中国における儒教のルネッサンス― 共産党の政権強化の切り札となるか
2010年 関志雄 経済産業研究所
今年の1月に北京の天安門のすぐ近くに巨大な孔子像が現れた。
これに象徴されるように、近年、中国において、儒教が静かに復活している。その背景には、1990年代以降、海外ではソ連が解体し、中国では市場経済化が進んだことを受けて、共産主義の求心力が低下する中で、道徳による社会秩序の維持や民主主義と一線を画す「仁政」を中心とする儒家の思想を、共産党が政権強化の手段として利用しようとしていることがある。
●封建主義の象徴から中華文明の象徴へ
歴代の王朝は、政権を維持するために、孔子を尊敬し、その教えである儒教を実践することを標榜したが、1919年の「五四運動」(ヴェルサイユ条約の内容に対する不満から発生した反日、反帝国主義を掲げる大衆運動)や70年代前半の文化大革命の最中において、孔子と儒教は封建主義の象徴として厳しく批判された。しかし、近年、次の一連の出来事を通じて、再び脚光を浴びるようになった。
①孔子学院の設立
2004年以降、中国政府は、世界各国の大学と提携し、語学教育や中国文化を海外で普及させる機関である「孔子学院」を設立している。
2010年現在、その数は約280校に上る。「毛沢東」ではなく、「孔子」を担ぎ出したことから、中国の共産主義国としてのイメージを薄めようとする政府の意図が見て取れる。
https://www.rieti.go.jp/users/china-tr/jp/110427kaikaku.html
『眠れなくなるほど面白い 図解 始皇帝の話』
渡邉義浩/監修 日本文芸社 2022年発行
紀元前246年、13歳で即位し、史上初めて中国を統一して500年の争乱の歴史に終止符を打った秦の始皇帝。
歴史に残るその戦いと数々の偉大な功績、また謎に満ちた生涯、始皇帝を支えた多くの忠臣を、最新研究をもとに図解、イラストを交えてわかりやすく解説する。
Part2 始皇帝誕生までの軌跡 より
かっての秩序を求めた孔子と儒家
●孔子は周初期への回帰を理想として掲げた
儒家の始祖たる孔子(こうし)は紀元前551年頃、魯国(ろこく)に生まれました。この魯国は周公(周公旦)の子が興した国。かつての周王朝のはじまりにあったよな、支え合いと秩序のある氏族制社会に回帰しよう、というのが孔子の教えでした。
孔子は、人を愛する「仁(じん)」を重んじるように説きます。博愛的な愛ではなく、あくまでも氏族を基本として同じ宗教の者同士は仲良くしようというのが「仁」です。
その「仁」の基本にあるのが「孝(こう)」。これは子どもから両親への愛を基本として、それを宗族全体にまで拡大させて、皆を大家族して守り合い、支え合って生きていこうとする考え方です。
後に儒家は、孟子(もうし)と荀子(じゅんし)という2人の思想家を生みます。孟子は、君主がよい政治を行えば、人々はおのずと感化されて、礼を尽くすと説きました。
対する荀子は、礼を尽くさせることを教えるべきと、形式を重視する姿勢を主張します。
これら儒家の思想は、法家思想の全盛期であった戦国時代には評価されませんでした。しかし時代が下り、前漢・後漢を通じて広く認知され、やがて国教化。中国思想の根幹たる思想となっていきます。
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どうでもいい、じじぃの日記。