CERN Physics Researchers Have Made an Unbelievable Discovery That Changes Everything!
CERNの研究者たち
CERN研究者たちの独特の世界
2013/11/30 SWI swissinfo.ch
表を見てじっくり考え込む顔。あふれる笑顔。ノートブックパソコン。どこにでもある黒板。専門家しか分からない殴り書き。
ジュネーブ近郊の欧州合同原子核研究機関(CERN)には独特の世界が広がっている。
世界中から集まった約1万人の科学者がここで働き、広大な敷地に数百もの建物が並ぶ。緑に囲まれた灰色の建物内の壁ははがれかけ、廊下の床はすり減っている。ある部屋のドアには「掃除禁止」の札がかけられている。研究者が重視するのは部屋の片づけでも、きちんとした格好でもない。思考に飾りは要らないからだ。
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ヒッグス粒子の発見――理論的予測と探究の全記録
【目次】
プロローグ
第1章 プリンストンへ――その遥かなる道のり
ヒッグス場に手なずけられた素粒子たち
第2章 原爆の影
科学者に明日は予見できない
第3章 79行の論文
南部陽一郎の論文と出会って
自発的対称性の破れ
CERNに送った論文
第4章 名誉を分け合うべき男たち
千載一遇のチャンスを逃したヒッグス
第5章 電弱理論の確証を求めて
CERN内部の争い
第6章 野望と挫折
ブッシュ‐宮沢会談の裏で――頓挫したSSC
第7章 加速器が放った閃光
「君はヒッグス粒子を見つけたのかね?」
追い詰められたLEP
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第11章 「隠された世界」
ヒッグスから届いた手紙
最終章 「新しい粒子」に導かれて
「発見」と「観測」
「発見したのです」
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第4章 名誉を分け合うべき男たち より
数式と曲線で埋め尽された黒板
マックスウェルが電気と磁気を統一したとき、彼の計算は、私たちが光として見ているものの域を超えた「電磁波」の存在を予見していた。科学者たちがマックスウェルに感謝したのは、その理論が正しいことを証明するための「探索の対象」を与えてくれたためだった。
幸運にも、ワインバーグの理論もまた、いくつかの予見をしていた。W粒子とZ粒子と名づけられた、新たな3種の素粒子である。W粒子(Wは”week(弱い)”からの命名)にはW+粒子(正の電荷をもつもの)とW-粒子(負の電荷をもつもの)の2つがあり、Z粒子は電荷を持たない。Z粒子の名前は、電荷がゼロ(zero)であること、そして、Zがアルファベットの最後の文字であることからつけられた。ワインバーグは、Z粒子が弱い力を伝える素粒子の仲間の、最後の1つであることを願ったのである。
第7章 加速器が放った閃光 より
モノポール――とてつもなく重い”アメーバ”
フランク・ウィルチェック(1951年~)は現在、マサチューセッツ州ケンブリッジにあるマサチューセッツ工科大学(MIT)に在籍している。彼は、原子核の中の陽子と中性子を形成するクォークについて、興味深い事実を発見した功績によって、他の研究者とともにノーベル賞を受賞した。2つのクォークがより遠くに引き離されるほど、より強く互いに引きつけられること、そして、それらが非常に近くなると、基本的に自由にふるまうことを見出したのである。
それは、クォーク同士がまるでゴムでつながっているかのような性質だった。力というものは通常、そのようなふるまいは見せず、離れれば離れるほど弱くなるものだ。ウィルチェックの研究はそれ以降、自然界の素粒子のふるまいをつかさどる規則である「標準理論」(標準模型)の基礎となった。
ウィルチェックの研究の影響は広範に及ぶが、特に質量の由来を理解することに関わりが深かった。クォークや電子に質量が与える現象には、ヒッグス場が関与していると考えられているが、物質の構成要素となるこのような個々の素粒子の質量は、1つの原子の質量においてほとんどないに等しい。原子の質量のほとんどすべてが――クォークや電子の累計から来るものではなく――、クォークが自由に動いていたときのエネルギーが、それらを結合させる場の作用によってクォーク自身の中に蓄えられたものに由来しているのである。
一見したところでは、ウィルチェックの研究は、ヒッグス粒子が”質量の起源”と呼ぶのにふさわしい存在であるのかどうか、疑問に思わせかねない。答えは「イエス」なのだが、それに対しては、よく使われる説明には欠落していることの多い”微妙な違い”が存在する。ヒッグス場は、クォークや電子をはじめとするその他粒子に、最初の段階で、重さを与えることに関与している。きわめて小さくても、クォークや電子が質量をもっていなければ、これらの素粒子は、よく知られているような原子を絶対に形成しえない。たった一度、クォークが結合することで、それらが形成する陽子や中性子がもつ、最終的にはるかに大きな質量が現れるのである。
ウィルチェックは、「ヒッグス粒子が万物のすべての質量に直接関与しているわけではない」と説明することで、ヒッグス粒子に関する、メディアが広めた”神話”を覆すのに手を貸した。その代わりに、きわめて小さいけれども重要な、私たちが知っている質量の始まりがそこにあることを明らかにしたのだ。
アラン・グース(1947年~)のオフィスは、MITの物理学科にあるウィルチェックのオフィスから廊下を少し行ったところにある。ウィルチェックの推論が、彼を原子の奥深くの世界へ導いたのに対し、グースのそれは、彼を宇宙創生期にまで遡らせた。グースは、宇宙の始まりに、ヒッグス場に非常によく似たものが素粒子に質量を与えるよりはるかに多くの役割を果たしたことを発見した。
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その粒子は、控えめにいっても実に奇妙な存在だった。磁石には通常、必ずN極とS極が存在するが、その粒子は事実上、磁極が1つだけの非常に小さな磁石になっていたのだ。謎に満ちたこの粒子の風変わりな性質は、露骨なネーミングにつながった。科学者たちは、それを「モノポール(磁気単極子)」と呼んだのである。
追い詰められたLEP
LEPの主な役割は、100万のオーダーまでW粒子とZ粒子を大量生産することだ。それだけの数があれば、科学者たちは徹底的に研究に打ち込める。これが行われているあいだに、科学者たちは4つの巨大な検出器を使って、ヒッグス粒子の明らかな証拠となるデータを探し回るのだ。過去10年間の衝突のどこかに、長いあいだ探し求めている粒子の紛れもない痕跡となる模様を見つけ出したい――彼らはそう願っている。
CERNは、2000年までLEPを稼働することに力を注いできた。LEPの廃止後は、地下からいったん装置を取り出し、はるかに強力なLHCを代わりに設置することになっていた。運用終了時期が迫ってきたとき、技術者はLEPの出力を可能なかぎり高め、2000年の春までに、リング内の両ビームを設計上の対応能力を超えるはるかに高いエネルギーで疾走させた。それでもなお、その加速器で起こしうる衝突では、ヒッグス粒子の痕跡をとらえる現象はまったく生じていないように見えた。
LEPを停止することは、CERNによるヒッグス粒子の探索が、少なくともLHCが設置されるまでの5年間にわたって中止されることを意味していた。その間に、米国の率いるフェルミ研究所のテバトロンが、ヒッグス粒子の探索が実現可能な能力をもつ唯一の装置になった。
テバトロンは、検出器のグレードアップと加速器の性能向上のため、一時的に停止された。米国の粒子衝突型加速器は、LEPがこれを最後に廃止されるまさにそのときに、ヒッグス粒子の探索活動を開始する緒に就いていた。
CERNでは、ヒッグス粒子が万が一にも手の届くところにあるかもしれないと期待して、設計能力をはるかに超えるレベルでLEPを稼働していたことで大きなプレッシャーを受けての最終稼働を迎えていた。
LEPを停止する予定の数ヵ月前、CERNの検出器の1つが、今までに見たことのないような形で閃光を放った。まもなく、別の検出器もブルブルと震え始めた。
この装置に携わるすべての科学者たちの胸の鼓動が高まった。リン・エバンス(LEPの責任者)は、「次に起こったこと」をまるで昨日のことのように覚えている。
「性能の限界までLEPに無理を強いた私たちは、スイッチを切る覚悟をしていました。そのとき、大変な騒ぎが起きたのです」