小篆(しょうてん)・・・ 文字の統一
世界史用語解説 小篆/始皇帝の文字統一
●中国の秦の始皇帝の時に定められた漢字の統一書体。李斯が定めた書体で統一し、漢字の基本となった。
小篆(しょうてん)。秦の始皇帝が、宰相李斯に命じて定めたという、漢字の統一書体。
その簡略体が隷書で、漢代に用いられるようになり、さらに楷書体、行書体がつくられ、現在の漢字になる。
https://www.y-history.net/appendix/wh0203-076_2.html
『眠れなくなるほど面白い 図解 始皇帝の話』
渡邉義浩/監修 日本文芸社 2022年発行
紀元前246年、13歳で即位し、史上初めて中国を統一して500年の争乱の歴史に終止符を打った秦の始皇帝。
歴史に残るその戦いと数々の偉大な功績、また謎に満ちた生涯、始皇帝を支えた多くの忠臣を、最新研究をもとに図解、イラストを交えてわかりやすく解説する。
Part5 統一事業と始皇帝の死 より
国家統一のための重要改革
●全国共通の文字をつくり、長さ・重さ・容積の単位も統一
中国統一後、始皇帝(贏政、えいせい)は政治をスムーズに行ない、経済を発展させるために、ライフラインを統一しました。
まずは、文字の統一です。文字は地域や国によってバラバラでしたが、それでは意思疎通がスムーズにできません。そこで小篆(しょうてん)を共通文字にしました。
小篆とは古代の書体をまとめ上げたもので、文書行政を円滑にしました。とても画期的ですが、文字を扱う下級役人にとっては、少し複雑で扱いにくいものでした。
やがて、小篆を簡略化した隷書(れいしょ)が生まれました。漢代にはこれが普及して、日本にも伝わりました。
書体の統一のほか、長さ・重さ・容積の単位を統一しました。当時、布や穀物で税を納めていましたが、長さや重さの基準を勝手に変えてしまう役人が度々(たびたび)出現していたのです。
地方の権力者たちによる不正をなくし、統一後の広大な国を均一で治めるために、始皇帝は単位(度量衡)を統一しなければならないと考えました。
長さの単位の一歩を6尺(しゃく)として、量をはかる「ます」(秦量、しんりょう)と重さ(衡、こう)をはかる「はかり」(秦権、しんけん)の標準器を製造して全国に分配しました。
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どうでもいい、じじぃの日記。
小篆(しょうてん)・・・ 秦の文字統一
国ごとに違っていた文字を、秦を基準に統一した。
たとえば「馬」だが、画像のように各国(斉、楚、燕・・・)で違っていた。