じじぃの「歴史・思想_106_数学の天才・先駆者・フワーリズミー」

フワーリズミー とは

コトバンク
アラビアの数学者,天文学者。その生涯について詳しいことはわかっていない。アッバース朝のカリフ,マームーンの宮廷に占星術師として仕え,初等代数学とインド・アラビア記数法に関する書物を著わした。
前者はバビロニア,ヘレニズム,ヘブライ,およびインドの数学の影響を受けており,実用的な主題を扱っている。 12世紀にラテン語に訳され,その表題の一部"al-jabr"からアルジェブラ (代数) という言葉が生れた。また現在は広い意味に使われているが,古くは算数を意味していたアルゴリズムという語は後者の書物の表題から生れた。これらの書物はラテン語訳を通してヨーロッパの数学に直接的な影響を与えた。このほか彼は天文表も作成している。彼の天文学の本には,アラビア語による最初の正弦表と正接表が書かれている。

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『数学の真理をつかんだ25人の天才たち』

イアン・スチュアート/著、水谷淳/訳 ダイヤモンド社 2019年発行

アルゴリズムはこう言った ムハンマド・アル=フワーリズミー より

フワーリズミー(780年頃から850年頃)
800年頃、アッバース朝第5代カリフのハールーン・アッ=ラシードが、他文化からアラビア語に翻訳した書物を収めた図書館バイート・アル・ヒクマ(知恵の館)を創設した。息子のアル=マームーンがその事業を完成させ、ギリシャの膨大な文書と大勢の学者を集めた。バグダッドは哲学と交易の中心地となり、遠くは中国やインドからも学者や商人を引き寄せた。そのなかの一人が、数学史における重要人物、ムハンマド・イブン・ムーサー・アル=フワーリズミーである。
アル=フワーリズミーが生まれたのは中央アジアのホラズム、現在のウズベキスタンのヒヴァである。アル=マームーンのもとで大きな業績を残し、急速にうしなわていくヨーロッパの知識を生かしつづける役割を果たした。ギリシャ語やサンスクリット語の重要な文書を翻訳するとともに、自身でも科学や数学、天文学や地理学を前進させ、現代ならベストセラーといえる一連の本を書いた。

現代にまで影響をおよぼしているアルゴリズム

アル=フワーリズミーの著作のなかでも、書かれた当時とそれから何百年にもわたって最も大きい影響をおよぼしたのが、前に述べたように「アルゴリズム」という言葉の語源となった『インド数学を使った計算法について』である。当時、「アル=フワーリズミーはこう言った」という意味の”dixit Algorizmi”というフレーズは、数学をめぐるどんな議論でも決め手となった。また、教師は「彼の言葉を聞きなさい」というのを決まり文句にしていた。
インド数字はもちろん、0123456789という10種類の÷を並べてあらゆる数を書くことのできる十進記数法の先駆けだ。アル=フワーリズミーは、著作の題名にも示しているとおり、これはインドの数学者の功績であるとはっきり述べているが、中世ヨーロッパでのアル=フワーリズミーの影響力があまりにも大きかったために、この記数法はアラビア数字と呼ばれるようになった(インド=アラビア数字と呼ばれることもあるが、それでさえインド人への扱いは不当だ)。

さまざまな分野の著作

アル=フワーリズミーは、数学だけでなく地理学や天文学についても著している。833年に書いた『キターブ・スーラト・アル=アード』(大地の概念の本)は、それまで規範とされていた、150年頃に書かれたプトレマイオスの『地理学』を、最新の内容に書き替えた本である。当時知られていた範囲の世界の地図帳を自作するという体裁の本で、3種類の座標格子の上に各大陸の輪郭を描くとともに、そこに主要都市などの目印を書き込む方法を説明している。また、地図作成の基本原理についても論じている。
この本では、列挙された地点が2402ヵ所に増やされ、プトレマイオスによるデータの一部が修正されている。とくに、地中海の幅が過大に見積もられていたのが改められている。また、プトレマイオスは大西洋とインド洋を陸地に囲まれた海として示していたが、アル=フワーリズミーは果てしなく続くものとみなしている。