じじぃの「科学・地球_526_ヒッグス粒子の発見・加速器・LEP始動1」

Lyn Evans: Back to the Big Bang: From the LHC to the Higgs, and Beyond

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=wPX8BouAER0

CERN 「宇宙誕生の謎」解明へ出航!


CERN 「宇宙誕生の謎」解明へ出航!

2008/09/11 SWI swissinfo.ch
ヒッグス粒子を探せ
「こんなうれしいことはない。この加速器の複雑さを考えるとき、こんなにスムーズに陽子ビームが回ることは予想外だった。
器械、チームなどすべての面で質の高さが証明された。参加したすべての国の研究者にお礼を言いたい」
と「大型ハドロン衝突型加速器 ( Large Hadron Collider / LHC ) 」プロジェクトリーダーのリン・エヴァンス氏は興奮気味に語った。
https://www.swissinfo.ch/jpn/cern-%E5%AE%87%E5%AE%99%E8%AA%95%E7%94%9F%E3%81%AE%E8%AC%8E-%E8%A7%A3%E6%98%8E%E3%81%B8%E5%87%BA%E8%88%AA-/757568

ヒッグス粒子の発見――理論的予測と探究の全記録

【目次】
プロローグ
第1章 プリンストンへ――その遥かなる道のり
 ヒッグス場に手なずけられた素粒子たち
第2章 原爆の影
 科学者に明日は予見できない
第3章 79行の論文
 南部陽一郎の論文と出会って
 自発的対称性の破れ
 CERNに送った論文
第4章 名誉を分け合うべき男たち
 千載一遇のチャンスを逃したヒッグス
第5章 電弱理論の確証を求めて
 CERN内部の争い
第6章 野望と挫折
 ブッシュ‐宮沢会談の裏で――頓挫したSSC
第7章 加速器が放った閃光
 「君はヒッグス粒子を見つけたのかね?」
 追い詰められたLEP
    ・
第11章 「隠された世界」
 ヒッグスから届いた手紙
最終章 「新しい粒子」に導かれて
 「発見」と「観測」
 「発見したのです」

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ヒッグス粒子の発見』

イアン・サンプル/著、上原昌子/訳 ブルーバックス 2013年発行

第4章 名誉を分け合うべき男たち より

数式と曲線で埋め尽された黒板

マックスウェルが電気と磁気を統一したとき、彼の計算は、私たちが光として見ているものの域を超えた「電磁波」の存在を予見していた。科学者たちがマックスウェルに感謝したのは、その理論が正しいことを証明するための「探索の対象」を与えてくれたためだった。

幸運にも、ワインバーグの理論もまた、いくつかの予見をしていた。W粒子とZ粒子と名づけられた、新たな3種の素粒子である。W粒子(Wは”week(弱い)”からの命名)にはW+粒子(正の電荷をもつもの)とW-粒子(負の電荷をもつもの)の2つがあり、Z粒子は電荷を持たない。Z粒子の名前は、電荷がゼロ(zero)であること、そして、Zがアルファベットの最後の文字であることからつけられた。ワインバーグは、Z粒子が弱い力を伝える素粒子の仲間の、最後の1つであることを願ったのである。

第7章 加速器が放った閃光 より

LEP始動――月の満ち欠けにも影響を受けて

LEP(大型電子・陽電子衝突型加速器)の建設はそれ自体、他に類を見ない業績である。装置全体の大きさだけでも、骨の折れる技術上の挑戦の連続だった。しかし、建設作業はあくまで始まりにすぎなかった。 LEPの運用に関する話になると、リン・エバンスはソファから身を乗り出して、さらに生き生きし始めた。さまざまな意味で、LEPは現実のものとは思えないほどできすぎていたのだ。

新しい粒子衝突型加速器・LEPを使った最初の研究として、CERNはZ粒子の質量をより精密に計測することにした。CERNの科学者たちはそのために、加速器の中を飛んでいる粒子のエネルギー量を正確に知る必要があった。エネルギーの量を明確にできれば、Z粒子を生じる衝突すべてに費やされるエネルギー量が正確に把握できる。その数値から、Z粒子の質量が推定できるというわけだ。

1991年、奇妙な出来事が発生した。観測結果の中に、変わったパターンが含まれていることが明らかになったのだ。粒子ビームがだんだん強くなっていったあと、今度はだんだん弱くなるという不可解な規則性が見出されたのである。LEPの責任者だったエバンスは、機器の不安定さが問題なのではないかと疑った。電力供給に異常が生じているのではないかと考えたのだ。

CERNの科学者たちは、その奇妙な現象に数ヵ月間、頭を抱えていたが、そうこうするうちに他の研究所の研究者たちにその噂が広まっていった。ある日、スタンフォード線形加速器センターのゲルハルト・フィッシャー(1928~93年)という科学者が、直感からCERNに電話を寄越し、「CERNにはちょっと試してみるべきことがある」と提案した。

その助言に従い、CERNのベテラン研究員であるアルバート・ホフマン(1933年~)は、夜中から翌朝の午前4時までかかる、長く骨の折れる実験を行った。その実験――そして、その結果判明したこと――は、CERNの伝説となった。ホフマンが記録したデータの中に、この問題を指摘したフィッシャーが疑った犯人、すなわち、私たちに最も近い天体である月の存在があったのである。

私たちはみな、太陽と月の重力によって地球に潮の干満が生じることを学校で習う。月は、太陽に比べればわずかな質量しかもたないが、地球の非常に近くにあるため、太陽よりも潮の干満に与える影響が大きいのだ。

「君はヒッグス粒子を見つけたのかね?」

LEPによる研究が進んでいく中で、その運用に影響を及ぼすのが太陽と月だけではないことがわかってきた。エバンスのチームは地球潮汐を補正したが、その後も粒子のエネルギーにごくわずかな変動があることを見出したのである。

新たに気づいたその現象は、さらにもっと頭を悩ませるものだった。月曜日から金曜日まで、LEPのビームのエネルギーは毎日、同じ時間にブレを生じていたのだ。週末にも同様のブレは起こっていたが、起こる時間が平日とは異なっていた。その奇妙な現象はきわめて正確で、時計の針を合わせられるほどだった。
    ・
TGVジュネーブとパリを結ぶ高速鉄道)や月の満ち欠けの影響という思いもよらぬ事例を経験し、CERNの科学者たちは警戒心をもつようになった。――他にも、”招かれざる客”が自分たちの実験の前に現れるかもしれない。完全に役割を果たし終えるまでに、LEPはジュネーブ湖の水位の変化をとらえ、2000キロメートル離れたトルコ地震の影響をも感知したのだった。

LEPが粒子を衝突させ始めてからまもなく、科学者たちはヒッグス粒子の兆しが現れるのを目をこらして待ち受けていた。

ヒッグス粒子には、さまざまな方法で突然姿を現す可能性があったが、最も簡単に(少なくとも最も早く)気づきうるのは、生成されたばかりのZ粒子が崩壊してヒッグス粒子と他の素粒子の集まりへと姿を変える瞬間だった。

LEPに備えられた4つの検出器を担当するそれぞれのチームは、Z粒子崩壊後の各粒子が通過した痕跡がどのように見えるかずであるかを理解していた。だが、同時に、ヒッグス粒子が途方もなく軽い場合を除いては、紛れもなくヒッグス粒子のものであるという信号が確実に現れるまでに何年も必要としかねない事実も承知していた。

LEPが稼働し始めてから数ヵ月後、ヒッグス粒子の探索に関わっている科学者の1人であるジーン=フランソワ・グリバスが、CERNの講堂で30分間の講演を行った。ヒッグス粒子が現れる可能性のあるさまざまなケースを聴衆に追体験させた他は、決して実りの多い内容とはいえなかった。LEPは所詮、まだ数週間分のデータを生み出したにすぎず、何かを発見するにはあまりにも時期尚早だった。

予定の30分が過ぎ、参加者に謝辞を述べたグリバスは場内からの質問を受け付けた。1本の手が、宙に向かってゆっくりと挙がった。CERNの物理学者で、その前年にレオン・レダーマンとともにノーベル賞を受賞していたジャック・シュタインバーガー(1921年~)だった。
「ほとんどの時間を私は寝て過ごしたのだが」と前置きしたシュタインバーガーが訊ねた。
「君はヒッグス粒子を見つけたのかね?」
講堂が、どっと笑いに包まれた。

CERNは、W粒子とZ粒子についてさらに追及し、ヒッグス粒子を発見することを期待して、LEPの建設に莫大なスイスフランを投じた。その巨大装置は、さまざまな初期トラブルを経験したが、野心に満ちたプロジェクトだった。完成後のLEPは非常に繊細で感度が高く、科学者が予想していた以上に、周辺の世界について多くのことを教えてくれた。少なくとも、ジュネーブ湖への降水量と、その雨が湖の水位を上昇させたこと、そして次の満月がいつなのか、パリ行きの最後の列車がいつ出発したのかといったことを検知したのである。