じじぃの「科学・地球_528_ヒッグス粒子の発見・ブラックホール」

CERN 「ビッグバン実験」?


インドの少女、欧州での「ビッグバン実験」を恐れ自殺

2008年9月11日 ロイター
インド中部マディヤプラディシュ州で16歳の少女が10日、欧州で行われる素粒子加速装置を使った「ビッグバン」実験によって地球が終わりを迎えるとの報道にショックを受けて自殺した。少女の父親が語った。
https://jp.reuters.com/article/idJPJAPAN-33702120080911

ヒッグス粒子の発見――理論的予測と探究の全記録

【目次】
プロローグ
第1章 プリンストンへ――その遥かなる道のり
 ヒッグス場に手なずけられた素粒子たち
第2章 原爆の影
 科学者に明日は予見できない
第3章 79行の論文
 南部陽一郎の論文と出会って
 自発的対称性の破れ
 CERNに送った論文
第4章 名誉を分け合うべき男たち
 千載一遇のチャンスを逃したヒッグス
第5章 電弱理論の確証を求めて
 CERN内部の争い
第6章 野望と挫折
 ブッシュ‐宮沢会談の裏で――頓挫したSSC
第7章 加速器が放った閃光
 「君はヒッグス粒子を見つけたのかね?」
 追い詰められたLEP
第8章 「世界の終焉」論争
 素粒子物理学界を揺るがした2通の投書
    ・
第11章 「隠された世界」
 ヒッグスから届いた手紙
最終章 「新しい粒子」に導かれて
 「発見」と「観測」
 「発見したのです」

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ヒッグス粒子の発見』

イアン・サンプル/著、上原昌子/訳 ブルーバックス 2013年発行

第8章 「世界の終焉」論争 より

素粒子物理学界を揺るがした2通の投書

いつものフランク・ウィルチェックなら、こんなバカげた地球最後の日のシナリオ(加速器実験による重大な事故)に思いをめぐらせながらを過ごすことはありえなかった。ニューハンプシャー州に出かけて日光浴を楽しみ、その郊外に所有している隠れ家で気分転換するのが毎年の恒例だった。その家には電話がつながっておらず、ウィルチェックを必要とする人は誰でも、彼が戻るのを待たなければならなかった。それが、これまで何の問題なく過ごしてきた彼のやり方だったのだ。

だが、1999年の夏は違った。その何週間か前に2通の投書が世界最古の一般向け米国科学誌である「サイエンティフィック・アメリカン」のオフィスに届いていた。それらの投書は、ロングアイランド島に建設準備が進んでいる新しいコライダーに対する懸念を提起していた。「サイエンティフィック・アメリカン」誌は、非公式の場では、”リック”と呼ばれる「重イオン衝突型加速器(RHIC)」についての記事を数ヵ月前に掲載していた。記事のタイトルは「小さなビッグバン」だった。

RHICは、金のイオン同士を衝突させるために設計された加速器だ。金イオンの衝突により、科学者たちは万物創造の瞬間に存在したと考えられている「エキゾチック物質」を研究することが可能になる。
RHICについての1つは、カナダのブリティッシュコロンビア州に住むマイケル・コーギルという人物からだった。「私は、物理学者たちが安全でない可能性のある領域に大胆に進んでいることを憂慮している」と、彼は書いていた。「もし元通りにすることがっできないような、物事の根本的な性質を彼らが変えてしまったら、いったいどうなるのか?」

もう1通は、ハワイのウォルター・ワグナーという人物からのEメールだった。彼は、地球を数秒のうちに呑み込む恐れのあるブラックホールを、RHICがうっかり生成してしまう危険性はまったくないと科学者たちは完全に確信を得ているのかどうかを訊ねていた。

それらの投書は、素粒子物理学にとって、メディアにあおられる健康不安に相当するような事態の始まりだった。そのような読者の疑問は、科学における興味深い主張を取り上げている点では筋の通ったものだったが、彼らが考えているような事象は、本章の冒頭に書いた地球最後の日のシナリオと同じくらいバカげていた。

ストレンジレットの脅威

ブルックヘブンの重イオン衝突型加速器・RHICの稼働準備が整うまでに、リー・ヂョンダオ(1926年~)とイタリアの理論物理学者、ジアン・カルロ・ウィック(1909~92年)の”異常物質”に対する懸念は解消されていた。しかし「サイエンティフィック・アメリカン」誌に掲載されたウィルチェックの文章は、貪欲な略奪者であるストレンジレットがわれわれのすぐそばにいて、地球を破滅させる恐るべき役割を引き継ぐ運命にあると請け合ったのだ。

科学者たちは、もし原子核中の陽子と中性子が並外れて大きな圧力によって押し潰されたらどんなことが起こるのかを考察した際に、ストレンジレットという発想を思いついた。そうした現象は、中性子星の中心部でなら自然に発生するかもしれない。中性子星は、通常の恒星がそれ自身の重力に耐えきれずに爆発して崩壊(重力崩壊)するときに形成される。驚くほど密度が高い物体である。その星の中心部を成す物質は、小さじ1杯で1億トンに達するほどの重さなのだ。

陽子と中性子は通常、アップクォークダウンクォークの2種類のクォークからできている。しかし、科学者たちは、これらに非常に大きな圧力がかかると第3の種類のクォーク(ストレンジクォーク)に変わるかもしれないという疑いを抱いている。アップダウン、そしてストレンジの3つのクォークが混合してできる粒子が「ストレンジレット」である。

プリンストンの高等研究所の物理学者、エドワード・ウィッテン(1951年~)はアインシュタインを自然に受け継ぐ人物として多くの人々から評価されている。ウィッテン1984年、いったんストレンジレットが生成されると、生成のために必要とされた膨大な圧力が一度でもかかれば、ストレンジレットが放出される可能性があると予測した。その論文は、ストレンジレットが普通の物質より安定しているなら、ウィルチェックの描き出したアイス・ナイン(物語上の架空の物質であり実在しない。通常の水に接触すると、その全てを連鎖反応的な力で凝固させる働きをもつ)のシナリオに似た現象の引き金になるかもしれないという疑念の種をまいたのである。

ブルックヘブン研究所とCERNのそれぞれの安全委員会は、両者が所有するいずれのコライダーにおいてもストレンジレットについて心配する必要はない根拠として、非常に長く、論理的な説明にたどり着いた。万が一、生成できたとしても、ストレンジレットはそれほど安定しているわけではない。加えて、図らずも予想より長く滞在し続けたとしても、ストレンジレットはほぼ間違いなく正の電荷を有しており、他の原子核を吸い込んで取り込むことは不可能である――。

「起こりうる損害に上限はない」

加速器をめぐって生じた一連の議論から、私たちが学ぶべきことは何だろうか?
歴史は示唆している。「世界の終焉」につながるようなリスクは、今後もつねに潜んでいること、そして、たとえ偶然であったとしても、そのリスクが解き放たれる可能性が不確かな形で覆い隠されていることはほぼ間違いないということを。
危険を秘めたストレンジレットモノポール磁気単極子、磁極が1つだけの非常に小さな磁石)が選択肢から除外されても、他の可能性が物理学者たちの理論から浮かび上がるだろう。そのとき社会は、ごくわずかなリスクではあっても、大参事を引き起こす原因となりうる実験を行うべきか否か、どのようにして決定すべきなのだろうか?
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ブルックヘブン研究所とCERNの科学者たちが考察した地球最後の日のシナリオは、いずれも突飛なものに映る。地球破壊のリスクなどほとんど考えられないコライダーの建設を望む代わりに、あえて地球破壊マシーンを建設するように科学者たちが邪悪な権力者に命令されたと想像してみよう。どうやってそれを実行するかが議論されるだろうが、最終的な計画は予算オーバーとなる。もしそれが建設されたとしても、良い方向に向かう前に事態は悪い方向に進むだろう。私がいいたいのは、地球破壊は成功裏に終えられるほど、小さな行為ではないということだ。

フランク・ウィルチェックと地球最後の日のシナリオについて話をしているあいだ、私は、たとえそれがアクシデントだとしても、科学者に「自分には地球を破壊する能力がある」と考えさせりような不遜の心がわずかでも存在しないものなのかと疑問に感じていた。それに対するウィルチェックの答えに、私ははっとさせられた。

古典物理学はそれなりにすばらしいものでしたが、現代物理学からすれば驚くものではありません。量子の世界では、物事はまったく異なっています。莫大な量のエネルギーが、万物のごく小さなスケールの構造の中に閉じ込められているのに、そのことは、私たちが日々、経験することからは想像すらできないのです。
あなたは『不遜』といったけれども、それは、私たちができることに現実的には基づくわけです。魔法のように見えていたことを行なうのは、私たちが物事を本当に深く理解した場合です。あらゆる段階で新しい物事が発見され、理解されるとき、私たちはその可能性にどんなことが秘められているのかを考えなければなりません。私は、現実に起こりうる損害の量に上限があるとは考えていない。私たちは注意深く、かつ真剣でなければならないのです」

1999年に始まった地球最後の日のシナリオをめぐる騒動は、科学やリスクマネジメントの本質、公に対する説明責任に関する価値ある議論を生み出したが、それは、加速器の研究所で行なわれている研究から大きく注意を逸(そ)らすものだった。

フェルミ研究所では、技術者たちがテバトロンの性能を向上させるための重要な改修作業の完了に近づいていた。テバトロンが再稼働するとき、初めてヒッグス粒子の探索を主目的として行う準備が整うはずだった。そしてCERNでは、LEPがなかなか捕まらない粒子の探索競争をテバトロン1台に任せて運転停止前の運用を、あと1年残すばかりとなっていた……。