『なぜ宇宙は存在するのか』――人間原理の正しい解釈
われわれの宇宙はどこから来て、どこへ向かうのか――ダークマター、インフレーション理論、超弦理論といった基礎知識をご存じの方におすすめ。宇宙論の最先端の話題/用語を合理的に整理できる。
第3章では、素粒子物理学を応用し、宇宙誕生の直後にまで遡る。
ダークマターの正体は不明だが、観測等の状況証拠から、他の粒子と相互作用をせず、晴れ上がり前から〈揺らぎ〉が増幅されていると考えられる。ダークマターの最有力候補はウィンプ(WIMP)だ。宇宙誕生直後は、粒子と反粒子は同数だったが、CP対象性の破れにより、わずかな粒子が残ったと考えられている。
https://www.pahoo.org/e-soul/gadget/2022/WhyTheUniverseExists.shtm
なぜ宇宙は存在するのか――はじめての現代宇宙論
【目次】
第1章 現在の宇宙
第2章 ビッグバン宇宙1――宇宙開闢約0.1秒後「以降」
第3章 ビッグバン宇宙2――宇宙開闢約0.1秒後「以前」
第4章 インフレーション理論
第5章 私たちの住むこの宇宙が、よくできすぎているのはなぜか
第6章 無数の異なる宇宙たち――「マルチバース」
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第3章 ビッグバン宇宙2――宇宙開闢約0.1秒後「以前」 より
なぜ物質が反物質より多いのか
バリオンと反バリオンの量は同じだった!?
この章の初めのほうにも述べたように、現在の宇宙はほぼ物質のみの構成されており、反物質はほとんどありません。初期の超高温高密の宇宙で起こった最も重要なでき事の1つは、この物質優勢の世界がつくられたことです。
ここで1つ注意すべき点としては、この文脈で言うところの「物質」にはダークマターは必ずしも含まれません。ダークマターに関しては、ダークマターと反ダークマターの量は同じかもしれないし、ダークマターと反ダークマターが同一である可能性すらあります。
なので、ここでは混乱を避けるため標準模型の粒子を総称してバリオンと呼び、その反粒子を反バリオンと呼ぶことにします。正確にはバリオンという用語は、陽子、中性子、およびそれに連なる一連の粒子の総称であり、電子等のレプトンは含みません。しかし、ここでの文脈ではこのことは重要ではないので、バリオンという用語を標準模型の粒子とほぼ同義に使い続けることにします。
これより先の議論では、初期の宇宙におけるバリオンと反バリオンの量は同じであったという仮定で話を進めます。つまり、宇宙には初めからバリオンが反バリオンに比べて多かったわけではなく、その進化の過程で2つの量に違いが生まれたと考えることにします。この仮定には現代的な根拠があり、それについては次章で述べますが、ここではバリオンと反バリオンが対称的な性質を持つことからこう考えるのが自然である、という程度にして話を進めたいと思います。
ちなみに蛇足かもしれませんが、「なぜ反バリオンでなくバリオンのほうが多くなったのか」という問いは意味のないものです。なぜなら、それはたくさんあるほう、つまり私たち自身を含む身の回りのものを構成するほうをバリオン(物質)と呼んだにすぎないからです。実際、反バリオン(反物質)のほうは100年ほど前まで、その存在すら知られていませんでした。科学的に意味のある問いは、なぜこの相対する鏡の像のような2つに、存在量の違いが生まれたのかという点です。
この問いに関する一般的な答えは、ロシア人の科学者アンドレイ・サハロフによって1967年に与えられました。彼は旧ソビエト連邦で水素爆弾開発に携わり「ソ連水爆の父」と呼ばれた人物で、後年は圧政に抵抗する活動、人権運動などに尽力し、1975年にノーベル平和賞を受賞しました。サハロフは、一般に粒子とその反粒子の質量、寿命は場の量子論の帰結として同じでなければならないものの、その相互作用の詳細については完全に同じとは限らないという点に注目しました。
例として、ある種類の粒子(仮にXとします)が2つの異なる種類の粒子(YとZとします)に確率的に崩壊できるとしましょう。たとえば70%の確率でY粒子に、30%の確率でZ粒子に崩壊するとします。
この場合、Xとその反粒子の寿命が同じということは、XがY粒子に崩壊するレートとZ粒子に崩壊するレートの和(つまりXのトータルの崩壊レート)に必然的に等しくなるということを意味します。しかし、これは必ずしもXがY粒子に崩壊するレートと、Xの反粒子がYの崩壊するレートが等しいということを意味しません。サハロフは、このことを使えばバリオンと反バリオンの量が同じ宇宙から出発しても、バリオンのほうが優勢な宇宙へと導けることを示しました。
このような粒子と反粒子の相互作用の非対称性を、専門用語で「CP対称性が破れている」と言います。日本の小林誠と益川敏英は2008年に、標準模型におけるCP対称性が破れの研究でノーベル物理学賞を受賞しました。
バリオンの量と反バリオンの量の間の非対称性の生成は、バリオン数生成と呼ばれますが、これは基本的には以下のように起こったと考えられます。
まず宇宙の超初期の超高温高密の時代には、バリオンと反バリオンは同じ量だけ存在していました。しかし、先に述べたCP対称性が破れの効果、すなわち粒子と反粒子の相互作用が完全に対称ではない効果により、宇宙進化の過程で2つの量の間にほんのわずかな差が生じました。そしてさらに宇宙が冷える過程で、これらのバリオンと反バリオンはそのわずかな違いの分を残して全て対消滅してしまい、バリオンのみの宇宙が残ったのです。
この「ほんのわずかな差」というのがどの程度の差だったのかは、観測から逆算して求めることができます。それによると、この違いは約6x10-10程度であったことがわかります。
つまり、超初期の宇宙のバリオンの量が1だったとすると、反バリオンは0.9999999994程度あったことになります。現在私たちが宇宙で見るほぼ全ての標準模型の物質粒子(光子等の放射は含まない)は、これらが初期宇宙で対消滅した後に残った0.0000000006の分にすぎません。