じじぃの「カオス・地球_08_人間がいなくなった後の自然・スコットランドのスウォナ島」

Swona - Memorial to a lost way of life

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Stones on Swona


Orkney Image Library - Stones on Swona

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『人間がいなくなった後の自然』

カル・フリン/著、木高恵子/訳 草思社 2023年発行

第3部:長い影 より

第10章 ローズコテージへの旅:スコットランド、スウォナ島

ちいさな漁の島の末路

ここは、スコットランド本土の最北端の沖にある小さな島、スウォナ島。辺境の地にありながら、人が住んでいた長い歴史を持つ場所である。チェンバード・ケアン(埋蔵記念館)は、紀元前3500年あるいはそれ以前に、新石器時代の農民がいたことを証明している。おそらくその4000年後に、ケルト人の宣教師たちが、漕ぎ船で上陸してきた。ノルウェー人は、9世紀頃に上陸し、彼らの子孫は1000年経ってもそこにいた。人々はここに流れ着き、留まった。

名前も違えば、言葉も違うが、人間が生きていくための基本はほぼ同じである。家畜の世話をし、肥沃な土地で大麦やオート麦を栽培し、低い石垣で囲んだ畑でルバーブ(ショクヨウダイオウ)やジャガイモを栽培し、そして船を作った。その船でシロイトダラや小型のサメを捕獲し、塩分を含んだ空気で乾燥させた。牛を飼っていた。新石器時代にまでさかのぼることができる家畜である。

18世紀には、島には9世帯が居住していた。どの世態も小さな土地に植物に栽培し、古い家屋の石を転用して新しい家を建てていた。国勢調査に登録された名前は、10年毎に、世代毎に、絶え間なく変化していった。ハルクロウ、ガン、アラン、ノークォイ、ロージー。島の暮らしは、世紀から世紀へと、あまり変わることなく続いた。しかし、突然、そうではなくなった。

1920年代、魚市場が崩壊し、地域の多くの人が主な収入源を失った。島の外では、世界が急速に変化していた。防波堤と渦巻く潮、渦と急流に取り囲まれた岩の多いこの島に留まって、取り残されるよりはと、多くの人が島を離れることを決意した。

ある者は、海を渡ってオークニー諸島の最南端にあるサウス・ロナルドセー島に向かった。またある者は、スコットランド本土に向かった。島の最高地点であるウォービスター・ヒルに立てば、海を隔てて南の方向にスコットランド本土が見える。移住を決意し、まったく新しい人生に賭けようとする者もいた。そこには、彼らがほんの一角しか見たことのない世界が広がっていた。1927年、島に残ったのはロージー家のみとなった。

牛たちの楽園

これらの牛は、1974年の夜に放たれた牛の子孫である。それから46年が経ち、ローズコテージと同じように、牛の性質の変化していった。管理者のいない家畜化された動物が、変化して野生化していく。そしてますますその野性味を増していく。

古い写真を見ると、ロージー家の使役動物は大きくて肉づきがよく、喜んで首輪をつけ、収穫機に乗る主人を引っ張っている様子が写っている。肉体労働をまぬがれた家畜は、ある種のペットである。毎日手入れされ、肉とミルクを得るために飼われる。1頭1頭が名前を持っていて、切妻屋根の家畜小屋の中に自分の場所があった。見慣れた光景である。毎日の習慣と入念な訓練によって従順で素直な家畜になった。初めて放し飼いにされ、自由になったとき、彼らは何を思っただろう。家畜小屋の前で、乳しぼりと餌を待って、どのくらいの間たたずんでいたのだろう。

当初、ロージー家の親族である義兄のサンディー、その後は彼の息子たちが、この島を管理し、家畜の世話をする予定だった。最初の頃は、雄牛の去勢を試みたり、後には市場で売った岩の多い土地や廃屋で放し飼いにした。そして、鎮痛剤を打った家畜を船に載せて運び出す。

しかし、この作業には少なくとも6人の人間が必要だった。3人が船を操縦し、3人が牛に無口(むくち、いくつかの輪で構成されている)と首輪をかける。数年すると、この作業は報酬が少ない割に仕事量が多すぎることがわかった。さらに悪いことに、この方法で島から出された動物のほぼすべてがストレスや病気なので死んでしまった。このようなことに対する抵抗力を持っていなかったのだ。だれもいない島で、自分たちだけで生きていくことに慣れてしまった動物たちは、もはや穏やかな巨人ではなく、自分たちを封じ込めようとするものを拒む重量級の獣となった。

野生化とは何か

家畜化とは、人と動物が何世代にもわたって育む関係である。これは単に飼いならすという範疇を超えた、個人と固体との美しく、複雑で、魅力的なプロセスである。

では「野生」であるとはどういうことなのか。
これはおそらく、解釈によって変わりやすい性質のものであり、その定義はだれが名づけるかによって変わる。もし、「野生」という言葉を、人間の手を借りずに生き抜くという意味、つまり実際に人間とは離れて生活し、人間社会で残飯をあさって生きているのではないという意味で使っているとしたら、スウォナの牛はすでに野生である。「野生」という言葉を、その行動、人間に対して犯行的で、予測不可能で、自由に振る舞い、制御不可能であるという意味で使っているとしたら、スウォナの牛はすでに野生である。しかし、もし、「野生」という言葉を、人間が手につけていない、つまり家畜化されたことも、飼いなされたこともない。「汚された」ことがないという意味で使っているとしたら、スウォナの牛たちは二度と野生に戻ることはないと言える。

スウォナの牛は確かに野生化した牛である。一度家畜化されたものが、再び「野生の状態」に戻ったものだ。世界には、いろいろな種類の野生動物がいる。野生の馬の群れ(ムスタング、ブランビー、クリオージョなど)はオーストラリアやアメリカ大陸の放牧地を自由に行き来している。野生のハトは、街の通りを、足首を斜めに向けて、たどたどしく歩いている。野生のブタはアメリカ南部の田舎町で大混乱を引き起こしている。野生の犬は、人に噛みつき、都会の悪地で残飯をあさる。この「野生」という言葉には、荒っぽくて猛々しい、だらしない、といった複雑な含意がある。自然界のある種の不純物である。

しかし、現在あるいは将来のある時点で、そのバランスが崩されることはあるのだろうか? 野生で生きていく厳しさが家畜としての抑えの糸目をほどき、それがあまりにも完全にほどかれて、かつて家畜化されていた種が再び真の野生であると見なされるときである。

牛の場合、この糸ははるか昔から徐々にほぐされてきたに違いない。全世界に14億頭いるといわれる牛はすべて、1万年以上前のオーロックス(家畜牛の先祖にあたる野生の牛)から家畜化された80頭ほどの群れの子孫と考えられる。

逆進化

何か深遠なものが働いている。それはここスウォナ島では明らかである。廃墟から死臭が漂うスウォナ島では、変化しているのは動物たちの行動だけではない。この新しい家畜の王国では、もう十数世代が経過している。多くの死があり、多くの誕生があった。私たちが自然淘汰と呼ぶプロセスが作用し始めている。おそらく、この集団にとって、1万年ぶりのことである。

彼らは今、近親交配で得た集合的な知恵に依存している。そして飼われている親族たちにとってはほとんど心配する必要のない多くの危険に直面している。非常に迅速に、特定の形質が選択されるようになる。1つには、少ない食料でもすくすくと育つ能力である。また1つには分娩の容易さである(通常、所産の場合、約半数が出産に介助を必要とし、疲れ切った農夫が分娩介助用のストラップやチェーンを持って分娩舎を巡回するものだが、分娩舎などないスウォナ島では、これは痛ましい死を意味する)。雄牛の場合は、支配と攻撃である。これには用語があり、「逆進化」という。つまり、先祖の生活環境に戻った後、先祖の姿に戻ることである。
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あと1万年あったとしても、この非家畜化した牛たちが祖先のオーロックスの姿に戻る可能性はほとんどない。おそらく、2000~2500世代の家畜化を経て、オーロックスの遺伝子は歴史の中でほとんど失われてしまっただろう。2世紀後に、私たちがスウォナ島に帰って来たとしても、野生の目をして、厚い皮を持ち、肩まで1.8メートルもある獣でこの島があふれている景色を見ることはないだろう(実際、ほとんどの島の哺乳類の体型は小さくなる傾向にある。大昔、マルタ島キプロス島には小さなゾウが生息していた。インド洋に浮かぶ小さな火山島、アムステルダム島の2000頭の野生種の牛の群れは、1871年に最初の5頭が持ち込まれてから2010年までの間にその体の大きさは4分の3ほどになった。そして2010年には、自然保護活動家によってすべての牛が射殺された)。

しかし、いつかはスウォナの牛の「真正性」、つまりその存在の独立制をめぐる疑問は消えるだろう。野生化した動物は、ある一定の時間が経つと、家畜化されていた過去があっても、彼らは野獣になる。その時には、彼らは独自の進化を遂げた芸術作品になっていることだろう。