1.小中華思想・事大主義の朝鮮/韓国
まず、「中華思想」であるが、「中華思想又は大中華思想」とは、「自分たちが世界の中心であり、中心から離れたところの人間は愚かで服も着用しなかったり獣の皮だったり、秩序もない」と考えていた中国人の思想であった。
それに対して「小中華思想」は、自らを「中国王朝(大中華)と並び立つもしくは次する文明国で、中華の一役をなすもの(小中華)」と見なそうとする文化的優越主義思想で、この思想にどっぷりつかってきたのが朝鮮(今の韓国と北朝鮮)である。また、事大主義(じだいしゅぎ)とは、大に事(つか)えるという考えと行動を表す言葉で、「小国である自国はその分を弁えて、自国よりも大国の利益のために尽くすべきである」といった大国に媚びへつらう卑屈な政策を指すときに用いる。
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『韓国 堕落の2000年史』
崔基鎬/著 祥伝社新書 2019年発行
”韓国病”はどこから始まったか?――かつての高徳の民を退廃に導いた痛恨の出来事 より
なぜ、新羅による統一が問題なのか?
これほど高い徳と輝かしい文化を誇った朝鮮半島の三国時代は、1つの予期せざる大事件によって終止符を打った。新羅による朝鮮半島の統一である。
同じ民族によって統一がなったのだから、一見問題ないように見えるかもかもしれないが、新羅の場合は事情が違う。
新羅による統一は、外勢である唐と結託して、同胞の国であり、当時、アジアの強国であった高句麗と、世界の最高級の文化と芸術の国であった百済を不意打ちすることによって滅亡させたものだった(百済が660年、高句麗が668年)。民族反逆の末に、自らを唐の属国としてしまった。ここに韓国人の意識構造に、異常を招く事態となった。
新羅は進んで唐の属国となることによって、卑怯、利己主義、機会主義、事大主義を蔓延(はびこ)らせ、韓民族を転落させたのだった。
これは朝鮮半島に禍根(かこん)を永久に残すことになった大事件であるが、今日の表現を用いてみれば”無頼漢(ゴロツキ連中)”が他民族の勢いを借りて、自分たちの民族国家を打倒したのだった。
もっとも、このような見方をするのは、私だけではない。かつて李光洙(イクァンス)が同じことを唱えた。李光洙は天才的な文芸家で、長編小説『無常』によって近代韓国文学の祖といわれているが、1892年に平安北道で生まれ、日本の早稲田大学に留学した。強烈なナショナリストであり、1919年に三・一独立運動の推進者の一人として、日本留学生による独立宣言を起草した。東亜日報編集局長、朝鮮日報社副社長を務め、1937年に日本の警察によって検挙された。
太平洋戦争中は学徒動員などで、積極的に協力したとして、戦後、糾弾もされた。
李光洙は「春園」の号によって知られるが、1950年に朝鮮戦争が始まると、ソウルから逃げ遅れ、北へ拉致された後に消息を絶った。一説ではこの時に連行された知識人のなかで、ただ一人だけ反米文書に署名することを拒んだために、処刑されたといわれる。
彼は早くから、新羅による朝鮮半島の統一と、その後の14世紀に起こった李朝の成立という2つの事件を、韓民族の民族性を歪め、今日のような頽廃(たいはい)に陥れた大元凶と位置づけていたが、私もまったく同感である。
韓国民は、”韓国病(ハングクビョン)”によって苦しめられてきたが、これこそ、新羅が進んで中国の属国になることによってもたらされた国民性の頽廃そのものである。韓国病の病根は、それほどまでに根深い。
いまも残る中国に対する事大主義
「統一新羅」という言葉は美しく響くが、先にも述べたとおり、新羅は、当時の東洋の模範的な国家であった高句麗と百済を、外国である唐の軍を引き入れて、不意打ちによって倒した。
百済が660年に滅びた後、日本の大和朝廷が4万人の陸海軍を朝鮮半島に派兵して、「白村江(はくすきのえ)の戦い(663年)」を戦ったことが『日本書紀』に詳細に記されている。そして668年に新羅・唐連合軍が、高句麗を滅ぼした。
当時、高句麗の版図(はんと)は、今日の北朝鮮から満州・シベリア沿海州にまで及んでいたが、新羅は満州からシベリア沿海州にわたる領土を放棄して、「国土統一」を成就させたのだった。
韓国古代史は統一新羅を美辞麗句をもって謳歌しているが、新羅が自らを「大唐国新羅郡」と卑下(ひげ)して読んだことを記録している。
このような環境のもとで、国を失った高句麗と百済の遺民の心境は、その後、卑屈におち、紳士どころではいられなかった。その結果、中国に対する”事大思想”は、今日でも、いまだに韓国で幅をきかせている。
進んで中国の属国になり下がった新羅と李氏朝鮮の大罪
韓族はこのように旺盛な活力を持っていたのに、新羅による統一を機として衰退しはじめた。仁・義・礼・勇が充溢した独立自尊・高徳の国は、民族の裏切り者によって、かつて敵であった隣国の属領になり下がったのである。
そのことが何を意味するかというと、中国は今日に至るまで、どの時代をとっても孔子をも絶望させたように、社会がつねに腐敗していたが、この深い泥沼のような中国文化に組み込まれてしまったことが、韓民族に最大の不幸をもたらしたのである。
新羅は中国の属国となることによって、唐の元号を用いるかたわら、名前や、服装を唐風に改めた。韓人の姓は、三国時代までは二字姓だったが、創氏改名が強(し)いられ、一字姓となった。
またくわしくは後の章で述べるが、民族の衰退を加速させた2番目の要因は、李氏朝鮮の成立(1392-1910年)であった。
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近代韓国の先覚者であり、先にも紹介した李光洙は、新羅の朝鮮統一と、李朝の成立によって、韓民族の民族性が次のように歪められたと指摘している。
一、 虚言と偽騙(ぎへん)行為がはびこることによって、相互間の信頼心が失われた。このために詐欺的な態度がひろまるようになった。
二、空理空論を弄(もてあそ)び、美辞麗句を連ねる。頂上の権力者は生殺与奪の権をはじめ、不可能なことがないほど、思うままに権力を振るい、一切の責任を負わない。
三、表裏不同だ。人の面前では諂(へつ)い、背後では悪様(あしざま)にいう。恥をまったく知らない。
四、卑屈、物事に怖(お)じけ恐れる。他人の思惑ばかりを気にして、決断する能力が低い。
五、反社会的利己心によってのみ動かされ、公益には無関心だが、自己、家族、党派について極端な利己主義を発揮する。
これこそ、現在の韓国を深く蝕(むしば)む”韓国病”そのものにほかならない。