じじぃの「カオス・地球_05_人間がいなくなった後の自然・無秩序の時代・パターソン」

The Paterson Silk Strike of 1913

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=UGNv6kPt950

Paterson, New Jersey: America's Silk City


パターソン (ニュージャージー州)

wikiwand より
2010年の国勢調査による市の人口は146,119人であり、前回2000年国勢調査より約2%減少した。ニュージャージー州では3番目に大きな市である。
18世紀末に産業革命が始まった時、パターソン市はアメリカの工業化の先端を走り、その隆盛と空洞化の歴史を見てきた。19世紀後半に絹の生産では図抜けていたので、愛称は「絹の市」である。
【歴史】
1791年、アレクサンダー・ハミルトンは有益な製造者設立のための協会 (S.U.M.)創設を支援した。この協会はパセーイク川のグレートフォールズからのエネルギーを利用することを奨励し、イギリスの製造者に依存しない経済を作るためのものであった。この協会によって作られたパターソンの町はアメリカにおける産業革命の揺籃となった。パターソンの名前はニュージャージー州知事でアメリカ合衆国憲法に署名した政治家ウィリアム・パターソンの名前に因んで名付けられた。

パターソンで発展した産業には、落差77フィート (23 m)のグレートフォールズからエネルギーを取り出す水路の仕組みが使われた。市は滝を中心として成長を始め、滝のエネルギーを使う工場は1914年まで存在した。その地区には数十の工場や製造用構造物が立ち並び、当初は繊維産業、後には武器、絹および鉄道用機関車が造られた。1800年代の後半、絹の生産が重要となり、パターソンが最も繁栄した時代の基礎となった。市のニックネームも「絹の市」になった。1835年、サミュエル・コルトがパターソンで武器の製造を始めたが、数年のうちにコネチカット州ハートフォードに拠点を移した。19世紀遅く、ジョン・ホランドが発明した潜水艦の実験場となった。ホランドが作った2つの初期モデルのうち、1つはパセーイク川の底で見つかり、パセーイク・フォールズに近い工場跡にあるパターソン博物館に展示されている。
https://www.wikiwand.com/ja/%E3%83%91%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%82%BD%E3%83%B3_%28%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%BC%E5%B7%9E%29

『人間がいなくなった後の自然』

カル・フリン/著、木高恵子/訳 草思社 2023年発行

第2部:残る者たち より

第6章 無秩序の時代:アメリカ合衆国ニュージャージー州、パターソン

繊維産業の衰退

ウィーラーをネットで見つけた。彼は都市探検家として有名で、ニュージャージーの暗黒世界を描いた彼の散文詩を、発見に胸に躍らせながら読んだ。「朽ち果てたコンクリートと有毒廃棄物に安らぎを感じる」と彼は書いている。「私の目標は、古い工場、廃車、廃棄されたオイルタンカー、沈んだボートを見つけること……幹線道路の急所、下水道の汚れた底……忘れられた世界」。私たちには共通点があると思った。

ウィーラーは、光沢のある真っ黒な小型トラックに乗り、黒色のアーミーブーツ、黒色の戦闘ズボン、黒色のパーカーを身に着けている。このフードを時々、短く刈った頭にすっぽりと被るという神経質な癖がある。私たちは滝の近くに車を停め、毎秒約7万6000リットルもの水が滝つぼに流れ込む様子に目を見張った。1778年当時と同じように轟音を立てる獰猛な獣が、今はリリパット人(『ガリバー旅行記』の小人)の配管やコンクリート側壁に抑えつけられている。ウィリアム・カーロス・ウィリアムズは彼の壮大な詩『パターソン』に書いた。「上流の過去、下流の未来、そして流れ落ちる現在」

100メートルも離れていないところに、かつての二グロリーグ(アフリカ系アメリカ人を中心とした野球のリーグ戦)の野球場がある。放棄されてから20年になる。アスファルトの表面はひび割れ、銀色の雑草に縁どられている。スタンドには、細い木が列をなして生えている。私たちはフェンスの裂け目をくぐって、ダイヤモンドに出てみた。暗緑色のスコアボードの黒いパネルは、曇って汚れ、ダイヤモンドの名残りを見下ろしながら、次の試合を待っている。ダイヤ型に編んだ鋼鉄ワイヤーのフェンスの別の裂け目から急勾配のぬかるんだ道に出る。その道は皮を見渡す岩場の断崖の上にあり、川向うには都心の工場跡も見える。私たちの真正面には、森の林冠から不釣り合いに突き出ているレンガ造りの煙突が、優雅な円柱のように立っている。眼下の森の隙間からは、崩れ落ちた建物の炭化した跡が見えた。

最盛期には、パセーイク川はパターソンの350棟の工場を動かし、工場は4万人の労働者を雇用していた。この街は、好景気と不景気の波にもまれた。最初は「アメリカの綿花の町」だった。

その後、短期間だが活気あふれる世界の機関車の中心地になった。サミュエル・コルトはこの地で最初の連発式ピストルを製造し、ジョン・ホランドは最初の潜水艦を試した。いくつかの産業が花開いては去っていった。行き詰まった産業があってもこの工業地域は新たによみがえった。20世紀の終わりには「シルク・シティ」として生まれかわり、赤レンガの工場は織物や染物工場に転用された。

足元に広がる2万8000平方メートルの広大な敷地には、産業界の歴史が凝縮されている。旧繊維工場、旧コルト銃製造工場、そしてかつてその工場を支えていた古びて空っぽの水路を含む広大な複合体。これは現在ではフェンスに囲まれ、見ることはできない。
アライド・テキスタイル社跡は、数十年もの間、そのほとんどが放置され、アメリカの製造業の衰退、かつてそれらに依存していた地域社会、そして何よりも工業時代の有害な遺産を象徴していることで知られる。

1945年、この都市の自治体は完全に破綻した。水路は干し上がり、工場は閉鎖され、草木が生い茂るようになった。潮は引いてしまった。しかし、パターソンの人口は多いままで、皆が干し上った。現在、15万人の住民のうち約3分の1が貧困層で、失業率は全国平均の2倍、犯罪組織による暴力が横行している。毎年、20件前後の殺人事件が発生する。2019年4月には、7時間の間に4件の銃乱射事件が発生した。麻薬はありふれたものであり、入手は容易で、特にヘロインは簡単に手に入る。

汚物の洪水

パセーイク川沿いの図体の大きな工場跡は、この地域の過去の産業の最も明白な遺物かもしれない。しかしもっと陰湿なものもある。私が直接目にした、貧困と薬物依存の問題はそのうちの2つである。そして、もう1つは、水の中にある。

染物工場、ボイラー・ハウス、鋳物工場、街の食肉処理場は、すべて廃棄物を出す。そしてその廃棄物はすべて同じ方法で処理されていた。工場に動力を供給する川が、工場からの廃棄物を流すパイプの役割も果たしていたのだ。工場時代の初めは、川に流すのは理にかなっていると考えられていた。川に流すと下流を運ばれ、海に流れ込み、消えてしまう。染物工場では大きな桶の中で液剤を熱し、絹糸のかせ(糸の束)を浸して色をつける。これらの桶の中身は、壁のパイプから直接川へ流された。パセーイク川の色で、曜日がわかるという地元の言い伝えがある。

  川の半分は赤く、半分は工場の排水口から
  熱いまま吐き出されて湯気の立った紫色で、
  渦巻き、泡立つ。
    (ウィリアム・カーロス・ウィリアムズ著、沢崎順之助約、『パターソン』、思潮社、1994年)

この地域の先住民であるレナペ族が知っていたマスの棲むせせらぎは、人間の排泄物、工業用化学物質、その他廃棄を必要とするあらゆるものが入り混じった川と化した。1894年、この地域を訪れたニューヨークの記者は、パセーイク川に注ぎ込まれる「汚物の洪水」を恐怖をもって目の当たりにした。その汚水は皮を「不潔で真っ黒な液体」に変え、そこに浸した紙を真っ黒に染めた。彼は「腐敗物から放たれるひどい臭い」を追って、大滝の下へ行くと、そこには何百匹ものスズキの死骸があった。魚たちは「滝を越えてやってきて……毒の水ですぐに死んでしまったのだ」。
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ウィリアム・カーロス・ウィリアムズは当時、こう宣言していた。「キリスト教界で最悪の汚物窟」。そうだったかもしれない。しかし残念なことに、もっと悪いことが待っていた。