じじぃの「カオス・地球_37_時間の終わりまで・永遠の魅惑」

The 4 Dimensional Space Time With Brian Greene

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=lBusu_ANNNQ

Cosmic Queries: Until the End of Time, with Brian Greene


講談社 『時間の終わりまで』

【目次】
はじめに

第1章 永遠の魅惑――始まり、終わり、そしてその先にあるもの

第2章 時間を語る言葉――過去、未来、そして変化
第3章 宇宙の始まりとエントロピー――宇宙創造から構造形成へ
第4章 情報と生命力――構造から生命へ
第5章 粒子と意識――生命から心へ
第6章 言語と物語――心から想像力へ
第7章 脳と信念――想像力から聖なるものへ
第8章 本能と創造性――聖なるものから崇高なるものへ
第9章 生命と心の終焉――宇宙の時間スケール
第10章 時間の黄昏――量子、確率、永遠
第11章 存在の尊さ――心、物質、意味

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『時間の終わりまで 物質、生命、心と進化する宇宙』

ブライアン・グリーン/著、青木薫/訳 講談社 2023年発行

第1章 永遠の魅惑――始まり、終わり、そしてその先にあるもの より

来るべき時が来れば、生きとし生けるものはすべて死ぬ。過去30億年以上にわたり、単純なものから複雑なものまで、実に多くの生物種が、地球のヒエラルキーの中にその居場所を見つけてきたが、そうして花開いた無数の命の上に、死神の大鎌はつねにその影を落としてきた。生命が海から陸へと這い上がり、大地を歩きまわって、空を飛ぶようになるにつれ、生物の多様性は広がっていった。しかし十分に長く待ちさえすれば、銀河系の星のおりも多くの項目が書き込まれた生と死の台帳は、公平な正確さでぴたりと帳尻が合う。どれかひとつの生命が生まれてから死ぬまでに起こることは予測の範囲を超えるが、その生命が最終的に迎える運命は、確実に予測することができるのだ。

不気味に迫りくる死は、沈む夕日と同じく避けることができない。しかし、そのことに気づいているのは、どうやらわれわれ人類だけのように見える。

物語の主人公はエントロピーと進化

これから見ていくように、すべての物語で、ダブル出演を務めるふたつの力がある。第2章では、第1の力である《エントロピー》に出会うだろう。多くの人にとって、エントロピーといえば無秩序であり、「無秩序はつねに増大する」という決まり文句でおなじみだ。しかし、エントロピーには、物理系にさまざまな発展を許す一風変わった特徴があり、まるでエントロピー増大の流れに逆らってものごとが進展しているかに見えることもある。第3章では、ビッグバンに続いて、粒子たちが、星、銀河、惑星といった組織化された構造を作り、ついには生命の誕生へとつながる大きな流れに乗った物質配置へと進化する様子を見ていこう。また、エントロピー増大の流れに逆らって進展する物理系の重要な例もいくつか見ておこう。生命の誕生へとつながる大きな流れは、どのようにして始まったのだろうか? その問いが第2の有力な力である《進化》へと導いてくれる。
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宇宙の起源について考え、原子、恒星、惑星の形成を探り、生命の出現、意識、文化までを見わたしたところで、過去数十年にわたり、文字どおりの意味においても、象徴的な意味においても、人間の宇宙的な不安を掻き立てるとともに、なだめてもきた領域に目を向けることにしよう。すなわち、今現在から永遠へと続く未来だ。

未来についての考察

われわれは宇宙について知りえたことを、頭で理解する傾向がある。時間や統一理論やブラックホールについて、何か新しい事実を学んだとしよう。その事実はひととき心をくすぐり、もしも十分に印象的なら、そのまま居座ることになる。科学は本来的に抽象度が高いため、われわれはしばしば、科学的に知りえたことの中身を、経験的な事実認識に照らしてじっくり考えてみる。そうして考えるうちに、稀にではあるが、その事実がストンと腑に落ちることもある。しかしときには、科学が理性と感情の両方を揺さぶることもあって、その結果は強力なものになりうる。

ひとつ例を挙げよう。数年ほど前に、遠い未来の宇宙に関する予想について考えはじめたばかりの頃、私はもっぱら頭で理解していた。そのテーマに関する本や論文を、数学的に表現された自然法則から得られた、興味深くはあるけれども抽象的な洞察の集まりとして吸収していたのだ。それでも、生命も思考も、人間の苦闘も偉業も、すべては生命のない宇宙の年表上にひととき起こった逸脱なのだということを、本当に心に思い描こうと頑張ってみたとき、本や論文の記載を、以前とは異なる形で吸収していた。私はそれを肌で感じることができたのだ。そして、これもまた正直に言っておこうと思うが、はじめのうち、遠い未来について考えるのは楽しい経験ではなかった。数学と物理学から導かれた未来についての知識が、うつろな恐怖で私を圧倒したのだ。何十年間も、科学を学び、研究に従事するなかで、意気揚々とした感動の瞬間を経験することはあったが、そんな恐怖に襲われたことは、それまでただの一度もなかった。

その後時が経つにつれ、宇宙の未来に対する私の心情は洗練されてきた。今では、遠い未来について考えると心が平穏になり、宇宙との結びつきを感じることのほうが多い。私のアイデンティティーなどは、恵まれた経験への感謝としか言いようのないものに取り込まれてしまって、さして重要ではなくなったかのようだ。あなたはきっと私のことを個人的にはご存知ないだろうから、私という人間について少し説明させてもらおう。私は、厳密さを追求することに抵抗のない種類の人間だ。そして私は、何かを主張するために、方程式と再現可能なデータを使う世界の住人でもある。その世界では非常に高い精度が求められ、ときには予測と実験が少数点以下12桁まで合うこともある。そんな私が、心が平穏になって、世界との結びつきを感じるなどという経験をしたのだ。
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そしてまさしくそれこそが、私がスターバックスで得た感覚だったのだ。あのとき感じた心の平穏、そして宇宙との結びつきは、追いかければ追いかけるほど遠のく未来を捉えようと懸命になることから、宇宙的時間の中でほんの一瞬でも、息をのむほど素晴らしい今このときに自分は生きているという感覚への、ある種の移行を告げていたのである。私にその移行が起こったのは、生命は今ここに現実に存在しているという、単純ながら驚くほど精妙な真実を伝えようとしてきた詩人や哲学者、作家や芸術家、霊的賢者やマインドフルネスの教師らが、幾多の時代を超えて人々に与えてきた導きの宇宙論バージョンのようなものに強く働きかけられた結果だった。
言葉にするのは難しいが、それは多くの人たちの思考に染み渡っている心のありようなのだろう。われわれはその心のありようを、エミリー・ディキンソンの、「永遠――それは幾多の今から成り立っている」という詩句や、ソローの、「それぞれの瞬間に、永遠を見出さなければならない」という言葉に認める。それはひとつの世界観であり、時間の全体――時間の始まりから終わりまで――に深く沈潜するとき、いっそう鮮明にわれわれの目の前に広がる眺望だ。そしてその時間の全体こそは、「今」「ここ」に、現実に存在しているということが、どれだけ特別なことなのか、そしてそのひとときがどれほど儚く過ぎ去るものかを、このうえなく鮮明に浮かび上がらせる宇宙論的背景なのである。

本書の目的は、その眺望を鮮明に見てもらうことだ。宇宙の始まりに関する最先端の知識から出発して、科学が連れて行ってくれる限りにおいて、もっとも終末に近い時点まで時間を旅していこう。

初期宇宙のカオスから、生命と心がいかに出現したかも見ていこう。知りたがりやで、情熱的で、心配性で、内省する能力を持ち、独創的で、懐疑する心が、集団として何をするのか、とくに、おのれの死すべき運命に気づいたときに何をするのかもじっくりと見ていこう。
宗教の勃興、創造的表現への希求、科学の興隆、真実の探求、永遠への願望も、詳しく見ることになる。そこからさらに未来へ向かって歩き続けるよう背中を押してくれるのは、われわれの心の奥底にある、永遠を希求する思いだ。それはフランツ・カフカが、「破壊しがたい何者か」を求める気持ちと同一視した心情でもある。そうしてはるかな未来を目指して歩み続けることで、われわれにとって大切なもののすべて、惑星や恒星から、銀河やブラックホール、そして生命から心まで、われわれが知るところの実在を構成するものすべてについて、その行く末をまざまざと見ることになるだろう。

その道のりのいたるところで、人間の発見の精神が強い光を放っている。われわれは広大な実在を理解しようという野心的な探検者だ。過去数百年にわたる努力のおかげで、物質、心、宇宙という暗黒の領域に光が投じられてきた。これからの1000年で、知識の光球はさらに大きく広がり、いっそう明るく輝くことだろう。これまでの探険の旅ですでに明らかになったように、実在は、人間の行動規範や美の基準、人との交わりを求める心や、理解されたいという欲求、目的の探求といったことにはいっさい無関心な数学的法則に支配されている。それでもわれわれは、言語と物語、美術と神話、宗教と科学によって、淡々と進展する機械論的な宇宙の中でわれわれに与えられたささやかな分限を利用し、人々のあいだに広く行きわたった、内的統一性と、価値、そして意味を求める心に、声を与えようとしてきた。それは素晴らしい貢献だが、すぐに失われるだろう。
今から出発する時間の旅で明らかになるように、おそらく生命は儚い存在だ。生命の出現とともに勃興した知識もまた、生命の消滅とともに失われるだろう。永遠に存在するものは何もない。絶対的なものは何ひとつないのだ。したがって、価値と目的の探求において、われわれにとって唯一意味のある洞察、意味のある答えは、われわれ自身が作り出したものに関するものだけだ。つまるところ、光が当たっている短い時間のうちに、自分自身の意味を見出すことが、われわれに与えられた気高い任務なのである。

さあ、その仕事に取り掛かるとしよう。