じじぃの「カオス・地球_86_第3の大国インドの思考・複雑な隣人・中国」

インドの人口が初めて中国を抜き世界最多に 国連の報告書|TBS NEWS DIG

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インド、遅れる人口調査 1億人支援漏れか―世界一でも正確な数不明

2023年05月02日 時事ドットコム
インドは今や中国を抜き、世界一の人口大国になったとみられている。
しかし、正確な人口は当のインド政府も把握していない。国勢調査の実施が既に2年遅れているためだ。行政も古いデータに頼らざるを得ないことで、およそ1億人の低所得者公的支援の対象から漏れていると懸念される。

国連経済社会局の推計によれば、インドの人口は4月末に約14億2577万人に達し、中国を抜いた。
https://www.jiji.com/jc/article?k=2023050200110&g=int

第3の大国 インドの思考――激突する「一帯一路」と「インド太平洋」

【目次】
まえがき
序章 ウクライナ侵攻でインドが与えた衝撃

第1章 複雑な隣人 インドと中国

第2章 増殖する「一帯一路」――中国のユーラシア戦略
第3章 「自由で開かれたインド太平洋」をめぐる日米印の合従連衡
第4章 南アジアでしのぎを削るインドと中国
第5章 海洋、ワクチン開発、そして半導体――日米豪印の対抗策
第6章 ロシアをめぐる駆け引き――接近するインド、反発する米欧、静かに動く中国

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『第3の大国 インドの思考――激突する「一帯一路」と「インド太平洋」』

笠井亮平/著 文春新書 2023年発行

第1章 複雑な隣人 インドと中国 より

蜜月から対立へ

1947年、奇しくも日本の終戦記念日である8月15日にインドはイギリスから独立した。
初代首相に就いたジャワーハルラール・ネルーは首都デリーで行った同日未明の演説で、「真夜中、世界が眠りにつくとき、インドは生命と自由に目覚めるだろう」と厳(おごそ)かに宣言した。1857年の「インド大反乱」から90年。イギリスの植民地支配に硬軟取り合わせた手法で抗いつづけたインド人は、ついに自由を手にした。

それから2年余りを経た1949年10月1日、デリーから3800キロメートル離れた北京では、中国共産党の指導者が天安門の桜上に立ち並んでいた。党主席の毛沢東は、マイクに向かって「中華人民共和国は今日、成立した」と高らかに宣言した。アヘン戦争日清戦争義和団の乱日中戦争、そして国共内戦――戦乱の百余年を経て、新生中国が産声を上げた瞬間だった。

かつて世界に冠たる大帝国を作り上げながら近代になると列強に蝕まれたという共通項もあって、両国は互いをパートナーとして捉え、世界に向き合っていった。第二次世界大戦後ほどなくして始まった冷戦のもと、多くの国が東西いずれかの陣営につく選択をした。しかし、アジアやアフリカを中心として独自路線を歩む国々も少なくなかった。1955年4月にはインドネシアで29ヵ国が参加したアジア・アフリカ会議、いわゆるバンドン会議が開催され、中国首相の周恩来とインド首相のネルーが指導的な役割を担った。この流れは、後の非同盟運動へとつながっていく。

印中は二国間でも密接な関係を築いた。中国については、米欧をはじめ多くの国が蒋介石率いる中華民国を正当な政府――実際の支配地域は台湾と一部の島だけだったが――として承認していた。これに対し、中華人民共和国を承認したのはソ連や東欧諸国に限られた(西側ではイギリスが1950年に承認)。こうしたなか、インドと中国は50年4月に相互承認し、外交関係を樹立した。54年には、周恩来がインドを、ネルーが中国をそれぞれ訪問した。周はさらに56年と60年にも訪印している。

「インドと中国は兄弟」とまで称され、両国が手を携えて第三世界を牽引していくかに思われた。だが、蜜月の陰で問題が早くも顕在化しつつあった。それは、印中関係のみならずアジアの国際政治に影響を及ぼすほどの深刻な対立へと発展していくことになる。

人口インパクトで台頭するインド

2022年は、インドの台頭をせかいに強く印象づける1年になった。

7月11日、国連は「世界人口推計2022」を発表した。報告書では、2022年時点では中国が14億2600万人で世界第1位、インドは14億1700万人で第2位だが、翌23年にはインドが中国を追い抜いて世界最大の人口大国になるとの予想が示されたのだ。両国の逆転は時間の問題ではあった。だが、数年前に時点ではそれが起きるのは20年代後半と見られていたのが、中国で少子高齢化が進む一方、インドでは増加がつづいていることで、実現が早まった。インドの人口増はその後も続き、30年になると15億1500万人にも達するという。

人口が世界1位になったからといって突然変化が起きるわけではないし、手放しで喜べる状況でもない。毎月100万人とも言われる若者が労働市場に参入するなかで、十分な雇用を供給できるかという問題がある。また、インド工科大学(IIT)を卒業するような理系人材が国内外から注目される一方で、国民の約4分の1が文字を読めない現実(2011年の識字率は74.04%)もある。

2047年までの先進国入り

さらに、12月1日にインドはG20の議長国に就任した。筆者は2022年末にインドを訪れたが、首都デリーの街中や空港で議長国就任をアピールするポスターやオブジェが目に入った。「大きな責任、さらに大きな夢、インドはG20議長国として新たなアイデアと結束した行動を加速する」というスローガンに、モディ首相の写真を付したバナー。「G20」のゼロを地球に見立て、それを国花である蓮の花が支えるというスローガンは、「これからの世界を支えるのはインドだ」という意気込みを示しているかに映った。
日本の研究者仲間がオンライン出演したインドのあるニュース討論番組では、「世界はインドが誘う道を歩んでいく」という、少々大げさなテロップする表示されていたほどだった。

これらを背景に、モディ首相はさらに野心的な目標を掲げた――2047年、すなわち独立100周年までの先進国入りである。8月15日の独立記念日演説で、モディ首相はかつてムガル皇帝の居城だったラール・キラー(レッド・フォート)から国民にこう呼びかけた。

「若者たちに呼びかけたい。独立100周年となる2047年、(筆者注:いま25歳であれば)みなさんは50歳になっている。そのときまでにインドを先進国にするという誓いをしてほしい。われわれが誓いをするとき、それは本当に実現させることを意味するのだ」

一方の中国は、建国100周年を迎える2049年までにさらなる強国化を目指している。
21年7月1日に北京の天安門広場で行われた中国共産党創立100周年式典で、習近平国家主席は「小康社会」(まずまずゆとりのある社会)を建設するという目標はすでに達成しており、次なる目標である「社会主義現代化強国」の完成を必ずや実現させると宣言した。

インドと中国がそれぞれの目標を達成できるか否かは別としても、21世紀半ばには世界の中で両国の存在感がこれまで以上に大きくなっていることは間違いない。そして印中関係のダイナミズムは、両国は言うに及ばず、陸ではユーラシア、海ではインド太平洋にまで死活的に重要な影響を及ばしていくだろう。そして、アメリカや日本も加わりながら、優位性をめぐる熾烈な競争がすでに始まっている。次章では、その契機となった中国の壮大な構想について注目していくことにしたい。