5分で分かる大韓帝国【ゆっくり解説】
縄文人と東アジア沿岸部周辺現代人との遺伝的親和性
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遺伝子から続々解明される縄文人の起源~高精度縄文人ゲノム~
2019年5月 国立遺伝学研究所
縄文人は、日本列島で16,000年前から3,000年前まで続いた縄文時代の狩猟採集民であり、縄文人の遺伝子はわたしたち日本人に引き継がれています。
本研究グループは、北海道礼文島の船泊遺跡から出土した縄文人のうち、最も保存状態がいいことがわかった男女2人の大臼歯からDNAを抽出し、全ゲノム分析を行いました。その分析の結果、全ゲノム配列を高精度で決定することに成功したのです。決定した高精度ゲノム配列を詳細に調べることで、HLAタイプ、疾患関連遺伝子の変異など、複数の形質を明らかにしました。これらの古代ゲノム情報から縄文人は狩猟、漁撈が生業活動の中心であったこと、小さな集団で生活していたことがわかりました。
また、縄文人は、アメリカ先住民を含む東ユーラシア集団の中で最も古い時代に分岐したことがわかりました。その一方で、縄文人はウルチ、韓国人、台湾先住民、オーストロネシア系フィリピン人と遺伝的に近かったのです(図)。このことは東ユーラシアの地域集団の形成プロセスを知る重要な手掛かりになります。
https://www.nig.ac.jp/nig/ja/2019/05/research-highlights_ja/pr20190516.html
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2章 朝鮮半島に見る内部分裂の地政学
3章 クリミア半島に見る国家威信の地政学
4章 国際社会を揺らす火薬庫と化した4つの半島
5章 世界を激震させる起爆点となった4つの半島
6章 見えない火種がくすぶる4つの半島
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なぜ、19世紀後半から突如として動乱の地と化したのか
現在、朝鮮半島には、大韓民国(韓国)と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)というふたつの国があり、両国は複雑怪奇な関係にある。
朝鮮半島をめぐっては、1890年代から1950年代にかけて。3度の大きな戦争を経験していた。それまで200年以上にわたって朝鮮半島では大きな戦争が起こらなかったのに、19世紀後半から突如、動乱の地と化していったのだ。
朝鮮半島が動乱の地となったのは、朝鮮戦争の地政学的な地位が19世紀に急速に高まっていったからだ、それも日本によってである。日本によって朝鮮半島の地政学的な地位を高められてから、日本の意思を離れて、朝鮮半島は大国の対峙(たいじ)する場でありつづけているのだ。
地政学的な地位が高まる以前、19世紀半ばまでの朝鮮半島の特徴は、大陸につねに従属していたところにある。朝鮮半島は大陸のどこかの国に従属し、その従属の選択さえ誤らなければ、朝鮮半島はまがりなりにも安泰であり、侵略を受けることがなかった。
朝鮮半島は、東に日本海、西に黄海に面し、対馬海峡を隔てた対岸には日本列島の九州がある。半島の東側はほぼ山地で、山は海に迫っている。一方、半島の西側には小さな平野が多く、韓国の首都ソウル、北朝鮮の首都平壌(ピョンヤン)も半島の西側に位置している、現在、朝鮮半島は中国の東北部(満州)、ロシアと陸つづきになっている。
朝鮮半島は比較的小さな半島であり、半島外の勢力から大きな影響を受けやすい。朝鮮半島を従属させようとしてきたのは、陸つづきの満州の勢力であり、黄海を隔てた中国大陸の王朝である。
朝鮮半島の王朝は長く中国大陸の王朝に従属してきたと思われがちだが、そうでもない。たしかに、唐帝国や明帝国など中国に強力な王朝が存在していたとき、朝鮮半島の王朝は中国王朝に臣従(しんじゅう)した。
けれども、満州の勢力が強くなり、中国王朝を圧倒するようになったら、満州王朝が朝鮮王朝に従属を求めてきた。
満州は中華人民共和国の一部となっているが、中国大陸の勢力が満州全体を統治した時代はめったにない。満州は独立した強い勢力になりやすい。時に強大な力を持ち、中国大陸に攻勢を仕掛け、征服したこともあった。
12世紀には満州に勃興した金帝国が北中国を支配し、17世紀から20世紀初頭にかけては同じく満州を本拠とした清帝国が中国全土を支配したこともある。清帝国は中国大陸征服にともない、都を北京としたから、中国王朝のように思われがちだが、じつは満州王朝である。
朝鮮半島の王朝は、基本的に中国王朝に従属しようとするが、時代によっては、満州の王朝に従わねばならない時代もあった。中国大陸、満州というふたつの巨大な勢力に近いために地政学的には足かせともなったが、従属していれば、それで済んでいたこともたしかだ。
日本が「朝鮮半島の直接統治」を選択した理由
1910年の日韓併合にはじまった朝鮮半島の直接統治は、日本が第2次世界大戦に敗れるまでおよそ36年間つづく。それは、朝鮮半島の歴史のなかでまったく異質な時代である。これまで中国や満州の王朝は朝鮮半島を従属させることで満足し、直接統治したことはなかった。けれども、日本は朝鮮半島の住人を異なる言語で直接統治しようとしたのだ、
日本が面倒な直接統治を選んだのは、朝鮮半島の近代化を急いでいたからでもあるだろう。朝鮮半島が近代化してこそ、朝鮮半島は強い存在となり、他の大国の浸透を受けないと考えていたのだ。つまり、2度と朝鮮半島が大国によって「回廊下」しないことを望んだのである。
もちろん、直接統治は容易ではない。しかも近代化を目指した直接統治となると、困難が予想される。それでも日本は直接統治を選び、そのために朝鮮半島の住民に強制もした。朝鮮半島では1919年に「三・一運動」という抵抗運動が起きているが、これを力で抑えこんでいる。
日本が「統治不能」のはずの朝鮮半島を統治できたのは、ひとつには日本自身に「統治不能」の国を統治した経験があったからだ。
それは、ほかならぬ日本である。すでに述べたように、島嶼(とうしょ)国家も半島と同じく「統治不能」の側面を持つ。日本も明治維新を迎えるまで、大名が各地を治める地方分権のバラバラ状態にあった。明治以降の政府はそのバラバラな日本をまとめるために苦労し、強権をふるってきた。このときの知識と経験が、朝鮮半島に活かされたのである。
ただ、日本による直接統治の事実が、現在、朝鮮半島の住人の日本敵視の原因になってもいる。従属はしても、直接支配されたことのない歴史が、朝鮮半島にはある。日本の直接統治は、朝鮮半島の歴史に汚点に思われているからだ。
韓国が「アメリカと一心同体になれない」思想的理由
朝鮮半島の地政学的な特徴のひとつは、中国大陸に近いところである。黄海を隔てて、対岸には中国大陸があり、ソールは東京よりも北京や南京にはるかに近い。そこから、朝鮮半島には、「小中華思想の半島」と化した側面がある。
小中華思想とは、中国大陸由来の中華思想の亜流である。中華思想をもとに、朝鮮半島の置かれた事情から生まれたのが小中華思想となる。
中華思想とは「中国こそが世界の中心、文明の中心であり、文明の中心では礼が尊ばれ、みごとに実行されている」という考え方だ。中華思想では、中国に近い国ほど文明のレベルが高く、礼が重んじられる。中国から遠くにあるほど、礼は失われ、蛮夷(ばんい)の国となる。
中華思想は儒教のなかに強く組みこまれ、朝鮮半島も14世紀の李朝成立ののち、儒教国家となった。
中華思想によるなら、中国にもっとも近い国は朝鮮半島の国なのだから、朝鮮半島は中国に次いで文明レベルの高い国となる。李朝にはそうした中華思想があり、中国以外の国を見下してきた。日本や満州を格下の蛮夷と思っていたのだ。李朝の国王が満州のホンタイジをバカにし、明に臣従をつづけようとしたのも、中華思想のなせる業(わざ)だ。
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李朝は満州族のホンタイジの軍の前に2度も屈しながら、現実を無視して、あるべき姿を頭のながで追い求めようとした。そこから、明の滅亡ののち、世界の中心、文明の中心は朝鮮半島に移ったと考えるようになった。朝鮮半島こそが世界の中心であるという考えであり、これが小中華思想である。
小中華思想に似た、自らの国を世界一と考える意識は、どの国にもある。いまの日本にもあるのだが、たいていの国は現実を見て、現実のバランスのなかで生きようとする。けれども、朝鮮半島には小中華思想が根づいてしまったのだ。
そこには、儒教の一系統である朱子学の影響も大きいが、朝鮮半島の置かれた地政学的な事情も手伝っている。朝鮮半島は、周囲の大国に従属を強いられてきた。20世紀になると、日本による直接統治も受けた。こうした従属の反動が、朝鮮半島での小中華思想を育てている。大国に狭まれた苦しい現実から解放されたいと思えば思うほどに、自国が中華思想の大本であり、本来は世界から尊敬を受けなければならないと考える方向に向かってしまうのだ。
朝鮮半島に根づいた小中華思想は、いまの韓国の思考にも残っている。韓国の住人が日本統治時代を絶対的な悪と見なすのも、日本が韓国より遅れた蛮夷の国だったからという小中華思想による。
世界でもっとも礼を重んじる国が、礼の何たるかも知らない野蛮人に統治されていいはずがないと考えるから、日本統治への批判がやむことはない。日本が謝罪しようと何をしようと、解決できる問題ではないだろう。
韓国に根づく反米感情もまた、小中華思想によるものだろう。たしかにアメリカは近代文明の国だが、礼の国ではない。韓国の住人は、アメリカはじつは蛮夷の国であると内心で思っているから、アメリカが韓国の保護者然としていることがゆるせない。それが、韓国内での反米デモにもつながっているのだ。
韓国がアメリカから離反し、中国に追随しようという動きを見せるのも、小中華思想的な感情からだ。蛮夷の国の下にあるより、もともとの中華思想の本家の国に付き従ったほうが、すっきりする。現在の中国もまた礼の国ではないと知りつつ、そう考えてしまうのだ。