Summary of Until the End of Time by Brian Greene | Free Audiobook
“Until the End of Time”: God and Brian Greene
“Until the End of Time”: God and Brian Greene
June 4th, 2020 The Imaginative Conservative
Brian Greene is the latest in a long line of thinkers who assert that there is no God, and no free will, no independent consciousness, no transcendent reality whatsoever.
Though we learn much science from Dr. Greene, none of it dull and much of it fascinating, he leaves us perplexed in the end.
https://theimaginativeconservative.org/2020/06/until-the-end-of-time-brian-greene-god-james-como.html
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講談社 『時間の終わりまで』
【目次】
はじめに
第1章 永遠の魅惑――始まり、終わり、そしてその先にあるもの
第2章 時間を語る言葉――過去、未来、そして変化
第3章 宇宙の始まりとエントロピー――宇宙創造から構造形成へ
第4章 情報と生命力――構造から生命へ
第5章 粒子と意識――生命から心へ
第6章 言語と物語――心から想像力へ
第7章 脳と信念――想像力から聖なるものへ
第8章 本能と創造性――聖なるものから崇高なるものへ
第9章 生命と心の終焉――宇宙の時間スケール
第10章 時間の黄昏――量子、確率、永遠
第11章 存在の尊さ――心、物質、意味
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第11章 存在の尊さ――心、物質、意味 より
受け継ぐ者たちのいない世界
われわれは儚い存在だ。ほんのつかの間、ここにあるだけの存在なのだ。
それでも、われわれに与えられたこの一瞬は、稀有にして驚くべきものである。そのこととに気づけば、生命の儚さと、自省的な意識の希少さを、価値と感謝のよりどころにすることができる。人は永続する遺産を求めるけれど、われわれは宇宙の年表をつぶさに見ることで、永続するものなどはないということを知った。
しかしその認識のまざまざとした鮮明さは、宇宙にある粒子の一部が他をしのいで繁栄し、自分とその住処である宇宙を探究し、自分たちはつかの間の存在であることを知り、ほんの一瞬炸裂する活動によって、美を生み出し、つながりを打ち立て、謎を解明できるということが、どれほど驚くべきことであるかを教えてくれるのだ。
意味
ほとんどの人は、日常を超える高みに自分を引き上げたいという思いと、心中ひそかに向き合っている。そして多くの人は、文明を盾として、自分が消滅しても世界は何ごともなかったかのように進展するという事実を直視せずにすませている。われわれは自分に制御できることにエネルギーを注ぎ込み、コミュニティーを建設し、さまざまな活動に参加する。周囲の人たちを大切にし、楽しいときは笑い、大切なものを見つける。心を慰め、失ったものを嘆き、人を愛する。喜ばしいことがあれば祝い、神聖とされるものを祀り、自分の行いを悔いることもある。そしてまた、成し遂げられた仕事に胸を躍らされることもある――それは自分の仕事のこともあれば、尊敬する人物や偶像視する人たちの仕事のこともあるだろう。
こうした行為のすべてを通して、われわれは、心躍らせてくれるもの、慰めを与えてくれるモの、目を釘づけにするもの、別の場所に連れて行ってくれるものを求めて、徐々に世界に関心を向けるようになった。しかしこれまでたどってきた科学の旅が強く示唆するように、宇宙は、生命と心に活躍の場を提供するために存在しているのではない。生命と心が、宇宙にたまたま生じただけなのだ。そして、生命と心は、つかの間存在して消えていくだろう。
私はかつて、宇宙を研究して、あたかも玉ねぎの鱗片をはがすように宇宙の階層を1枚ずつめくっていけば、「いかにして」で始まる多くの問いに答えられるようになり、その結果として、「なぜ」で始まる多くの問いに対するおk絶えも垣間見ることができるだろうと期待していた。だが、宇宙のことを知れば知るほど、そんな期待はお門違いだと思えるようになった。意識を持つわれわれは、ひととき宇宙の一隅に無断居住するだけの存在なのだ。そんなわれわれを温かく受け止めてほしいと願う気持ちがわからないではないが、端的に言って、それは宇宙のやることではないのである。
そうだとしても、われわれがこの宇宙に存在するひとときを、科学的な文脈に置いてみるなら、われわれの存在それ自体が驚くべきことだとわかるだろう。
ビッグバンをもう一度最初からやり直すとして、あれこれの粒子の位置や、あちこちの場の値をほんの少し変更すれば、そこから展開する新しい宇宙には、あなたや私、人類や惑星地球、そしてわれわれが価値を認めるものは何ひとつ含まれないだろう。もしもスーパーインテリジェントな存在が、ちょうどわれわれが、多数の1セント硬貨を全体として見たりするのと同様に、その新しい宇宙を全体として見たとすれば、新しい宇宙は前の宇宙とほとんど同じだと結論するだろう。
しかしわれわれにとってみれば、新しい宇宙はもとの宇宙とは大違いなのだ。新しい宇宙には、その違いに気づく「われわれ」はいないだろう。
エントロピーは、われわれの注意を細部から引き離すことにより、ものごとが変化する道筋を大まかに捉えるために不可欠な組織化原理を与えてくれた。しかし、どれかひとつの1セント硬貨が表なのか裏なのか、どれかひとつの酸素分子がたまたまどこに位置するかを、普通われわれは気にかけないとはいえ、われわれが気にかける詳細もある。そして、その詳細が非常に重要なのだ。われわれがこうして存在しているのは、われわれを構成する特定の粒子配置が、実現をかけて争う他の膨大な数の粒子配置との競争に勝利したからだ。そんなランダムな偶然の力によって、われわれは自然法則の狭路を通り抜け、今ここに存在しているのである。
その気づきは、人間と宇宙の発展のすべての段階にこだましている。リチャード・ドーキンスが、「存在していてもよかった潜在的な人びと」と述べた人間集団を考えてみよう。
DNAの塩基配列はほとんど無限にありうるが、そんな配列のどれかを持ちながら、現実には生まれていない、ほとんど無限の多くの人たちからなる集団を考えよう。あるいは、ビッグバンからあなたの誕生まで、さらにそれから今日までに起こったほとんど無限に多くの出来事のひとつひとつが分岐点となって、ほとんど無限に増殖する宇宙の歴史の集合を考えていいだろう。それらの宇宙はすべて、実現してもよかったものだが、そこにあなたや私は存在していないだろう。宇宙にも、DNAの塩基配列にも、天文学的に多くの可能性があるにもかかわらず、あなたの塩基配列と私の塩基配列、あなたの分子の組み合わせと私の分子の組み合わせが、こうして実現している。われわれが今ここに存在する確率は、信じられないほど低い。そんなありえない偶然が、現にこうして起こっていることは、ゾクゾクするほどすごいことなのだ。
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冷え切った不毛な宇宙に向かって突き進んでいけば、「大いなるデザイン[神の計画]」などというものはないのだと認めざるをえなくなる。
粒子に目的が与えられているのではない。最終的な答えが深宇宙にぽっかりと浮かんで、発見されるのを待っているのではない。そうではなく、ある特定の粒子集団が、考え、感じ、内省する力を獲得し、そうして作り出した主観的な世界の中で、目的を創造できるようになったということなのだ。そんなわけで、人間の条件を明らかにしようという探究の旅で、われわれが目に向けるべき唯一の方向は、内面に向かう方向である。
そこに目を向けるのは気高いことだ。その方向に歩きだすことは、出来合いの答えを捨て、自分自身の意味を構築するための、きわめて個人的な旅に出ることなのだ。それは創造的表現の核心に向かう旅であり、心に響く物語のふるさとを訪ねる旅でもある。
科学は、外なる実在を理解するための強力にして精巧な道具である。しかしそれを認めたうえで、他のいっさいは、おのれを見つめ、受け継いでいく必要のあるものは何かを把握し、暗闇の中にこだましていく物語、音から彫琢され、沈黙の中に刻みつけられ、最上のものは魂をゆさぶる物語を語る、人類という種なのである。