じじぃの「歴史・思想_685_半島の地政学・遼東半島」

習近平の「中国夢」の二つの危険性

動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=a-2obhuInJE

中国から見た太平洋


『マスコミより確かな 習近平の言い分』

孔健/著 三五館 2014年発行

習近平が語った「中国の夢」は人心を鼓舞した より

習近平が描く「中国の夢」とは、19世紀以前の強い中国の姿を取り戻すことだ。世界の大国であった19世紀以前の姿である。
それまでインドとともに世界のGDPの半分近くを創出し、世界の中心として東アジアに君臨していた中国。偉大な中国を揺るがせたのは、19世紀以降東アジアを暴れまわった帝国主義列強だった。

中国で1952年発行された中学生の歴史教科書『中国近代簡史』によれば、帝国主義者によって奪われた領土は次のようになっている。

  カザフスタンキルギスタジキスタンの一部(1864年ロシア領)、パミール高原(86年英露が分割)、ネパール(98年英領)、シッキム(89年英領)、ブータン(65年英領)、アッサム(26年英領)、ビルマ(86年英領)、タイ(1904年英・フランス共同支配下で独立)、ベトナムラオスカンボジア(1885年仏領)、マラッカ(75年英領)、台湾(95年日本領)、琉球(79年日本領)、朝鮮(1910年日本領)、露ハバロフスク州(1858年露領)、沿海州(60年露領)、樺太(1905年日露が分割)、とつづく。中国の領土を奪った国はイギリス、ロシア、フランス、そして日本だった。
中国の歴史軸で捉えると奪われた中国領はこういった結論に導かれるのである。

これで習近平政権がどういった国造りをめざすかは、どんな中国人にも明確に把握できた。国力旺盛な強い中国だ。とはいっても19世紀と同じように武力で世界制覇をしようとしているのではない。前述の習近平のインタビューからも読み取れるように、「人民元」を基軸通貨とするのも夢を実現するための項目の1つだ。あくまでも外交的、平和的な手法である。

18世紀後半に始まったイギリス産業革命により、中国は世界におけるその地位を欧米諸国に奪われた。しかし、世界史のスポット・ライトは再びアジアに光を当て、21世紀の今日、中国の力は超大国アメリカをも凌駕しようとしている。強い中国建設は夢ではない。

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「半島」の地政学――クリミア半島朝鮮半島バルカン半島…なぜ世界の火薬庫なのか?

内藤博文(著)
【目次】
序章 半島はなぜ、いつも衝突の舞台となるのか?
1章 バルカン半島に見る大国衰亡の地政学
2章 朝鮮半島に見る内部分裂の地政学
3章 クリミア半島に見る国家威信の地政学
4章 国際社会を揺らす火薬庫と化した4つの半島
5章 世界を激震させる起爆点となった4つの半島

6章 見えない火種がくすぶる4つの半島

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『「半島」の地政学

内藤博文/著 KAWADE夢新書 2023年発行

6章 見えない火種がくすぶる4つの半島 より

近代日本はなぜ、山東半島の領有に執着したのか? 山東半島

日清戦争ののち、山東半島に目をつけたのは西洋諸国である。日清戦争の敗北によって、西洋諸国は中国を恐れるに足りない国と見なし、侵食していった。イギリスは山東半島の威海衛を租借(そしゃく)、ドイツは山東半島お青島(チンタオ)を租借したのみならず、山東半島を勢力圏とした。

イギリスが威海衛を租借したのは、ロシアを意識してのことだろう。当時、ロシアが遼東半島を勢力圏に置いていたから、遼東半島のロシアを牽制する意味があった。

その後、第1次世界大戦ののち、山東半島の利権をドイツから継承しようとしたのは日本であった。第1次世界大戦下、日本はドイツ領の青島を攻略していたから、ドイツが大戦に敗れると、戦利品と見なしたのだ。

以後、山東半島をめぐっては、中国と日本が対立する。1921年からのワシントン会議のあと、日本は山東半島の利権を中国に返還するが、そののちも日本は山東半島に執着している。1930年代、日本は居留民の保護を名目に2度も山東半島へと出兵している。

日本の山東半島への執着は、北京への牽制と満州の防衛のためだろう。1920年代の日本は遼東半島を勢力圏に入れたのみにとどまらず、遼東半島から満州に浸透しようとしていた。日本は満州を中国の政権から遠ざけてしまいたかった。そのために、遼東半島山東半島渤海を塞ぎ、北京を威圧しようとしていた。

当時、中国大陸では軍閥が勢力を広げ、蒋介石が南から軍閥打倒の北伐に動いていた。
日本は、蒋介石の北伐を北京までで押しとどめようとしていたから、山東半島に執着していたともいえるだろう。

現在、山東半島は中国の完全な領土である。けれども、東アジアが動乱に陥り、北京政府を打倒しようという海洋勢力が現れれば、彼らは山東半島を狙うだろう。山東半島が、北京の泣きどころでありつづけるからだ。

遼東半島の支配から、満州へと吸い取られていった日本 遼東半島

ロシアから遼東半島南部を得た日本は、つづいて1910年に韓国を併合する。この瞬間から、日本は満州へと吸い寄せられていく。

遼東半島の付け根と朝鮮半島の付け根は、つながっている。日本が朝鮮半島遼東半島を守り、ふたつの半島を有機的に結合させるには、満州に押し出していくしかない。こうして日本は満州にひとつの生命線を見るようになり、満州に野心を持つようになった。

1930年代、日本が満州満州国を建国したのち、遼東半島の大連は日本から満州への入り口となる。大連から内陸のハルビンまでの鉄道が敷設(ふせつ)され、大連~ハルビン間に特急「あじあ」号を走らせている。「あじあ」号は野心的な列車であり、時速80キロ以上で走った。満州国があった時代、大連は満州国最大の貿易港となっていた。

現在、遼東半島は中国の領土となっていて、遼東半島をめぐる争いは過去のものになっている。ただ、中国東北部、つまり満州は、中国大陸とは別の歴史を持ち、中国大陸の王朝に対抗してきた。そのようなことを考えれば、近未来に中国から分離する可能性はゼロではない。

仮に東北部(満州)が中国から分離する時代となるなら、遼東半島の帰属は中国と満州間の大問題になるだろう。遼東半島の旅順に満州側の基地ができるなら、渤海、天津への威嚇になる。逆に中国側が遼東半島を確保するなら、満州への匕首(あいくち)にもなるのだ。