じじぃの「カオス・地球_44_時間の終わりまで・死後の世界」

Shamanism and Cave Art

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=ELQ4eAQ9qzI

古代人が描いた洞窟壁画


彼の頭にスパイラルを持つシャーマンが向かう茶色の洞窟の壁に矢と盾を持つ原始的な古代の人々の壁画の驚異な3dイラスト

123RF
https://jp.123rf.com/photo_140187195_astounding-3d-illustration-of-primitive-ancient-people-mural-with-arrows-and-shields-on-a-brown-cave.html

講談社 『時間の終わりまで』

【目次】
はじめに
第1章 永遠の魅惑――始まり、終わり、そしてその先にあるもの
第2章 時間を語る言葉――過去、未来、そして変化
第3章 宇宙の始まりとエントロピー――宇宙創造から構造形成へ
第4章 情報と生命力――構造から生命へ
第5章 粒子と意識――生命から心へ
第6章 言語と物語――心から想像力へ

第7章 脳と信念――想像力から聖なるものへ

第8章 本能と創造性――聖なるものから崇高なるものへ
第9章 生命と心の終焉――宇宙の時間スケール
第10章 時間の黄昏――量子、確率、永遠
第11章 存在の尊さ――心、物質、意味

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『時間の終わりまで 物質、生命、心と進化する宇宙』

ブライアン・グリーン/著、青木薫/訳 講談社 2023年発行

第7章 脳と信念――想像力から聖なるものへ より

死後の世界を想像する

10万年ばかり前に、今日のイスラエルの低地ガリラヤのどこかで、4歳か5歳ぐらいの子どもがおとなしく遊んでいた。あるいは、いたずらをしていたのかもしれない。いずれにせよ、そのときその子は、後遺症を残すほどのほどの一撃を頭にくらった。その子の性別はわからないが、女の子だったとしよう。怪我の原因もよくわからない。岩がちな急斜面を転がり落ちたのかもしれないし、木から落ちなのかもしれないし、厳しい罰を受けたのかもしれない。わかっているのは、その衝撃のせいで頭蓋骨の前方右側がひどく傷ついて、脳の損傷を引き起こし、彼女はその障害に耐えて12歳か13歳まで生き延びたのちに死んだということだ。以上の情報は、もっとも古い埋葬地の遺跡のひとつであるカフゼーで見つかった骨格から得られたものである。カフゼーの発掘が始まったのは1930年代のことで、この遺跡ではその人骨のほかにも26の遺物が出土しているが、この少女の墓所には、他とは異なる特徴がある。アカシカの2本の角が、一方の端を手のひらに置くようにして、少女の胸に渡してあるのだ。研究者たちによると、このような置き方は、葬儀が執り行われたことの証拠になるという。シカの角が、とくに意図のない単なる飾りだなどということがありえるだろうか? その可能性はある。しかし、ここは研究チームの判断に従って、カフゼー11号(その少女はこの名で知られている)は、何万年も前に、死について考え、死の意味を知ろうと苦闘し、おそらくは死後に起こることを思索した、初期の人類が執り行った儀式によって埋葬されたのだろうと考えたほうが無理がなさそうだ。

それほど遠い昔の出来事について導かれた結論はもちろん暫定的なものでしかないが、より新しい時代の墓地が発掘されて、その解釈は信憑性を増している。1955年のこと、アレクサンドル・ナチャロフは、モスクワの北東200キロメートルほどのところにあるドブロゴ村でウラジーミル陶芸社のためにパワーショベルで黄土を掘り出していた。彼はその作業中に、掘り出した黄土に骨が混じっていることに気がついた。それから数十年後には、その地は、旧石器時代の遺跡でももっとも有名なスンギル遺跡として知られるようになり、その骨に続いて多くの遺物が発掘されることになった。あるひとつの墓は、とりわけ驚くべきものだった。10歳と12歳ぐらいで死んだとみられる少年と少女が、あたかも若いふたりの魂が永遠に混じり合ったかのように頭と頭を合わせ、足は反対向きに伸ばした姿で埋葬されていたのである。
3万年以上前に埋葬されたこのふたつの遺体を飾っていたのは、かつて発見されたなかでもっとも手の込んだ品々だった。ホッキョクギツネの歯で作られた頭飾り、象牙製のブレスレット、やはり象牙製の10本以上もの長い槍、穴の開けられた象牙の円盤、そして――リベラーチェ[20世紀に欧米で絶大な人気を博したアメリカのピアニスト。派手な衣装で知られる]のファンなら微笑むであろう――埋葬の衣装に縫いつけられていたとみられる1万個のビーズは、象牙を削って作られたものだった。研究者たちの推定によると、ひとりの職人がこれらの装飾品を作るためには、1週間に100時間働いたとして、1年以上かかっただろう。それだけの時間と労力がつぎ込まれたということは、埋葬の儀式が、最低でも、死を乗り越えるための戦略の一部だった可能性をほのめかす。体を消滅しても、生命が持つなんらかの特質は失われない。そしてその特質は、手のかかった副葬品を供えることで、強めたり、鎮めたり、喜ばせたりできると考えられていたのだろう。

19世紀の人類学者エドワード・バーネット・タイラーは、夢には、初期の人類をその考えに導くだけの説得力があったと論じた。奇抜なものから奇怪なものまで、われわれが夜ごとやらかす突拍子もない行動は、開いた目で見るものを超えた世界全体が存在するという考えに説得力を与えただろう。慰めを得るか、怖いと感じるかは別にして、すでにこの世を去った友や親戚が来訪するのを見れば、その夢から覚めても、来訪者たちはまだ存在しているような感覚が残る。存在するとはいっても、かつてと同じ存在の仕方ではない。その人が、すでにこの世にいないことは明らかなのだ。それでも、何かこの世ならぬやり方で、死んでしまった友や親戚は、どこかそのあたりにいるような気がするのだ。書かれた記述はずっと後世のものしかないが、そうした記述には、目には見えない実在への窓となる夢の例がふんだんに含まれていて、この推測に支持を与えている。

古代シュメール人エジプト人は、夢は神のお告げだと考えた。旧約聖書新約聖書では、神の御心はしばしば夢となって現れる。近代では、オーストラリアのアボリジニのような孤立した狩猟社会に関する研究から、あらゆる生命がそこから発してそこへ戻っていく、永遠の領域、ドリームタイムの重要性が明らかになっている。

夢うつつのトランス状態もまた、打楽器入りの音楽と激しい踊りに駆り立てられるように進展する儀式を持つ多くの伝統に共通してみられるもので、そのトランス状態は数時間続くこともある。トランス状態は、儀式に参加する者たちに催眠術にかかったかのような幻想を見せ、その幻想の中で、トランス状態になった者は別の実在の平面に移されたことになっている。
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地理的に遠く離れ、何千年という時を隔てて描かれた洞窟絵画に認められる驚きべき類似性は、洞窟絵画には包括的な説明があるのではないかと思わせる。さすがにそれは大胆すぎる考えだとしても、考古学者ベンジャミン・スミスが、これだけは間違いないと確信しているひとつの特徴がある。彼は私にこう語った。

「洞窟は単なる”カンバス”ではないんです。それは儀式が執り行われる場所でした。洞窟は、別の世界に住まう霊や先祖との交信が行われる、意味と共鳴に満ちた場所だったのです」。

スミスや、彼と同じ考えを持つ多くの研究者たちの判断に従うなら、われわれの先祖たちは、芸術と知識を通じて、霊的な力を動かすことができると深く信じていたことになる。これは納得のいく結論ではあるが、2万5000年、5万年、ひょっとすると10万年という時を隔てて振り返るとき、細部はぼんやりとしている。先祖たちがそのように考えた確かな理由は永遠にわからないままだろう。それでも、たとえ暫定的なものだとしても、首尾一貫したひとつのヴィジョンが浮かび上がりつつある。
われわれの先祖たちは、死者をあの世に送り出すための埋葬の儀式を執り行い、経験を超えた実在があると想像して芸術を生み出し、強い力を持つ霊や、永遠の命、そして死後の生命が登場する神話的な物語を語った。要するに、先祖たちは、後の世代が「宗教」というラベルでひと括りにする多くの糸を結び合わせて、1本の縄にしつつあったのだ。その縄に、生命の儚さへの諦念が絡まりついているのを見て取るのは、それほど難しいことではない。