じじぃの「医学の父・ヒポクラテス・四股切断術!古代ギリシア人の24時間」

Surgical Animation Portrays Above-the-Knee Amputation

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=43JP6kOsuF0

 義足


義足の歴史【1/2】~世界最古から近代まで~

BionicM
1.世界最古の義足
歴史上に義肢についての記述が初めて登場したのは、紀元前1500年~800年頃です。
インドの聖典医学書)『リグ・ヴェーダ(リグーベダ)』に、義眼や義歯を表す記述とともに義足について記されています。
https://bionicm.com/column/history-of-prosthesis-1/

古代ギリシア人の24時間――よみがえる栄光のアテネ

フィリップ・マティザック/著、高畠純夫、安原和見/訳 河出書房 2022年発行

昼の第4時(9:00‐10:00)――訪問客が人命を救う より

「ああ先生、すぐ来てくれ。事故があって、人が円柱のドラムの下敷きになっちまって」
助けを求めに来た男は、あせるあまり足をじたばたさせている。「ヘパイストス神殿(ヘパイスティオン)で――いま修復作業をしてんだけど、ドラムが荷車からずり落ちやがって、デクリオンって若えのの脚がつぶされちまって、助けてやってくんねぇか」

この最後の問いかけを、医師ふたりは背中で聞いていた。すでに通りを全速力でハシリはじめていたのだ。おかげでなんとか間にあったが、もう少し遅かったら職人たちが患者を死なせてしまっていただろう。

職人たちは、円柱のドラムの下に木の棒を差し入れて、てこの原理で持ちあげようとしていた。下敷きになった男は、丸石を敷いた道路に倒れて動かない、ちかくでは2頭の雄牛が荷車につながれ、集まった野次馬たちがてんでに意見を言ったりお祈りをしたり助言したりしている。
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ヒポクラテスは説明した。「ドラムをどけたら、この若いのは確実に即死だぞ、いまのままでも死ぬ確率はかなり高いが、傷ついた脚に血がどっと流れ込めば、体液が乱されるだろう。まあしかし、好きにしたらいい。あっさり楽に死ねるほうが幸せかもしれんよ、たしかにな。だがその場合、わたしはなにもできないぞ。わたしの流派の根本原則は『ひとつ、害をなすなかれ』だからな」

職人はポイコスに目を向けた。「いってえどなたさんだよ、この人は」
「コスのヒポクラテス、当代一の大医学者だ。エジプトやバビュロンを旅してきて、わたしが10人かかってもかなわない医学知識を持っている。この坊やにとって今日は幸運な火だったと言いたいところだ――ただ、どう見てもそうは言えないようだが、坊やの生命を救いたければ、このヒポクラテスの言うとおりにすることだ。それから悪くとらないでくれ、この人はちょっとぶっきらぼうなところはあるが」

この人物評が耳に入った様子もなく、ヒポクラテスは言った。「この脚は切断するしかないな」と、柱のドラムと路面にはさまれて潰れた脚を指さす。「というより、すでに切断されているというべきだろうが。壊死の患者と同様の治療をして、膝下の部分は除去するしかあるまい。ポイコス、メモしておくといい――たとえこの患者が死んでも、記録は役に立つだろうから」
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ヒポクラテスの向こうでは、見物人たちがあわただしく行動に移っていた。危機的状況が見たければアテネはうってつけの場所だ。非常事態にさいして、アテネ人は素早く冷静に対処する。これはたぶん、アテネ人には残忍な習慣があって、そういう事態をしょっちゅう自分から引き起こしているせいだろう。ものの数分で必要なものがすべてそろった。カミソリのように鋭い皮剥包丁をヒポクラテスは手にしており、背後では職人の頭領が亜麻布を提供した露天商と言い争っている。

「そこのふたり――この若いのの肩を押えておいてくれ。たぶん正気づきはせんと思うが、ただ用心してくれよ。刃物が入ったときに、釣り上げられたマスみたいにはねまわれたら困るのだ。ポイコス、ここ、大内転筋のところを一時的に圧迫しなくちゃいけない。脛骨(けいこつ)と腓骨(ひこつ)のあいだを大動脈が通っているから、切断するさい、その大腿動脈を圧迫して血を止めといてもらいたい。エジプトで見てきたんだ。川の下流で堤防が決壊する前に、上流をダムでせき止めるようなものだな。ともかくそれでうまく行く。そこを押さえるとこちらの出血が減って、そのあいだに傷口を塞いで圧迫するわけだ」
「大腿を圧迫したままにしておけばいいのでは? それほど効果的なのであれば」ポイコスは尋ねた。
「それじゃだめなんだ、わかるだろう。包帯や吐血帯をきつく縛ると、どういうわけかそれより下の部分は壊死して、しまいに腐ってしまう。だから膝下の圧迫でも、縛るのではなく最後は包帯で押さえて止血するのだ」
ヒポクラテスは手早く作業を進める。ときどき包丁を持ち替えて、刃で切り裂くのではなく細い柄のほうで筋繊維をさばいていた。実際にはポイコスの補佐も必要なかったが、おかげで助かった。ヒポクラテスの指示した箇所で、上腿にこぶしをめり込ませておくだけで手一杯だったのだ。

ヒポクラテス

回復期にあるとか再発したとか、あるいは病気が急性、慢性、伝染性であるなどというのは、「医学の父」ヒポクラテスの分類に基づく表現である。
ヒポクラテスは、宗教やテウルギーとは異なる科学としての医学を確立した(テウルギーとは、祈祷や護符や犠牲など超自然的な手段を用いて治療しようとする考えかただ)。
ヒポクラテスは、診察、診断、治療計画(プロトコル)という、科学的原則に基づく治療法を確立した。本章で描いた四股切断術は、「ヒポクラテス集典」――ヒポクラテスが書いた(とされる)文章、そしてまた彼が生地コス島に設立した医学校の後継者たちが書いた文章をまとめたもの――からじかに引用している。「ひとつ、害をなすなかれ」は現代の医師も多く採用する「ヒポクラテスの誓い」にいまも生きている。もうひとつの引用句――ラテン語では'Ars longa, vita brevis'とされ、「芸術は長く、人生は短し」と訳されることもある――は文筆的な意味に解釈されてしまっているが、最初は医術について言った言葉だ。
ヒポクラテスは少なくとも80歳まで生きたと言われ、なかには100歳を超えたとする説もある。彼の名は「馬の強さ」という意味だが、生命力から見ればまさにそのとおりだった。

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どうでもいい、じじぃの日記。
古代ギリシア人の24時間』という本に、「ヒポクラテス」のことが書かれていた。
ヒポクラテスは「医学の父」と呼ばれ、外科手術も行なっていた。
脚の切断というと、交通事故で失うことが多いのかもしれない。

インドネシアで発掘された3万年ほど前の人骨からは、外科手術に成功した痕が見つかっている。
1862年にパリ近郊で発掘されたイオニア人の花瓶には、下腿の棒義足が描かれているが、これは紀元前4世紀頃のものと思われる。

ヒポクラテスは、診察、診断、治療計画(プロトコル)という、科学的原則に基づく治療法を確立した」

四股切断術は、大量の出血を伴うために、身体についてかなりの知識が必要のようだ。

ヒポクラテスは手早く作業を進める。ときどき包丁を持ち替えて、刃で切り裂くのではなく細い柄のほうで筋繊維をさばいていた」

まあ、包丁も外科用メスも同じなのだろうが、包丁の方が痛そうだ。