じじぃの「中国古代・徐福・不老不死・何がすごいの?始皇帝の話」

【ゆっくり解説】 徐福 始皇帝が求めた不死の幻と彼に群がったペテン師たち 【秦】

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=gnbH2g2LLBY

始皇帝は水銀を飲んでいた?


始皇帝はなぜ49歳の若さで死んだのか?!

2019年7月5日 葬式・葬儀の雅セレモニー
そんな始皇帝の最大の願いは不老不死です。
臣下を国内外に派遣、不老長寿の仙薬を探し回らせていたようですが、実際に大金をはたいて彼が飲んでいたのは水銀だったといわれています。

水銀は人体に有毒で、脳や神経に異常をきたします。
なまやさしいものではない手足のふるえ、言語障害、めまい、難聴、歩行困難・・・・・・恐ろしい中毒症状を患者は示すといわれます。

結局、始皇帝アンチエイジングに熱心すぎたあまり、その天下統一から11年後の紀元前210年、49歳の若さで死んでしまいました。
https://www.miyabi-sougi.com/topics/34b0671421b6996ae7a366191e54656a2bb19230

『眠れなくなるほど面白い 図解 始皇帝の話』

渡邉義浩/監修 日本文芸社 2022年発行
紀元前246年、13歳で即位し、史上初めて中国を統一して500年の争乱の歴史に終止符を打った秦の始皇帝
歴史に残るその戦いと数々の偉大な功績、また謎に満ちた生涯、始皇帝を支えた多くの忠臣を、最新研究をもとに図解、イラストを交えてわかりやすく解説する。

Part5 統一事業と始皇帝の死 より

道家の真髄・不老不死を求めて

●不死身の支配者になるため方土に頼るが、失敗に終わる

中国を統一した後の始皇帝の関心は、不老不死に向かいました。これは、道家の思想に関連しています。

法家では無限の権力を持ち、世界の絶対者である君主は、「道」の体現者だと考えられていました。称号を「皇帝」と定めたのも、道家の思想にもとづいたもの。称号を変えることで、自分を世界の絶対的な支配者であることを誇示しようとしたのです。

そして、中国統一の次に心を奪われた老子(ろうし)の考えの中にあった、得道(とくどう)者を目指します。

得道者とは、「道」と一体化し、道の持つ万物の能力を得た者のことです。得道者は不死身になれるとされていました。

そこで始皇帝は瞑想や祈祷(きとう)などの法術によって、不老不死を実現しようとする方士(ほうし)と交流するようになり、神仙(しんせん)思想を学びます。

現代の科学では説明できない思想ですが、始皇帝は神仙思想に傾倒してしまいました。

2回目の巡行で出会った徐福(じょふく)が、「東方の蓬莱山(ほうらいさん)に不老不死の薬があり、自分はその場所を知っている」と言うと、不老不死の薬探しを命令して、莫大な援助をします。

その他の方士たちにも同じような命令を出しましたが、誰も不老不死の薬を持ってくることはありませんでした。

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どうでもいい、じじぃの日記。

「中国を統一した後の始皇帝の関心は、不老不死に向かいました」

「不老不死」を願って「水銀」を飲んでいたとは驚きです。

水銀は、金などを取り出すのに利用された。
粉々にした金鉱石を水銀に溶かし、水銀の沸点まで高温にすることで金と分離する。

水銀は、強力な下剤であり、体内から毒を出してくれる妙薬と信じられていた。

しかし、主原料となる辰砂は、水銀が硫黄と結びついた「硫化水銀」のことで、不老不死の効能はありません。

「東方の蓬莱山(ほうらいさん)に不老不死の薬があり、自分はその場所を知っている」

「蓬莱山」は渤海湾からはるか東にある仙人の島、といわれる。

中国では「徐福一行は日本にたどり着いた」という話が伝えられている。

あなたも、「徐福」の子孫なのかもしれません。