プーチンの支配はいつまで続き、どう倒れるのか?――プーチンの哀れな末路と、ロシア再生への道

                  • -

プーチンは何をしたかったのか?』

寺谷弘壬/著 アスコム 2023年発行
妻に恐怖の「ヴァンパイア」と言われたプーチンの真実!ロシア研究60年の著者がQ&Aでズバリ回答!

第6章 プーチンの支配はいつまで続き、どう倒れるのか?――プーチンの哀れな末路と、ロシア再生への道 より

プーチンの思想って何?

――プーチンは若いころから熱烈なルースキー・ミール(ロシア世界)至上主義者?それともロシアで実験を握ってから、その考えを強めたのですか?

以下、強調印字は筆者による。
おそらくは後者です。若いころそう考えていた形跡は見つかっていません。
プーチンが深く学んだ人物にロシアの亡命哲学者イワン・イリイン(1883~1954)がいます。彼は革命5年後の1922年、高名な知識人160人とともに「哲学者の船」に乗せられ、ソ連から追放されました。反革命分子だったからです。その後、ドイツからスイスに移り住み、膨大な論文を書き残しています。

貴族生まれのイリインは熱心なロシア正教徒で、非常に単純な君主制賛成論者。「高徳な国家は指導者が新しい政治体系を作り上げ、世界を修正し、神に埋め合わせをするものと、神は期待しておられる」と書き、君主が導く中央主権体制、国家独裁だけが権力の唯一のあり方だというのです。「ロシア革命はロシア史上もっとも恐ろしい大惨事」「君主制の法意識が宗教的な敬虔さや家族という価値観によく調和する」とも主張しています。

こうしたイリインの考え方に、プーチンは強く影響されました。プーチンは「自由や平等は退廃した欧州が純粋無垢なロシアに押し付けたもの」とし、「それに汚されていない」ロシアが立ち向かって世界を救済すべき、とも主張します。

そのためには強烈な君主制、またはそれに代わるものが必要だ、と考えているのです。

プーチンは、スイスで死んだイリインの遺灰をモスクワ・ドンスコイ修道院の墓地に移し、自前で墓を建立。05年10月に盛大な改装式をおこないました。このころからプーチンは演説でイリインの名前を頻繁に出すようになりました。

ミシガン州立大学の所蔵だったイリインの著作は、プーチン主導で(カネをオリガルヒに出させて)返還され、いまはモスクワ国立大学の科学図書館にあります。

クリミア併合後には、プーチンはクリミアの知事や市長にイリインの知事や市長にイリインの政治エッセイ『我らの課題』を贈呈しました。「ウクライナはロシアの有機体的な一部」と書いてある本で、プーチン自身も講演などでさかんに引用し、皆に読むよう推薦しています。