じじぃの「中国古代・遊牧民族・匈奴・何がすごいの?始皇帝の話」

匈奴の滅亡 劉邦さえ勝てなかった最強の騎馬民族

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=ffrNn1NrhiQ

紀元前2世紀後半の世界


[2-1.2]スキタイ、匈奴

2023.08.29 グシャの世界史探究授業
匈奴
中央ユーラシアでは前3世紀の後半にもなると騎馬遊牧民の中で、統合がおきて大きな遊牧国家が出現し始めます。
https://gusyakensekaishitankyu.com/?p=3879

『眠れなくなるほど面白い 図解 始皇帝の話』

渡邉義浩/監修 日本文芸社 2022年発行
紀元前246年、13歳で即位し、史上初めて中国を統一して500年の争乱の歴史に終止符を打った秦の始皇帝
歴史に残るその戦いと数々の偉大な功績、また謎に満ちた生涯、始皇帝を支えた多くの忠臣を、最新研究をもとに図解、イラストを交えてわかりやすく解説する。

Part3 即位と7国統一までの戦い より

COLUMN 3 中国を苦しめ続けた遊牧民族匈奴

始皇帝、広く言えば中国王朝の敵は中国国内だけではありませんでした。
北アジアの草原地帯に居住し、優れた騎馬技術を持つ遊牧民族とも激しく抗争してきたのです。
   

   
北アジアで興亡を繰り広げてきた遊牧騎馬民象の中でも、前3世紀~前2世紀、勢力を伸ばしたのが匈奴です。
トルコ系かモンゴル系と見られ、始皇帝が中国を統一した頃、匈奴もまた部族を統一し、東アジア初の遊牧国家を築きました。

前215年、始皇帝は将軍の蒙恬(もうてん)を派遣して匈奴を攻撃し、その南下に備えて万里の長城を修築します。

匈奴は秦滅亡後の前200年にも、漢の高祖(劉邦)を白登山の戦いで破り、隆盛を極めたものの、漢・武帝の制圧を受け、前54年には東西に分裂。西匈奴は前36年に滅亡し、東匈奴は漢に服属します。

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どうでもいい、じじぃの日記。

少し古い話だが、1980年 NHKシルクロード第5回 楼蘭王国を掘る」という番組を見た。
https://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2010020406SA000/

楼蘭の美女」

1980年、タクラマカン砂漠の東にある楼蘭遺跡(新疆ウイグル)で白人女性のミイラが発掘された。

調査の結果、紀元前19世紀に埋葬されたもので、死亡時の年齢は約40歳、身長155センチメートルと推測された。

まあ、現在のウイグル人も白人の仲間なのだから、驚くに当たらないのかもしれない。

秦や漢の時代、匈奴鮮卑、羯、氏、羌という漢字はいずれも野蛮・未開の地という意味が込められている。

匈奴フン族としても知られる。

万里の長城は、秦の始皇帝によって初めて築かれた。

最近の研究で、インド・ヨーロッパ語族の起源が、およそ8000年前に現在のトルコ東部の農耕地帯にあったことが示されている。

中国・習近平体制になってから、新疆ウイグルでの宗教の自由への侵害や、強制収監をはじめとする深刻な人権状況への懸念が示されている。

特に、ヨーロッパ、米国の白人から、中国の人権問題が取り上げられている。

彼らの潜在意識には、遠い昔、新疆ウイグル人は同じ人間(仲間)だったという意識があるからではないだろうか。