じじぃの「カオス・地球_54_時間の終わりまで・マルチバース」

The Multiverse Hypothesis Explained by Brian Greene

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=GzPqDVU9nCg

multiverse?


What is multiverse theory?

August 24, 2021 Live Science
Multiverse theory suggests that our universe, with all its hundreds of billions of galaxies and almost countless stars, spanning tens of billions of light-years, may not be the only one.
Instead, there may be an entirely different universe, distantly separated from ours - and another, and another. Indeed, there may be an infinity of universes, all with their own laws of physics, their own collections of stars and galaxies (if stars and galaxies can exist in those universes), and maybe even their own intelligent civilizations.
https://www.livescience.com/multiverse

講談社 『時間の終わりまで』

【目次】
はじめに
第1章 永遠の魅惑――始まり、終わり、そしてその先にあるもの
第2章 時間を語る言葉――過去、未来、そして変化
第3章 宇宙の始まりとエントロピー――宇宙創造から構造形成へ
第4章 情報と生命力――構造から生命へ
第5章 粒子と意識――生命から心へ
第6章 言語と物語――心から想像力へ
第7章 脳と信念――想像力から聖なるものへ
第8章 本能と創造性――聖なるものから崇高なるものへ
第9章 生命と心の終焉――宇宙の時間スケール

第10章 時間の黄昏――量子、確率、永遠

第11章 存在の尊さ――心、物質、意味

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『時間の終わりまで 物質、生命、心と進化する宇宙』

ブライアン・グリーン/著、青木薫/訳 講談社 2023年発行

第10章 時間の黄昏――量子、確率、永遠 より

思考とマルチバース

任意の速度で深宇宙へと向かう旅は、いつか終着点に到達するのだろうか? それともその旅は、いつまでも続くのだろうか? あるいは、また、めぐるマゼランの旅のように、ぐるりとひとめぐりして出発点に戻るのだろうか? その答えは誰も知らない。

インフレーション理論の枠組みの中で、もっとも精力的に調べられてきた数学的定式化によると、空間には果てがないらしい。それもひとつの理由となって、研究者たちは、宇宙には果てがないというケースに注意を払ってきた。遠い未来の思考ということでいえば、果てのない空間はとくに奇怪な帰結を持つので、ここでは主流インフレーションの観点に立ち、空間は無限に広がっていると仮定することにしよう。

無限に広がる空間のほとんどすべては、観測可能な領域の外にある。遠方で放出された光が望遠鏡で見えるのは、その光がわれわれに届くだけの時間がある場合に限られる。光がその旅に使える最大の時間――ビッグバンから今日までに経過した時間、138億年――から、われわれが勝手に選んだ方角で観測可能な最大の距離は、約450億光年であることがわかる(138億年だろうと思われるかもしれないが、光が旅をしているあいだにも空間は膨脹するため、光が踏破する距離はそれよりも長くなるのだ)。もしもあなたが、地球からの距離がそれ以上ある遠い惑星に生まれ育ったとすると、あなたと私がこれまでにコミュニケーションをとったり、互いに直接的に影響を及ぼし合ったりするすべはなかったことになる。そこで、宇宙は無限に広がっていると仮定して、互いに無関係に進化してきた直径900億光年の空間領域が、パッチワークのようにつながっているものと想像しよう。
物理学者たちは、そんな空間領域のひとつひとつを、他とは切り離された独自の宇宙(ユニバース)と考え、それらをすべて合わせたものを、多宇宙(マルチバースと考えるのが気に入っている。そう考えれば、無限に広がった空間は、無限に多くの宇宙を含む多宇宙ということになる。

そんな無数の宇宙について調べるうちに、物理学者のジャウメ・ガリガとアレックス・ヴィレンキンは、ある重要な特徴を明らかにした。それぞれの宇宙の歴史を映画にして次々と見ていけば、映画のすべてが互いに違ったものになりえないということだ。ひとつひとつの領域のサイズは有限で、各領域に含まれるエネルギーは、大きな値ではあるにせよ有限だから、現れる歴史は有限な数にしかなりえないのだ。
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さて、無限にたくさんの領域と、有限な数の映画があれば、単純に映画の数が足りない。われわれは間違いなく、同じ映画を見ることになるだろう。それどころか、映画は無限回上映されるだろう。またどの映画もかならず上映される。どれかの歴史を、他のどの歴史とも違ったものにする量子ゆらぎはランダムなので、起こりうる粒子配列はすべて無作為に抽出される。取りこぼされる歴史はない。そのため、無限の宇宙の集まりは実現可能な歴史の全てを実現させ、どの歴史も無限回実現されることになるのである。

そこから、ある奇妙な結論が導かれる。あなたと私、そしてほかのすべての人たちが経験しているこの宇宙は、どこか別の領域――別の宇宙――で、繰り返し実現するということだ。物理法則によって厳密に禁止されていないどんな方法で宇宙に修正を加えても(たとえば、エネルギー保存則や、電荷の保存則を破るような修正をすることはできない)、そうして修正された宇宙は、どこかの領域で実現する。しかも繰り返し実現する。しかも繰り返し実現する。
だとすれば、別の歴史が実現する領域もあるだろう――リー・ハーヴェイ・オズワルドがケネディ暗殺に失敗したり、クラウス・フォン・シュタウフェンベルグヒトラー暗殺に成功したり、ジェームズ・アール・レイがキング牧師の暗殺に失敗したりする宇宙もあるだろう。量子力学の熱烈なファンなら、この話は、いわゆる量子の多世界解釈と似ていることに気づくだろう。多世界解釈によれば、量子の法則に抵触しないありとあらゆる結果が、それぞれ別の宇宙で実現する。物理学者たちは、量子力学へのこのアプローチは、数学的に意味があるのかないのか、そして、もしも意味があるなら、われわれの宇宙以外の多くの宇宙は実在するのか、それとも有益な数学的虚構にすぎないのかについて、もう半世紀以上も論争を続けてきた。ここで説明している宇宙論の多宇宙理論と量子力学多世界解釈との本質的な違いは、宇宙論の多宇宙理論では、他の世界――他の領域――が実現するかどうかは、解釈の問題ではないということだ。もしも宇宙空間が無限に広がっているのなら、他の領域は、間違いなくどこかに存在するのである。

本章とこれまでの章で行ってきた探究のすべてにもとづき、次のようにまとめるのが妥当だろう。
われわれが暮らしているこの領域、この宇宙において、われわれ人類は、そしてより一般に「思考する者」は、確実に終わるの時を迎える。それはまだ多い未来のことだが、エンパイアステートビル(宇宙年表.階は対数目盛り)を上がる途中で、あるいは上りきったその先で、ほぼ確実にそのときは来る。そんな事情を背景として、ガリガとヴィレンキンは一風変わった楽天主義を提唱する。彼らは、すべての歴史は、無限にある宇宙のどれかの中で必ず実現するという点に注目する。歴史の中には、エントロピーが大幅に減少して、稀有な幸運に恵まれるものもあるだろう。たとえば、特定の恒星や惑星が無事に存在し続けたり、高品質のエネルギー源を含む環境を生じさせたりする歴史などがそれだ。そのほかにも、生命と思考が思いもよらず長く生き延びることを可能にするさまざまな出来事のいずれもが、どれかの宇宙において実現するだろう。
実際、ガリガとヴィレンキンが論じるように、もしもあなたが有限な時間をひとつ勝手に選んだとすると、それがどれだけ長い時間だとしても、無限に多くの宇宙からなる集合の中には、少なくともその時間が尽きるまでは、エントロピー増大の傾向に逆らって、およそ、およそ起こりそうもないプロセスで命を存続させる宇宙が存在することになるのだ。それゆえ無限に多くの宇宙の中には、どれほど遠い未来にも、生命と心を宿すものが間違いなく存在するだろう。
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われわれがそんな幸運な領域に住んでいるが、またはそこを目指してこの宇宙から脱出できるぐらい、その領域の近くにいるかする確率はほぼゼロなので、われわれ自身の終末が視野に入ってくるにつれ、これまでに学んだこと、発見したこと、想像したことを取りまとめてカプセルに入れ、もしかするとそのカプセルが幸運な領域にいつか届くかもしれないという期待を込めて、宇宙に送り出すかもしれない。われわれが永遠に存在する種族につらなることはないとしても、われわれが成し遂げたことのエッセンスを、そんな種族に伝えることはできるかもしれない。間接的にではあれ、自分たちが存在したことの痕跡を、永遠に残すことはできるかもしれない。しかし、ガリガとヴィレンキンはこのシナリオの1バージョンを調べて、哲学者デーヴィッド・ドイチュが得た洞察と併せ、その計画には望みがないと結論した。無限の宇宙空間と長大な時間スケールの中で、量子のランダムなゆらぎは、われわれの子孫が作るかもしれない本物のカプセルよりはるかに多くの偽のカプセルを作るだろう。そして、われわれは何者で、何を成し遂げたかについての信頼できる刻印はすべて、量子のノイズに確実に埋もれてしまうだろう。

われわれが長きにわたって「唯一の」宇宙だと思っていた領域では、生命と思考はいずれ終りを迎えることになりそうだ。無限の宇宙空間では、われわれの領域の境界のはるか彼方で、生命と思考は生き延びるかもしれないし、その可能性が心の慰めになることもあるだろう。だが、われわれ自身は、永遠について考えることはできても、そしてまた永遠を手に入れようと努力することはできても、永遠に触れることはできそうにない。