じじぃの「カオス・地球_34_進化を超える進化・知識とイノベーション」

History and EVOLUTION of the WHEEL - from 3500 BCE to the PRESENT and BEYOND

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=YxwAMPmTodc

車輪の歴史 メソポタミア


人類と共に五千年!知られざるタイヤの歴史!

Mar.10.2021 Bridgestone Blog
タイヤを「物や人を運ぶための乗り物につける車輪」と定義すると、その起源は紀元前三千年のメソポタミア文明にまでさかのぼります。
人が車輪のついた乗り物を使っている様子が当時の壁画に描かれており、約五千年前という大昔から、人類がタイヤと共に暮らしてきたことがわかります。
https://www.bridgestone.co.jp/blog/2021031001.html

文藝春秋 進化を超える進化

【目次】
序章
創世記
第1部 火
第2部 言葉
第3部 美

第4部 時間

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『進化を超える進化――サピエンスに人類を超越させた4つの秘密』

ガイア・ヴィンス/著、野中香方子/訳 文藝春秋 2022年発行

第4部 時間 より

第13章 理性――自らの直感に相反する客観的事実の認識が科学を生む

知識とイノベーション

イノベーションは動物にも広く見られ、脳の大きさと相関関係にある。生物学者は動物の新しい行動を無数に観察している。たとえばイギリスの鳴鳥は、牛乳瓶のアルミ箔のふたをくちばしでつついて穴を開けて牛乳を飲む方法を発明した。屋根を滑り降りるカラスもいる。イノベーションは、緩慢な生物学的進化よりスピーディーに、動物の適応力を高める。ある研究では、イノベーティブな種の鳥は、人間によって新しい環境に移された時に生き延びる可能性がかなり高いことがわかった。わたしたちの祖先が地球上を比較的速く移動するには、イノベーティブな能力が欠かせなかったはずだ。

自ら実験し、試行錯誤しながら知識を獲得していくのは、おそらく人間にとって最も原始的な学習の方法だろう。脳はその持ち主の生存可能性を高めるための予測システムとして進化してきたが、世界との関わりを増やすことで、予測能力は高まっていく。乳幼児はその五感を通じて環境を理解していく。味わったり観察したりして、たとえば足でボールを蹴るとボールが加速する。氷は水より冷たい、といったことを発見する。しかし、これまでに見てきたように、文化的に進化してきた人間の脳は、社会の中で、学習する際には発明よりも摸倣を重視する。なぜなら、数多くの他者の経験を観察し、うまくいった方法を摸倣し、予測することは、自分の限られた経験に頼るよりはるかに効率的だからだ。イノベーションは、失敗する確率が高いリスキーな戦略であり、実のところ、あまり利用されない。
ある研究では、現実の状況で文化がどのように進化するかを、オンラインのプログラミングコンテストを用いて分析した。その結果、プログラミングの改良の大半は、最も成功したソリューションを摸倣しつつ微調整を何度も加えることによってなされ、イノベーティブな飛躍によってなされることはまれだった。摸倣とイノベーションの比率は、16対1だった。

イノベーションは比較的まれにした起きないが、それでも重要だ。なぜなら、人々がイノベーションに背を向け、成功したソリューションのコピーと改良ばかりするようになると、文化は徐々に多様性を失っていくからだ。そうなると、社会は十分な適応策を持たなくなり、急速な環境の変化などの危機に対処できなくなる。コピーとイノベーションという、2つの文化進化のプロセスが1つになって、集団脳に新たな可能性と機能性のカスケードを生じさせる。身長になされた改変が累積的文化に取り込まれ、淘汰圧にさらされ、最善のソリューションと見なされたものが、忠実にコピーされ、拡散していく。

しかし、イノベーションは無から生じるわけではなく、コピーによる進歩と同様に、集合的知性の上に築かれる。車輪が発明されると、ろくろ、荷馬車、戦車、手押し車、歯車、水車を思いつくのは容易になった。特にテクノロジーの発明は、物理学や生物学の法則に依拠しているため、科学知識の蓄積とともに加速する。

科学的文化、すなわち、実験と客観的な観測に基づいて世界を合理的に理解しようとする知的文化が育つにつれて、イノベーションも増えていった。知能設計(インテリジェントデザイン)は、累積的文化進化の爪車(ラチェット)を一気に回す。つまり、イノベーションが起きるには、あるレベルの文化の複雑さが必要とされるが、ひとたび何らかの洞察が得られると、社会は加速度的に進歩するのだ。

たとえば数学は、ゼロが発明されると飛躍的に進歩した。数学の最古の証拠は5000年前のもので、メソポタミアの古代シュメール人が記したものだ。彼らは数、総量、掛け算表、幾何学を発展させ、それをバビロニア人とギリシャ人が受け継ぎ、少しずつ進歩さえた。紀元7世紀にゼロが発明されると、ゼロで暗いを表すことで、たとえば1000と10000の区別が容易にできるようになった。簡単な財務会計をはじめとする多くの実用的な数字はもちろんのこと、高等数学も可能になった。また、ゼロは少数点以下の数字も無限に表示できるようにし、ニュートンのような思索家が新たな物理法則を考案することを可能にした(独善的なキリスト教徒は、「無」や「無縁」を意味するゼロは悪魔の数字だと主張し、1000年にわたってゼロをヨーロッパから追い払おうとしたが、成功しなかった)。

科学の進歩と人間の認識

判断は感情に左右される。そして、このこともまた、文化の複雑さと関係がある。芸術作品や特許申請を対象としたさまざまな研究より、社会が保守的で、規範が厳しくなればなるほど、創造性が乏しくなり、生み出されるイノベーションが少ないことがわかっている。テクノロジーは、自由な社会で最も早く進歩する。

時には合理的に判断するより、直感に従った方が良い結果につながることもある、と言うのも、非合理的な認知バイアスが予測システムからノイズを排除して、感情が絡む複雑な意思決定をうまくこなすことも多いからだ。たとえば、統計モデルは信用できるようでいて、実は間違いを起こしやすい。なぜなら、バイアスを含んでいたり、不完全だったり、あるいは複雑な現実の世界を評価するのには向かない数学的に完璧なシナリオに基づいていたりするからだ。
多くの金融モデルが2008年の金融危機を予測できなかったのはそのためだ。また意思決定においては、それが社会に与える影響も、重要な意味を持つ。金融機関の内部の人々は金融危機が迫っていることを予期し、不安を感じていたが、理性的な意見を述べることが社会にもたらすコストを恐れて、口をつぐんだ。また、党派性の強い状況では、多数派に従わないと追放される恐れがあり、そのような場合、個人にとっては、明らかな証拠を無視する方が理にかなっているかもしれない。なぜなら人間は、客観的に正しいことより、社会の結束やサポートネットワークを維持することを重視するからだ。

今も部族文化は、事実よりも強く多くの世界観に影響している。たとえば人間が引き起こした気候変動については、世界中の科学者がほぼ合意している。しかしアメリカでは、ありえないような意見の不一致が見られる。民主党員と共和党員の気候変動についての考え方は、両者の学歴が高くなるほど違ってくる。
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人間は霊長類の中で唯一、自分が知る情報とは異なる、あるいは反する情報という概念を進化させた種だと生物学者は考えている。すなわち、他の霊長類は自らの現状とは異なる状況を想像することができず、世界について自分と異なる考え方をする他者を想像できないのだ。しかし、人間にも問題がある。人間は自分の知らないものがあることも、他の人が自分と異なる考えを持っていることも知っているが、自分は合理的で、自分と意見の異なる人は非合理的だと考えがちだ。そうではなく、他者も自分と同じように合理的に考えているが、目的、背景にある信念、優先順位などがことなるのだと考えるべきだろう。

かつては、科学は世界について客観的事実を教え、人間の主観的解釈はそれについてどう考えればよいかを教える、と考えられていた。しかし科学は次第に、人間の主観的反応、すなわち、感情がどのように生まれ、どのように操作されるか、記憶はどのように生まれ、どのように捏造されるか、といったことも説明するようになった。
こうして人間の心の仕組みが解明され、ますます人間に近い人工知能が開発されていくにつれて、人間は意識の中の物語を読み解いて、完全に合理的な選択ができるようになるのだろうか? そうかもしれない。

強力なスーパーコンピューター「サミット」は、1秒間に20京回の計算をすることができる。人間の脳で同じ計算をするには、630億年かかる。だがわたしたちはサミットをきわめて凡庸なことの予測に使っている――お天気である。