ゲノム解析により統合失調症の発症に強く関連する遺伝子変異を発見!
名古屋大学脳とこころの研究センターの森大輔特任准教授、元医学部学部生の関口真理子、元医学系研究科医療薬学大学院生・現環境医学研究所の祖父江顕特任助教、医学部附属病院ゲノム医療センター・精神医学の久島周病院講師、元医学系研究科精神医学大学院生のWang Chenyao、医学部附属病院先端医療開発部・精神医学の有岡祐子特任講師、医学系研究科医療薬学の山田清文教授、精神医学・親と子どもの心療学の尾崎紀夫教授らの研究グループは、日本人を対象とした大規模な統合失調症ゲノム解析によって見出されたARHGAP10遺伝子上のバリアントが発症に強く関与する可能性について、ゲノム解析結果に基づくモデル動物及びゲノムバリアントを有する患者から樹立したiPS細胞から作成した神経細胞の解析を包括的に組み合わせることにより病態を明らかにしました。
https://www.amed.go.jp/news/release_20200722-02.html
第2章 ゲノムから見た精神疾患――発症に強く関わるゲノム変異が見つかり始めた
第3章 脳回路と認知の仕組みから見た精神疾患――脳の「配線障害」が病を引き起こす?
第4章 慢性ストレスによる脳内炎症がうつ病を引き起こす?――ストレスと心と体の切っても切れない関係
第5章 新たに見つかった「動く遺伝因子」と精神疾患の関係――脳のゲノムの中を飛び回るLINE-1とは
第6章 自閉スペクトラム症の脳内で何が起きているのか――感覚過敏、コミュニケーション障害…様々な症状の原因を探る
第7章 脳研究から見えてきたADHDの病態――最新知見から発達障害としての本態を捉える
第8章 PTSDのトラウマ記憶を薬で消すことはできるか――認知症薬メマンチンを使った新たな治療のアプローチ
第9章 脳科学に基づく双極性障害の治療を目指す――躁とうつを繰り返すのはなぜか
第10章 ニューロフィードバックは精神疾患の治療に応用できるか
第11章 ロボットで自閉スペクトラム症の人たちを支援する
第12章 「神経変性疾患が治る時代」から「精神疾患が治る時代」へ
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第2章 ゲノムから見た精神疾患――発症に強く関わるゲノム変異が見つかり始めた より
遺伝要因と環境要因、どちらの影響が強いのか
走行中に突然、自転車が突っ込んできて怪我をした場合には環境要因が100%といえますが、ほとんどの疾患は、遺伝要因と環境要因の両方によって発症します。精神疾患ではどちらの影響が強いのでしょうか。
それは、患者さんのきょうだいや両親、祖父母、いとこなどの親族や、遺伝情報はほぼ同一の一卵性双生児の発症率を調べることで推定できます。たとえば統合失調症の血縁者の血縁者では、統合失調症の発症リスクが高いことが知られています。患者さんと血縁関係が近いほど発症リスクが高くなります。そのような研究によって、精神疾患の中でも、統合失調症や自閉スペクトラム症(ASD)、双極性障害は、環境要因よりも遺伝要因の影響が強いことが知られています。
では、その遺伝要因とはどのようなものでしょうか。遺伝情報を伝えるDNAにはアデニン(A)・チミン(T)・グアニン(G)・シトシン(C)という4種類の塩基が並んでおり、タンパク質を構成するアミノ酸配列の情報が書かれています。
ヒトのすべての遺伝情報(ゲノム)は、DNAにある約30億個の塩基の並び方(塩基配列)で書かれており、その中のごく一部(2%以下)にタンパク質をつくるための情報である遺伝子があります。ヒトには約2万個の遺伝子があり、ゲノムの中に遺伝子が点在しています。
シナプスではたらく遺伝子が発症のカギ?
発症への影響度が大きいゲノム変異が見つかり始めたことで、そこから発症メカニズムを推定することができるようになりました。たとえば統合失調症や自閉症スペクトラム症の発症に大きく影響するCNV(ゲノムコピー数変異)に含まれる遺伝子が脳のどこかではたらいているか場所を調べると、神経細胞同士のつなぎ目であるシナプスに関連したものが多いことが分かりました。シナプスを介して神経細胞同士が情報のやりとりをしています。シナプスでの情報伝達の効率は変化することが知られ、学習や記憶に深く関連しています。
シナプスといっても、情報を伝える側のシナプス前細胞と、受け手のシナプス後細胞があります。CNVに含まれるシナプスのどこではたらいているのか私たちが詳しく調べたところ、シナプス前細胞とシナプス後細胞の両方であることが分かりました。したがってシナプスにおける情報を伝える側と受け手側の両方が、統合失調症と自閉スペクトラム症のメカニズムに関与すると考えられます。
これまでのさまざまな研究からも、統合失調症と自閉スペクトラム症はシナプスの機能障害に原因があるという仮説がありました。しかし患者さんの脳の中ではたらくシナプスを観察することは不可能なので、仮設を検証することが困難でした。シナプスで機能していり遺伝子に発症に関わる遺伝子変異が多いことは、シナプス仮説の有力な裏付けです。
それぞれの遺伝子が、脳の発達段階のどの時間に、どの脳領域ではたらいているかというデータベースがつくられています。そのようなデータベースとCNVのデータを茎合わせることにより、CNVが影響を与える脳の発達段階や脳部位についても推定できるようになるかもしれません。
ゲノム変異を手掛かりに病因を解明する
仮説は、実験で検証する必要があります。21世紀に入り、あらゆる種類の細胞に分化させることができるiPS細胞や、ゲノムを自在に書き換えられるゲノム編集という技術が開発されたことで、患者さんの持つゲノム変異の影響を、ヒト細胞レベルや動物個体レベルで調べる実験が可能になりました。
精神疾患の患者さんから提供された血液の細胞からiPS細胞を作製し、神経細胞に分化させて形態や機能の変化を調べる実験が行なわれています。また、ゲノム編集により精神疾患の患者さんと同様のゲノム変異をマウスに導入して、神経細胞、脳の活動、行動の変化を調べる実験が行なわれます。
私たちの研究グループでは、日本の統合失調症の患者さん約3000名のゲノム解析を行ない、7名のARHGAP10という遺伝子から稀なCNVを見つけ、発症リスクであることを見い出しました。
そのうちの1名の患者さんでは、ARHGAP10遺伝子2コピーのうち一方をCNVで欠失しており、もう一方では1塩基がほかの塩基に置き換わる変異が起きていました。後者の変異により、タンパク質をつくるアミノ酸の種類が1ヵ所異なります(ミスセンス変異)。
タンパク質は、20種類のアミノ酸が遺伝子の情報に従って順番に並んだものが折り畳まれてできます。患者さんで見つかったミスセンス変異により、ARHGAP10タンパク質の機能が低下することを確認しました。
その患者さんの細胞からiPS細胞をつくり神経細胞に分化させたところ、情報を伝えたり受け取ったりするための突起(後に軸索や樹状突起になる)が短いことが分かりました。突起の伸長が低下していたのです。さらに患者さんと同様のゲノム変異を導入したマウスでも、神経細胞の突起が短くスパイン(興奮性の刺激を受け取るシナプス後細胞の突起様構造物)の密度が低下していました。
行動解析を行うと、認知機能の障害や不安様行動が見られます(図2-5、画像参照)。