じじぃの「歴史・思想_102_世界の幽霊屋敷・町、都市、島」

Ellis Island

Salem Ghosts

wolf and boy adorns a wall

『絶対に出る 世界の幽霊屋敷』

ロバート・グレンビル/著、片山美佳子/訳 日経ナショナル ジオグラフィック 2018年発行

町、都市、島

ペストが猛威を振るった数百年間、ヨーロッパでは人の移動が厳格に管理されていた。ひとたび町に侵入すれば、ペストは瞬く間に蔓延し、数週間で10人に1人が命を落としたからだ。犠牲者の数が多すぎて埋葬が間に合わず、遺体が山済みになり、二次感染の恐れも広まった。生存者はまさに戦々恐々といった心持だっただろう。「検疫(quarantine)」という言葉はこの時代のイタリアで生まれた。ペストの流行中、ベネチアでは他所からやってくる人々を足止めしていた。ペストの犠牲者の埋葬地となったベネチアのラグーンに浮かぶ島では、死体が土の量を上回ったという。

エリス島の建物の廊下 (米国ニューヨーク)

米国への入口だったエリス島には、62年間で約1200万人の人々が上陸した。中には「自由の国」の大地を踏むことができなかった移民もいる。エリス島に到着した人々の多くは長旅から不調をきたしており、約3000人が回復することなく移民用の病院で命を落とした。島にはその不運な人々の幽霊が今でも出るという噂だ。子供の声が聞こえたり、家具がひとりでに動いたりするという。

ザ・ハウス・オブ・セブン・ゲイブルズ(七破風の屋敷 米国マサチューセッツ州 セイラム)

セイラムは1692年の夏に19人が処刑された魔女裁判で悪名高いが、町のは他にもたくさんの心霊スポットがあり、毎年10月には25万人以上が訪れる。
宿屋の女主人ブリジット・ビショップはセイラム魔女裁判の最初の犠牲者だ。現在、ブリジットのリンゴ園の跡地に建っているバーや、処刑された絞首台があったガロウズ・ビルには、彼女の怨霊が出没するという。

ボベーリア島の壁画 (イタリア、ベネチア

ベネチアのラグーンLに浮かぶボベーリア島の礼拝堂は、20世紀初めに建てられ、後に放置された精神病院の一部だった。主治医が患者の幽霊に拷問された後に鐘楼から身投げしたという言い伝えがある。
ペストは1576年の大流行だけで、ベネチア市の人口の3分の1にあたる5万人もの命を奪った。それ意外にペストが21回も流行している。1630年から31年にかけての流行では4万6000人が犠牲になった。