じじぃの「カオス・地球_04_人間がいなくなった後の自然・荒廃都市・デトロイト」

荒廃都市 デトロイト


Eliminating blight could cost bankrupt Detroit more than $850 million

MAY 28 2014 CNBC

https://www.cnbc.com/2014/05/28/eliminating-blight-could-cost-bankrupt-detroit-more-than-850-million.html

デトロイト

ウィキペディアWikipedia) より
デトロイト(Detroit)は、アメリカ合衆国ミシガン州南東部にある都市。
南北をエリー湖ヒューロン湖に挟まれており、東はカナダのウィンザー市に接する。アメリカ中西部有数の世界都市。主要産業は自動車産業であり、「自動車の街」とも呼ばれる。また近年ではスタートアップ企業・ロボット産業・医療産業などが盛んとなっている。
また失業率・貧困率が高く、犯罪都市としても知られていた。人口は2000年の国勢調査では約95万人、2020年では64万人と減り続けている。デトロイトの都市圏(大都市統計地域:MSA)の人口は約373万人 (2020年) で全米12位・フリントなどを含めた広域都市圏の人口は約439万人 (2020年) で全米14位の人口を抱える。
財政破綻
2013年7月18日に財政破綻の声明を発表し、ミシガン州の連邦地方裁判所に連邦倒産法第9章適用を申請した。負債総額は180億ドル(約1兆8000億円)を超えるとみられ、財政破綻した自治体の負債総額で2013年当時において全米一となった。
市の発表している統計では子供の6割が貧困生活を強いられており、市民の半分が読み書きもできず、市内の住宅の3分の1が廃墟又は空き部屋となっており、市民の失業率は18パーセントに達する。また、警官が通報を受けて現場に到着する平均時間は、人手不足のために58分かかる。

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『人間がいなくなった後の自然』

カル・フリン/著、木高恵子/訳 草思社 2023年発行

第2部:残る者たち より

第5章 荒廃都市:アメリカ合衆国ミシガン州デトロイト

デトロイトはその規模を縮ませた都市である。この街はそこに住む人々にとってあまりに多きすぎるのだ。かつてはアメリカで4番目に大きな都市だったが、70年前から衰退の一途をたどり、人口はほぼ3分の2に減少した。

そのため、街を車で走ると、通りを全速力で駆け抜けることができる。時には一帯が腐敗しているかのように見える光景に出会う。何万もの家屋が空き家となり、崩壊しつつあるのだ。屋根板は温められた砂糖衣のように溶け、レンガ柄の板は列からずり落ち、朽ち果て建物は、歯が抜けた跡のように鋭角的な隙間を形成している。

この腐敗の始まっている場所と終っている場所は、はっきりとしているようだ。ある地域は清潔でよく手入れされていて、向上心を感じる。しかし、ほんの数ブロック離れたところ、道路に設置された格子から立ちのぼる湯煙をくぐり抜けると、悪夢のような逆転現象に出くわす。空気は湿り気を帯び、空は暗くなり、建物はどこか呪われているようだ、屋根は垂れ下がり、湾曲し、壁は互いに倒れ合っている。植物が屋根の隙間から侵入し、内側からガラスに葉を押し当てれいる。倒れた椅子や古い乳母車が、成長しすぎた芝居の間の通路に立ちふさがっている。この現象には名前がある。それは「ブライト(blight)」と呼ばれている。

ブライト:街の一部に立ち並ぶ廃屋に見られる文字通りの荒廃を、いかにも詩的に表現している言葉。侵入者を防ごうとして家屋は、窓や扉に板に被せられ、まるで目をおおわれているかのような、不穏な外観を見せている。中には、もとは立派な通りに建っていた建物だが、つる草に包まれて、おおい隠されているものもある。デトロイトでは、住宅を中心に、8万戸以上の建物が空き家になっていると考えられる。あるものは板でおおわれ、あるものは風雨にさらされ、あるものは不法占拠されている。不法占拠者たちは、電気も水道もない家の中で煮炊きをし、寝泊まりしているのだ。

それでも、5年間で1万9000戸もの建物が市によって跡形もなく取り壊された。その存在を示すものは、空き家に残る建物の基礎、今はない設計図に基づいて作られた間取りの跡のみである。現在では、通りだけがどこまでも続き、行けども行けども空き地しかない。人々が家族と過ごした場所、赤ん坊が生まれ、その子が初めて歩いた場所、年金生活者が蒸し暑い夏の夕べをポーチで過ごした場所――それらがなくなってしまった。残されたのは空き家のみだ。数十ブロックが連なって空き家となっているところもある。この広大な土地は「都会の草原」と呼ばれるようになった。

大きなビジョンの功罪

私は不思議に思う。ここに留まる人がいるのはなぜだろう?
依然として、留まる人はいる(「昔とは全然違う」と、ある住人は地元の記者に言った。「でも、ここは自分の家ですから。ここが我が家なんです」)。

研究者たちが、「グラスゴー効果」について最初の論文を発表したとき、この未解決の謎は人々の想像力をかきたてた。研究者たちにとっては残念なことに、この未知の要因は、やがて独り歩きし始めた。普通より30パーセントも高い、グラスゴーの若死に率は未知の要因によって引き起こされているかもしれない。それは、私がある研究者に告げたように、魅力的な謎だった。

その研究者の表情から、私の熱意を不快に感じているのがわかった。謎は街のために何の役にも立っていない。彼は私を非難した。いずれにせよ、間もなく発表予定だった新しい論文によって、死因の大部分の説明がされた。その要因の1つは、放棄され、廃墟となった土地に近接していることである。暴力、有毒物汚染、精神疾患との関連が指摘されている。もう1つの要因は、定義することが難しい。

それは、このようなことだった。グラスゴーは、20世紀、スラム撤去と押しつけがましい「都市再生プロジェクト」によって大いに苦しんだ。ル・コルヒュジェ(フランスの建築家)の理論と彼のユートピア思想に誘発され、グラスゴー市は長屋をブルドーザーで壊して高層住宅にし、若者と健康な人々を実験衛星都市「ニュー・タウン」に詰め込んだ。研究者たちは、こうしたことが都市の「社会機構」を破壊してしまったと言う。住民を支えてきた土台が壊されてしまった。気力は低下し、健康が損なわれた。そして「絶望の病」がやってきた。

進歩の名の下に「悪い」地域を切り取るという方法は、結局、街全体を切り裂いてしまった。
アメリカでも、反ブライト・プロジェクトには長く困難な歴史がある。モダニズム建築は、環境が新しく整然としたものになれば、そこに住む人々もそうなるという考え方に根差している。そのためには、その先頭に立つ壮大なビジョンが必要だった(ル・コルヒュジェは「都市の設計は、市民に任せるにはあまりに重要である」と書いている)。

しかし、壮大なビジョンは、最も貧しい人々、最も弱い人々を犠牲にして実現されることが珍しくない。デトロイトでは、アフリカ系アメリカ人がそうなった。

1950年代から1960年代にかけて、ブラックボトムやパラダイスバレーなどの「ブライト化した(荒廃した)」住宅から追い出されたのは、圧倒に彼らだった。そして最先端の高層「団地」に再入居させられた。コンクリート造りの団地を建てるため、地区全体の古い住宅は取り除かれ、建物は新しくなった。しかし、以前から抱えていた問題はそのままだった。それどころか、倍化していた。
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コンスタンスは微笑みながら、いなくなった隣人の家の窓に布きれをかけていた。ジョン・ジョージは、自宅の裏の他人の家に板を張っていた。トムは、公園の草刈りをしていた。私は、空き地にできた市民農園を通りすぎた。空っぽの建物の側面に描かれた色とりどりの壁画。それらのすべてが、暗黙のリフレインを繰り返していた。ここが我が家、ここが我が家、ここが我が家、と。
ブライトの治療法があるとすれば、それはまさにここにある。あと2回刈れば芝生になる。