ヒッグス博士インタビュービデオリアクション ILC宇宙塾番外編その2 Reaction to Peter Higgs interview
Prof Peter Higgs of Higgs boson fame
Profile: Prof Peter Higgs of Higgs boson fame
20 December 2011 BBC News
Three years ago when the Large Hadron Collider was switched on at the European Organization for Nuclear Research (Cern), few people outside his field had heard of Peter Higgs.
But as scientists there reveal they may have glimpsed the elusive Higgs boson particle which bears his name, Prof Higgs is now famous around the world.
https://www.bbc.com/news/science-environment-16222710
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ヒッグス粒子の発見――理論的予測と探究の全記録
【目次】
プロローグ
第1章 プリンストンへ――その遥かなる道のり
ヒッグス場に手なずけられた素粒子たち
第2章 原爆の影
科学者に明日は予見できない
第3章 79行の論文
南部陽一郎の論文と出会って
自発的対称性の破れ
CERNに送った論文
第4章 名誉を分け合うべき男たち
千載一遇のチャンスを逃したヒッグス
第5章 電弱理論の確証を求めて
CERN内部の争い
第6章 野望と挫折
ブッシュ‐宮沢会談の裏で――頓挫したSSC
第7章 加速器が放った閃光
「君はヒッグス粒子を見つけたのかね?」
追い詰められたLEP
第8章 「世界の終焉」論争
素粒子物理学界を揺るがした2通の投書
第9章 “幻影”に翻弄された男たち
「5σ」の壁
第10章 「発見」前夜
「神はヒッグス粒子を嫌っている」
第11章 「隠された世界」
ヒッグスから届いた手紙
最終章 「新しい粒子」に導かれて
「発見」と「観測」
「発見したのです」
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プロローグ より
「神の粒子」を蔑視した科学者たち
大型ハドロン衝突型加速器(LHC)はピーター・ヒッグスが思い描いた”ヒッグス場”の本当の性質を完全に明らかにするために設計された。その装置は、「ヒッグス粒子(ヒッグスボソン)」と呼ばれる素粒子として現れる、ヒッグス場の中の”波”を作り出さなくてはならない。ヒッグス粒子は、私たちの宇宙という雪原をつくっている雪片であり、科学者が、物に重さがある理由をすっかり説明するために必要な決定的証拠なのだ。
その素粒子を追い求めてきたのは、CERNだけにとどまらない。アメリカのシカゴ郊外にあるフェルミ国立加速器研究所(Fermilab)には、世界第2位を誇る強力な加速器があり、そこにいる科学者たちは、ヒッグス粒子の検出を最優先課題に掲げている。大西洋の対岸にあるこれら2つの研究所にとって、数千年にわたる探索は、現代物理学における最大の競争となってきた。
第11章 「隠された世界」 より
「役に立たない電子に乾杯」
今は亡き英国人作家、ロナルド・W・クラーク(1916~87年)は、1972年に出版した評価の高い伝記『アインシュタイン――生涯とその時代』の中で、ケンブリッジ大学のキャベンディッシュ研究所における奇妙な乾杯についての逸話を紹介している。
当時、研究所を任されていたのはジョセフ・ジョン・トムソンで、彼は1897年に電子を発見した功績によってノーベル賞を受賞していた。乾杯の声は、トムソンのスタッフの1人だった著名な物理学者、エドワード・アンドレード(1887~1971年)おものだった。グラスを高く掲げたアンドレードは「役に立たない電子に乾杯」といって、こう付け加えた。
「そして、それがいつまでも消えてなくならないことを祈って!」
電子が世界を変えるようとしていることを、このときは誰も気づいていなかった。トムソンが新しく発見した粒子について講演したとき、聴衆は信じられないといったようすで耳を傾けた。この講演者は自分たちを担ごうとしている、と受け止めたのだ。それほど、原子よりも小さい粒子という考えは、バカげているように感じられたのだ。それを信じた人でさえ、実際のところ、何に、どのように役立つのかを理解することは難しかった。
同様の話は、科学の歴史において幾度となく起こっている。19世紀の後半にジェームズ・クラーク・マックスウェルが電気と磁気を統一したとき、彼は光が電磁波であることを明らかにした。現代社会は、この知識を有効に活用するテクノロジーなしで機能することなど、ほとんど不可能だ。
電磁波を巧みに扱うことによって、携帯電話や無線インターネット、自動車の電子キーや病院のCTスキャナー、衛星テレビといったものが私たちにもたらされた。だが、マックスウェルによる発見の場合もまた、その先に横たわる可能性を理解していた者は皆無だったのである。ニールス・ボーアが語った有名な言葉のように、「予測は難しい。未来についてはなおさらだ」。
中には、私たちが電磁場を利用することを見につけたのと同じように、それについて思案する物理学者もいた。――先例に倣えば、私たちは最終的には、ヒッグス場を巧みに操る術を修得するだろう。
ボーアが警告した愚行に軽率に結びつけずとも、明らかな応用例をイメージすうことは難しい。素粒子の質量を変化させることは世界の肥満問題を解決しないし、あらゆる物事を可能にしてきた技術者たちが、地面の上に無重量状態のように浮かんで進む乗り物をつくり、ロンドンや東京やメキシコシティの交通渋滞を軽減することにもつながらない。
ヒッグスから届いた手紙
2007年6月、当時はロンドン中心部のクラーケンウェルにあった「ガーディアン」紙のオフィス(2008年12月に移転)の私の机の上に、手書きの手書きが届いた。消印は、青と赤の天空の渦が描かれた土星状の星雲の図案で、真っ黒な背景の中に映えていた。私は手書きをひっくり返して送り主の住所が印刷されたラベルを見た。
それは、ピーター・ヒッグスからのものだった。
私はほとんど諦めていた。数ヵ月前、私は「ガーディアン」が発行する「ウィークエンド」という雑誌に、ヒッグス粒子についての記事を書くアイデアを売り込んでいた。LHCが竣工目前にあった当時、その装置に関する数多くのPRの中で「ヒッグス粒子」――のあいだでは「神の粒子」――について言及されていた。その名前は、質量の起源を理解するカギとして広く喧伝されていたのだった。当惑させられたのは、ヒッグスが”世捨て人”つぃて世間に広く知れ渡っていたことだ。私たちはそのことについて書く必要があった。
私は、ピーター・ヒッグスがエディンバラ大学を退職したのちも、名誉教授を務めていることを知っていた。物理学部に電話をした私は、広報担当者と連絡を取った。そして、ヒッグスの同僚にEメールを送り、訪問取材の可否を訊ねたのだった。
返事は来なかった。しびれを切らした私は、著名人の紳士録『フーズ・フー』から自宅の住所を探し出し、ヒッグス本人に直接手紙を書いたのである。それから6週間が経過して、ようやく返事が届いたというわけだ。
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ヒッグスは、電話と同様にコンピュータやEメールを避けている。だがこれは、学生時代に旧式のコンピュータを使用した恐ろしい経験からの後遺症だった。彼が博士課程を修了した時代のコンピュータは、研究生たちが計算の終了を待って幾晩も過ごしたようなレベルだった。「私は、現代のコンピュータに極度に関わらないようにする反応を十中八九するでしょうね」と彼はいう。
ヒッグスは、CERNの粒子衝突型加速器であるLHCと、その前に破綻した米国の加速器であるSSCが、”ヒッグス粒子ハンティングマシーン”としてして喧伝されたことにすっかり満足しているわけではない。そこには明らかな危険性がある。もしその素粒子が発見されなかったら、人々は、数十億ドル規模の莫大な費用をかけた装置が、時間と金の浪費ではなかったかと問うだろう。また、LHCは、ヒッグス粒子だけでなく、超対称性や余剰次元などのように、深く核心を突く着想の証拠をも探し出すと考えられているのだ。ヒッグスはいう。
「宣伝されているような言い方は時折、一般の人々の知性に対していくぶん失礼です」
私たちが腰かけて話しているとき、ヒッグスは素粒子にし質量を与えた真空の宇宙にあるものを、どのようにして思いついたのかを話してくれた。「それには、論理的な結論があるんですよ」。両方の手でそれぞれ反対の腕の肘をなでるように腕を組んで、彼はそういった。
「もし、それがそこになかったら、私たちはここにはいないでしょう」
ヒッグスは、科学者たちが1種類以上のヒッグス粒子を発見すること、そして運よく、超対称性によって説明されるすべての粒子を発見することに賭けている。
私が彼を初めて訪ねたその日、1949年にピーター・ヒッグスをエディンバラの街に引きつけた、毎年高齢の国際フェスティバルが盛り上がっていた。ヒッグスにはその夜の予定が入っており、私たちはすぐに時間を使い果たしてしまった。
彼がモンテヴェルディ(16~17世紀に活躍したイタリアの作曲家)のマドリガーレ(イタリア発祥の歌曲形式)の夜会へ出かける準備をするあいだに、私はドアに向かった。出ていきながら私は、後進の科学者たちがその素粒子を発見する姿を見届けるのは、ピーター・ヒッグスにとって重要なのかどうかを訊ねた。「ほっとするでしょうね」と彼はいった。
「長い道のりでしたから」