夏休み!! 古代の火おこし体験
古代人の発火法
火起こし器
古代人の発火法は、
①摩擦法 ②撞撃法(どうげき法) ③圧搾法 ④光学的方法
の4つである。
http://web.thn.jp/ninjinhouse/r-k-hiokoshi.html
文藝春秋 進化を超える進化
【目次】
序章
創世記
第1部 火
第2部 言葉
第3部 美
第4部 時間
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『進化を超える進化――サピエンスに人類を超越させた4つの秘密』
ガイア・ヴィンス/著、野中香方子/訳 文藝春秋 2022年発行
第1部 火 より
第3章 環境――火と道具を使って狩猟をする人間が環境を飼いならすまで
いかに火を使い始めたのか
わたしが想像する火の起源は、もっと平凡だ。石器を作る時に石を打ちあわれると、火花(スパーク)が散る。それを見た祖先がそうやって火を起こすことを思いつくのは、大した飛躍ではない。もっとも、知られている限り、その飛躍を遂げたのはホミニン(ヒト族)だけだった。人類が火を使った痕跡は残りにくいが、これまで見つかった最古の証拠は150万年前のもので、東アフリカ大地溝帯の、考古学遺物が豊富なトゥルカナ地方で発見された。
火は、木の棒を別の木片の溝に擦りつけるという簡単な方法で起こすことができる。忘れがたい思い出だが、わたしはタンザニアの狩猟採集民であるハッザ族の狩りに同行した折に、彼らに教えてもらいながら火起こしを試みた。まず地面に座り、火床(平たい板)を両足でしっかり挟み、溝を掘る。次に、鉛筆に似た、滑らかでまっすぐな棒の尖った先をその溝に押し当て、両手で挟んで回転させる。わたしの場合、煙が出てくるまでに数分かかった。指南役は溝にひとつまみの火口(油脂の多い樹皮を削って乾燥させたもの)を載せ、それをカップ状にした両手で取り、息を吹きかけて、燃え上がらせた。
シンプルな方法だが、自分で思いつくことができたとは思えない。何より、棒や火床となる木の選択と探し方が肝心なのだが、それはあいまいでわかりにくかった。ハッザ族の男性の1人は、火起こし棒にひもを巻きつけ、手の平を使わずに棒を回すという効果的な方法を知っていた。彼はそれを他の人から教わったそうだ。いずれ、他の人にも教えるだろう。フランスのいくつかのネアンデルタール人の住居跡で見つかった遺物は、彼らが光沢のある鉱物、パイロルーサイト(軟マンガン鉱)を用いる高度な方法で火を起こしていたことを示唆する。パイロルーサイトを使うと、より低い温度で火を起こすことができる。考古学者らはこの黒い鉱石が大量に蓄えられているのを発見し、ネアンデルタール人はそれを粉状にして火口茸[サルノコシカケ科のキノコ]と混ぜ、今日のマッチのように、必要なときに火を起こしていたと考えている。どんな方法を用いるにしても、その情報は火起こしの材料と同じくらい貴重であり、世代から世代へと伝えられた。
狩猟と社交
祖先たちがサバンナに移住し、環境を作り変えた結果の1つは、高カロリーの脂肪や肉を蓄えた大型動物を狩りやすくなったことだ。人間が狩猟を行った最初の証拠は約200万年前のもので、祖先たちの身体構造や行動を変える、文化上の重大な変化が起きたことを語る。
何百万年もの間、ホミニドはおもに採食だったが、文化や環境が肉食を後押しするようになると、身体もそれに適応した。わたしたちの施栓は持久力のあるハンターへと進化し、土踏まずのある足で走るようになった。股関節と骨盤の幅は狭まり、臀部に筋肉がつき、背骨はS字型に、顔は平たくなった。広くなった歩幅に合わせて胴体や腕が長くなり、また、物を投げる能力も発達した。一部の霊長類は時々物を投げるが、石や槍を常に高速で正確に投げられるのは人間だけだ。それは、肩と胴体に投石器のような適応が起きた結果だが、そうなったのはおよそ200万年前だと解剖学者らは推定している。
また、体毛がなくなり、汗腺が劇的に増えた。おかげで、熱帯の炎天下を走っても、汗の蒸発によって体温を低く保てるようになった。ほぼ無毛になり、他のどの霊長類よりも汗腺の密度が高くなり、冷却用の汗を1日に何リットルも出せるようにしたのは、おそらくたった1つの遺伝子の変異だろう。同じ頃、肌を黒くする遺伝子が出現し、紫外線から身体を守れるようになった。わたしたちの遺伝子は、文化的行動に対応して体を変え、サバンナのどの動物よりも持久力が高く、槍などの射程距離に入るまで動物を追い詰められるようにした。
この一連の身体構造の変化は食生活を向上させたので、きわめて「適応的」な変化、すなわち、ある環境での生存率を高める進化的変化だったと言える。そしてこの変化は、認知、文化、社会の変化と結びついていた。遺伝子が定めた進化が軌道修正されたのは明らかだ。
火と道具と狩り
多彩な道具と火を用いて戦略的に狩りをする、この文化的に進化した生物は、環境に劇的な影響を与えた。
今日の東アフリカには、6種類の大型肉食動物がいる。ライオン、ヒョウ、チーター、ブチハイエナ、シマハイエナ、野生の犬だ。しかし200万年前までは、クマ、ジャコウネコ、サーベルタイガー、クマほどの大きさのカワウソを含め、大型肉食動物は18種類もいた。わたしたちの祖先が狩りを始めるとそれらの数は急速に減り、祖先が行く先々で、同じことが起きた。およそ1万1000年前の更新世の終わりまでに、約500万人の人間が10億頭の大型動物を一掃した。すべてを狩りで殺したのではないとしても、同じ獲物を狙ったり、獲物を横取りしたりして、それらと競いあっただろう。もっとも人間は雑食性なので、大型ネコ科動物と違って、獲物がない時はいつでも植物性の食料に頼ることができた。多くの頂点捕食者がいなくなったことで、東アフリカの生態系は、栄養カスケード[捕食・被食関係を通じて、生態系が変化すること]を起こし、小型の哺乳類や草食動物が爆発的に増え、樹木はますます減っていった。この生態系で新たにトップの座に収まったのは、地球史上、最も成功した捕食者だった。今日でも、ほとんどの大型動物は槍などの飛び道具を恐れる。それはわたしたち人間に対する適応だ。
火と道具と狩りという三つ巴(どもえ)の進化は、生態系にさまざまな影響を及ぼし、多くの動植物の進化の道筋を変え、それがまた、人間の進化の道筋を変えた。草食動物が減り、また、人間を恐れるようになると、槍を用いる狩りは難易度が高くなった。そうなると、槍を巧みに使うハンターほど、生存可能性と集団内での地位は高まり、多くの遺伝子を伝えたので、世代を経るうちに、解剖学的にも文化的にもそのスキルは向上していった。誰もがそのスキルを練習している環境で育つと、自然にそれが上手くなるものだ。
火起こしのスキルは、人間の道具箱の要だった。それによって人間は環境を変えただけでなく、進化に割り振られた熱帯というニッチから解放された。他の霊長類は今もそこに縛りつけられているが、人間は移動する獲物の群れを追い、好きな場所にキャンプを設け、住むのに適さない生態系を意図的に変えることができた。
人間の拡散の先駆者になったのはホモ・エレクトスで、熱帯地方から寒帯地方にまで住み着いた。それから何十万年も後に。ホモ・サピエンスの集団が似たような移動を始め、雨の乏しい時期には帯水層からの湧き水を頼りながら、アフリカの外へ出て行った。拡散のスピードは緩やかで、考古学的証拠や太古のDNAの証拠によれば、平均で1年に1キロメートルずつ移動しながら、中東に入り、さらに東へと広がっていった。
一部のサピエンスは、中東からはるか彼方のオーストラリア(当時はニューギニアとつながっていた)に渡った。6万年ほど前に、おそらく大規模な山火事の煙に惹かれて、彼らは航海に乗り出した。それは外洋を100キロメートルも渡る、命知らずの船旅だった。煙があるなら火があり、火があるなら植物に覆われた陸があり、そこには豊穣で(部族間の争いのない)平和な世界が広がっている、と彼らは夢見た。それは驚くほど進化した種による、途方もない旅だったが、そうするだけの価値はあった。最初のオーストラリアになった彼らは巨大な有袋類や鳥類や爬虫類がいて、先住民はいない、広大な世界を発見したのだ。