Giulio Tononi on Consciousness
脳の高次機能システム
統合脳-脳の高次機能学
京都府立医科大学
人間の心のはたらきは、思考や推論、意志をもっておこなう行動、 喜怒哀楽の感情や情動、言語などの機能によって実現されていますが、 その基礎となる脳のメカニズムは複雑で難解です。
しかし、近年の科学研究の進歩によって、 脳の高次のはたらきを生み出す神経細胞やそのネットワークの信号を動物実験によって 検出することが可能になり、物体の認知や記憶、運動のための脳の情報処理のしくみの 理解が一段と進みました。
私たちは、動物実験によって脳の情報処理様式を明らかにする研究、 ヒトを対象として心のはたらきに関わる脳部位を明らかにする研究、 計算理論によって脳の情報処理を明らかにする研究をおこなうことによって、 心のはたらきの脳内メカニズムを明らかにすることを目指しています。
具体的には次に挙げる5つの脳のはたらきを対象に研究にとりくみます。
http://www.nips.ac.jp/togo-nou/kouji/kouji01.html
講談社 『時間の終わりまで』
【目次】
はじめに
第1章 永遠の魅惑――始まり、終わり、そしてその先にあるもの
第2章 時間を語る言葉――過去、未来、そして変化
第3章 宇宙の始まりとエントロピー――宇宙創造から構造形成へ
第4章 情報と生命力――構造から生命へ
第5章 粒子と意識――生命から心へ
第6章 言語と物語――心から想像力へ
第7章 脳と信念――想像力から聖なるものへ
第8章 本能と創造性――聖なるものから崇高なるものへ
第9章 生命と心の終焉――宇宙の時間スケール
第10章 時間の黄昏――量子、確率、永遠
第11章 存在の尊さ――心、物質、意味
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第5章 粒子と意識――生命から心へ より
40億年前の最初の原核生物の細胞と、人間の脳の、100兆のシナプス結合でネットワーク状に絡み合った900億のニューロンとのあいだのどこかで、考えたり感じたり、愛したり憎んだり、恐れたり焦がれたり、尽くしたり崇敬したり、想像したり創造したりする能力が出現した――新たに見出されたその能力は、計り知れない破壊を引き起こすことにもなるのだが、華々しい成果が爆発的に挙がるようになったのも、もとはといえばその能力のおかげなのだ。
アルベール・カミュはその能力について、「いっさいは意識とともに始まり、意識を介することなくして、何かに値するものはひとつとしてない」と言った。しかし最近になるまで、意識は、ハードサイエンスでは歓迎されざる言葉だった。研究者人生の黄昏時を迎えた老いた科学者ならば、心という周辺的なトピックに取り組んでも大目に見てももらえるかもしれないが、主流の科学研究の目標は、客観的な実在を理解することにある。そして多くの科学者にとって、また長きにわたって、意識は科学研究で取り組むべきまっとうなテーマとは見なされていなかった。なんといっても、あなたの頭の中でおしゃべりする声は、あなたの頭の中でしか聞こえないのだから。
意識をこんなふうに見てしまうのは皮肉なことだ。デカルトの「我思う、ゆえに我あり」は、われわれと実在との接点のあり方をひとことで要約している。ほかのいっさいが幻影だとしても、自分が思考しているということは、筋金入りの懐疑主義者でさえ確かだと思えることなのだ。
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近年の新しい変化は、最低でも意識経験をともなうとみられるプロセスにつながる脳の活動の、観測して測定できる特徴にアクセスできるようになったことだ。そのおかげで、fMRIを使って、ニューロンの活動を支える血流を細かく追跡したり、脳の深部に深針を挿入して、一連のニューロンを次々に発火させる電気的口吻を検出したり、EEG(脳波計)を使って、電磁波がさざ波のように伝わる様子をモニターしたりすることができるようになった。そうして得られたデータが、被験者の実際の振る舞いと、その被験者内的経験について語ることの両方を反映したパターンを示せば、物理現象としての意識にアプローチしていると考える根拠はかなり強まる。実際、こうした進展に勇気づけられた研究者たちは、意識的な経験の科学的基礎を発展させるための機は熟したと考えるようになっている。
トノーニの統合情報理論
脳は、シワがあって、湿っていて、情報処理をする細胞の集まりだということに議論の余地はない。脳のスキャンや侵襲的な精査で明らかになったように、脳は部分ごとに特定のタイプの情報――視覚情報、聴覚情報、嗅覚情報、言語情報、等々――を処理している。しかし、情報処理を行うというだけでは、脳に固有の特質を捉えたことにはならない。算盤からサーモスタット、さらにはコンピュータに至るまで、実にさまざまな物理系が情報処理を行っているし、ホイーラーのパースペクティブを念頭に置くなら、あらゆる物理系は、ある意味では情報処理装置だといえる。では、情報を処理した結果として意識をもたらす情報処理は、その他の情報処理とどこが違うのだろうか? 精神科医にして神経科学者でもあるジュリオ・トノーニは、まさにこの問いに導かれて、神経科学者クリストフ・コッホの探求に参加した。トノーニらの研究から生まれたのが、「統合情報理論」と呼ばれるアプローチだ。
その理論の感じを掴むために、私があなたに新品の赤いフェラーリをプレゼントしたと考えてほしい。あなたがハイエンドスポーツカーのファンかどうかによらず、フェラーリを前にして、あなたの脳はさまざまなセンス・データの刺激を受ける。その車のビジュアル、手触り、嗅覚という特質を表す情報とともに、路上での力強い走りから、贅沢さと富を連想させることまで、より抽象的で暗示的な意味が即座に絡み合って、統一されたひとつの認知経験になる。その経験には、トノーニならば高度に統合されていると特徴づけるであろう情報内容がある。情報を少し絞り込んで、車の色に焦点を合わせたしても、あなたの経験は、無色のフェラーリに、あなたの心が赤い色をつける場合の経験とはまるで違うだろう。またその経験は、あなたの心がフェラーリとして形づくる、抽象的な赤い環境を経験することとも違う。車の形についての情報と、色についての情報は、それぞれ視覚野の別の場所を刺激して活性化させるにもかかわらず、フェラーリの形と色についてのあなたに意識経験は、分かち難く結びついている。あなたは車の形と色を、ひとつのものとして経験するのだ。トノーニによれば、それは意識に固有の特質である。意識経験を織りなす情報の糸は、ぴったりと隙間なく織り上げられているのだ。
意識に固有のふたつ目の特質は、あなたが心の中に保持できることは、途方もなく広範囲にわたるということだ。目がくらむほど多くの知覚経験、想像を豊かにふくらませる刺激、抽象的な計画、考え、心配、予想、等々、あなたの心にはほとんど無限に多くのものが含まれる。ということは、たとえば赤いフェラーリというひとつの意識経験に焦点を合わせているとき、その経験は、あなたが心的に経験しうる圧倒的多数のその他の経験から、高度に区別されているということだ。トノーニの提案は、心を直接観察することから得られたこの事実を、意識経験を特徴づける特質に地位に昇格させようというものだ。意識は、高度に統合されているとともに、高度に区別されてもいる情報である。
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もしもトノーニのアプローチが正しければ、意識経験を生むために系が持たなければならない特質が明らかになるだろう。そうなれば大きな進展だ。それでも、今のかたちの統合情報理論は、意識はなぜ、現に意識として感じられるようなものとして感じられるのかを教えてはくれない。高度に区別され、高度に統合された情報は、いかにして内なる気づきをもたらすのだろうか?
トノーニによれば、その情報はただそれをするのだ。あるいはより正確には、彼は、それは問うべき問いではないとほのめかすのである。彼の観点からすると、われわれがなすべきは、意識経験はいかにして膨大な数の動きまわる粒子たちから出現するのかを説明することではなく、系が意識経験をするようになるために必要な条件を決定することであり、そしてそれが、統合情報理論がやろうとしていることなのだ。
私はこのパースペクティブはよくわかるが、しかしその一方で、還元主義的説明のみごとな成功によって形成された私の直観は、おなじみの粒子的構成要素に関係する物理学なプロセスを心の感覚に結びつけることができるようになるまでは、満足しないだろう。