The Naked Ape (1973) Trailer
ヒトの文化の起源をさぐる -「なぜヒトは毛を失ったのか」(Newton 2019.10号)
進化の過程でヒトは毛をうしないました。衣服をきて、さまざまな自然環境に適応しました。文化そして文明を発展させました。
どうしてヒトは毛をうしなったのかについては諸説があり、十分にはまだ解明されていませんが、人類の進化(歴史)をしるうえで、体毛の退化はこのように重要な研究課題になっています。
http://tanokura.blog.jp/archives/80520776.html
私たちはどのようにして毛を失ったのか より
私たちにはまだ体毛はあるが、かつてほどには目立たないので、一見すると(実際はそうでないが)毛がないように見える。私たちが「裸の猿」になった経緯は正確には誰も知らないが、いろいろな可能性はあり、それぞれに賛成反対の論拠がある。文献を読みあさってみると、妥当に思われるものとして、水、温度、衣服、寄生虫、性の5つが挙げられる。
水から生まれた子
1960年、海洋生物学者のアリスター・クラヴェリング・ハーディ(1896~1985)は、イギリス・サブアクア・クラブ[ダイビングクラブ]の聴衆に、「水棲猿説」を紹介した。ハーディの説は、人類のごく初期の祖先は水中、あるいは水に囲まれて暮らしていたものがいるということだった。この論旨は、実際には人類の二足歩行を説明するためのもので、四つ足で屈んだままだと溺れてしまうだろうからということだった。しかし、この説を、目立つ体毛がないことの根拠に使う人々も出てきた。なめらかな体の方が、水中で食物を求めて狩りを行ないやすいからだ。水に基づく第2の説は、体毛の喪失は環境温度が上がっても耐えられるようにし、水を飲む必要を減らしたとする。水に関連させる第3の説は、泳ぐ場合、毛皮では遅くなり、保温もしないからということで、クジラやセイウチなどの水棲哺乳類のように、人間は毛皮を失い、もっと効率的な断熱材、体脂肪を得たという。こうした可能性に対しては、人間が水中あるいは水辺で暮らしていたとしても、眠るためには乾いたところに帰らなければならなかっただろうし、夜間には体温を保つには体毛が必要だったろうという反論がある。
暑さ
多くの哺乳類は、血液を頸動脈網という、脳に送られそこから戻ってくる血液を冷やす欠陥のネットワークで循環させて体を冷やす。人類では、この冷却装置が効果的でなく、祖先が比較的涼しい森を出て、非常に熱いアフリカのサバンナへ出たとき、まず、毛皮で覆われた体を冷却することがどれほど難しいかにきづいたかもしれない。私たちがそれにどう反応したかというと、比較的裸に近い、汗腺の数が増した体に進化した。
シャツとスカート
この説は、衣服仮説と呼ばれることもある。脳が十分な理性を持つようになったとき、人類は、夜間の冷たさの問題が衣服の発明で解決できることを発見し、その後、もともとあった滑らかな体への好みが、比較的毛がない方向に進む自然淘汰を生み出したとする説だ。
害虫対策
人間が体毛をなくすことで、害虫に襲われる率は減り、毛のないすべすべの皮膚は性的魅力を高め、そうして裸の猿の数と優位を高めた。
上の毛
私たちが二本足で立ったときから、頭皮はさらに直射日光にさらされるようになり、脳はその熱にさらされるようになった。すでに述べたように、私たちには脳を循環し体の他の部分に戻る血液を冷やす効果的な頸動脈網がないからだ。進化のおかげで、頭皮のがんのリスクを下げて少しでも脳を守っている濃密な髪がない場合と比べて、人の進化した頭の皮膚は日焼けもせず、温まりもしない。
中央の毛
思春期になると、男性は胸や腹に毛が生えるようになる。腹側の毛は恥骨部の方に達する。男性の腕は女性の腕より毛が濃く、肘から手首にかけてごわごわになっていく。同じことは人の脚にも言える。脛から足首にかけて濃く、もちろん男性の足の甲に県tyに生えていることもある。
下の毛
動物界の動物とは違い、ヒトという種には陰毛といういろいろデリケートな領域がある。
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どうでもいい、じじぃの日記。
私たちはどのようにして毛を失ったのか。
「それぞれに賛成反対の論拠がある。文献を読みあさってみると、妥当に思われるものとして、水、温度、衣服、寄生虫、性の5つが挙げられる」
人が毛を失った仮説のなかでは「サバンナ説」がもっとも有力のようです。
人が遠くまで行って狩りをするようになり、汗をかき毛がなくなっていったという説です。
私は、「水棲説」+「ネオテニー説」です。
水中で魚を獲っているうちに二足歩行になり、火を使っているうちに顔と体形が「かわいく」なっていき毛がない方が好まれるようになった。
ほんとかな。