じじぃの「中国古代・万里の長城・何がすごいの?始皇帝の話」

【ゆっくり解説】 万里の長城 長城とは何か? 中華の絶対防衛線の誕生 【春秋戦国 秦】

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=9NDpvSlCe9E

中国の世界遺産万里の長城」とは?世界遺産マニアが解説

万里の長城」とは、中国の北方に位置し、その長さはなんと2万km以上。
紀元前3世紀に、秦の始皇帝によって、北からの遊牧民族からの侵攻を防ぐため、もともと点在していた長城を組み合わせて建造されたもの。やがて世界最大の長城になったのは、明の時代(1368~1644年)。長城の歴史は中国の歴史ともいえるほど重要な建築物でした。
https://worldheritage-mania.com/heritage-great-wall-china/

『眠れなくなるほど面白い 図解 始皇帝の話』

渡邉義浩/監修 日本文芸社 2022年発行
紀元前246年、13歳で即位し、史上初めて中国を統一して500年の争乱の歴史に終止符を打った秦の始皇帝
歴史に残るその戦いと数々の偉大な功績、また謎に満ちた生涯、始皇帝を支えた多くの忠臣を、最新研究をもとに図解、イラストを交えてわかりやすく解説する。

Part1 始皇帝の何がすごいの? より

北方民族の侵略を防いだ万里の長城

●10年以上を費やして完成した世界一の人工壁

世界最長で最大の人工壁である万里の長城
この巨大建築事業は、ほとんどの人に始皇帝によるものだと思われていますが、正しくは、始皇帝以前の複数の国家によって建築・修繕が繰り返されてきた長城を、始皇帝が1つにまとめ上げた城壁です。

現在残っているものは、主に明時代(1368~1644)に改装され、総長が6000km以上あります。さまざまな研究から、前漢(秦の後に興った国)時代には20000kmを超えていたこともわかっています。

そんな万里の長城建設には、長年にわたる北方民族との戦いが関係していました。

秦(しん)・趙(ちょう)・燕(えん)などでは、中国統一前から北方民族の侵略を受けていました。そのため、各王朝は国境付近に長城を建設して、侵攻を防いでいたのです。

中国統一後、始皇帝は武将・蒙恬(もうてん)に、各国に点在する長城をつなげて、大きな城壁にするよう命令しました。

はじめはオルドスへの侵略防止を目的にした局地的なものでしたが、やがて匈奴(きょうど)の侵略防止という目的も加わりました。
その結果、万里の長城建設は、10年あまりの歳月と何十万人という労働者が加わる大規模事業へと発展したのです。

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どうでもいい、じじぃの日記。

中国人が中国人としての誇りを持つのは、約2000年前に成立した「秦王朝」、「漢王朝」の子孫であるということらしい。

漢王朝の頃 中国は、匈奴鮮卑(せんぴ)、羯(けつ)、氏(てい)、羌(きょう)と呼ばれる未開の国に取り囲まれていた。
匈奴鮮卑、羯、氏、羌という漢字はいずれも野蛮・未開の地という意味が込められている。

中国が文明先進国になったのは漢族の功績であることが強調されたのである。

中華人民共和国は1949年10月に成立した。

1972年、八達嶺長城万里の長城)に登ったアメリカのニクソン大統領は、長城の雄大で壮観な景色を見渡して、 「偉大な民族だけが偉大な長城を築造出来る」と感慨を漏らした。

国家主席 習近平は2021年共産党結党100周年記念演説で語った。

中華民族が支配され、いじめを受ける時代は終わった」
そして、
「中国をいじめる外部勢力は鋼鉄の万里の長城に頭をぶつけ、血を流すことになるだろう」

習近平が外国の要人と会う時は、部屋に巨大な万里の長城の絵が飾られていることが多い。

中国人(と、習近平)は万里の長城に象徴されるように偉大なのだ、と言いたいのかもしれない。