じじぃの「科学・地球_525_ヒッグス粒子の発見・野望と挫折・SSC」

Ronald Reagan & the Biggest Failure in Physics

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=ivVzGpznw1U

標準理論にあらわれる素粒子

2010年当時、ヒッグス粒子だけが未発見だった。

「神の素粒子」は5つある?

2010年8月26日 KEK
●標準理論のヒッグス粒子は一種類
我々が見たりさわったりすることのできる物質には質量があります。
原子核の中にある陽子や中性子、さらにそれらを構成するクォークは質量を持っています。原子核の周りを回っている電子にも軽いですが質量があります。また、原子核崩壊などの「弱い力」を担うW+粒子、W-粒子とZ0粒子にも質量があります。

標準理論では、これらの素粒子が質量を持つためにはヒッグス粒子の存在が不可欠であると考えられています。
https://www2.kek.jp/ja/news/highlights/2010/FiveHiggsParticles.html

ヒッグス粒子の発見――理論的予測と探究の全記録

【目次】
プロローグ
第1章 プリンストンへ――その遥かなる道のり
 ヒッグス場に手なずけられた素粒子たち
第2章 原爆の影
 科学者に明日は予見できない
第3章 79行の論文
 南部陽一郎の論文と出会って
 自発的対称性の破れ
 CERNに送った論文
第4章 名誉を分け合うべき男たち
 千載一遇のチャンスを逃したヒッグス
第5章 電弱理論の確証を求めて
 CERN内部の争い
第6章 野望と挫折
 ブッシュ‐宮沢会談の裏で――頓挫したSSC
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第11章 「隠された世界」
 ヒッグスから届いた手紙
最終章 「新しい粒子」に導かれて
 「発見」と「観測」
 「発見したのです」

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ヒッグス粒子の発見』

イアン・サンプル/著、上原昌子/訳 ブルーバックス 2013年発行

第4章 名誉を分け合うべき男たち より

数式と曲線で埋め尽された黒板

マックスウェルが電気と磁気を統一したとき、彼の計算は、私たちが光として見ているものの域を超えた「電磁波」の存在を予見していた。科学者たちがマックスウェルに感謝したのは、その理論が正しいことを証明するための「探索の対象」を与えてくれたためだった。

幸運にも、ワインバーグの理論もまた、いくつかの予見をしていた。W粒子とZ粒子と名づけられた、新たな3種の素粒子である。W粒子(Wは”week(弱い)”からの命名)にはW+粒子(正の電荷をもつもの)とW-粒子(負の電荷をもつもの)の2つがあり、Z粒子は電荷を持たない。Z粒子の名前は、電荷がゼロ(zero)であること、そして、Zがアルファベットの最後の文字であることからつけられた。ワインバーグは、Z粒子が弱い力を伝える素粒子の仲間の、最後の1つであることを願ったのである。

第6章 野望と挫折 より

ブッシュ‐宮沢会談の裏で――頓挫したSSC

1991年、ついに土木技師たちがSSC(超伝導超大型粒子衝突型加速器)の建設工事に取りかかった。超伝導磁石の周囲で循環するマイナス268.8℃の液体ヘリウムに必要な巨大な冷却ユニットの筐体(きょうたい)に手がつけられた。
地下では、加速器を設置するための場所を作るため、何マイルも続く石灰岩層が掘り進められた。プロジェクトの予算は、80億ドルにまで跳ね上がっていた。

だが、米国政府の費用負担はそのうちの50億ドルだけで、超過分は他国から調達するという名目で先に進められていた。プッシュ大統領が1992年1月の初めに訪日した際、最優先課題は日本政府から巨額の拠出金を引き出すことだった。
しかし、その外遊は完全な成功とはいかなかった。公式晩餐会の席で、大統領が当時の宮沢喜一首相の膝に嘔吐して崩れ落ち、そのうえSSCに何の手土産もなく帰国したからだ。日本政府の関係者は、SSCは国際的なプロジェクトではなく、正式にそうなるまでは我が国は支援しないだろうと話した。
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テキサス州のウォクサハチーにその装置が建設されると発表されたとき、予期せぬことに、SSCはすぐさま国際宇宙ステーションISS)との競争に巻き込まれることになった。SSCを支援していた物理学者たちにとって、まったく予想外の出来事だった。

SSCは、地下深くのトンネルの中で自然を探索することによって、科学的な優位性を主張するために設計された。ISSはその真反対で、地表から200マイル(約322キロメートル。ISSの高度は約278~460キロメートルの範囲で変動している)上空を飛ぶ。優れた技術力の展示場だった。多くの面で、幅広い相違点があるにもかかわらず、ともにテキサス州のプロジェクトとして割り当てられたことが明暗を分ける結果となった。

ISSの運用・管制は、テキサス州ヒューストンにあるNASA(米国航空宇宙局)のジョンソン宇宙センターが担当する。両院議員の多くは、2つの巨大プロジェクトをテキサス州にもっていくことに賛成票を投じる考えを拒絶した。2つの案件のうち、ISSにより多くの賛成票があったのは、防衛産業の支援があったためである。

ビル・クリントンが出馬した大統領選は、SSCプロジェクトの存続には役立たなかった。彼自身はSSCに反対していたわけではなかったが、レーガンほど力を注がなかったこともまた事実である。

SSCの死を看取って誕生した”神の粒子”

SSCが死んだ年は、”神の粒子”が誕生した年でもあった。レオン・レダーマンと、米国の科学ライターのディック・テレーンは、SSCによるヒッグス粒子の探索の舞台を用意した素粒子物理学の歴史を共同で執筆した。レダーマンによれば、その本の編集者は、ヒッグスや彼の唱えた謎の多いその粒子の名前のついたタイトルをいずれも却下した。もっと独創的なものにする必要があったのだ。

レダーマンは、その本のタイトルを『いまいましい粒子』(The Goddamn Particle)にしたかった。見出すのに、非常に困難を伴う粒子だったからだ。しかし編集者は、それを『神の粒子』(The God Particle)へと改めた(邦題は『神がつくった究極の素粒子』)。だが、そのニックネームは受けるに値する、とレダーマンは書いている。なぜなら、その素粒子は物質の理解には必要不可欠でありながら、なかなか正体を現さないからだ、と。

”神の粒子”というニックネームは、物理学史上最大とまではいわないまでも、最大級のバカげた代物だと見なされている。実際に研究している物理学者たちは、それがどれほどひどく不快な名前であるが、声を上げてまくし立てる。中のは、まったくのできそこないだと感じる者もいた。その名前が”ヒッグス粒子”よりも興味をかき立てるように聞こえるというだけで、メディアが飛びついた事実を嫌った者もいるのだ。
当のピーター・ヒッグスは、その名前にたじろいでいた。彼は、”神の粒子”という名前がその地位を高められ、宗教的信仰をもつ人々の反感を買うのを恐れたのである。

レダーマンは現在、90歳を超え、フェルミ研究所の敷地内に住んでいる。
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彼のユーモアのセンスは、まったく衰えていないようだった。”神の粒子”という彼のネーミングについて、長年、彼が受けてきた論評について語るとき、レダーマンはニヤニヤ笑った。彼は、その本のタイトルは2つのグループの人々から反感を買ったのだ」と、かつて冗談を飛ばしたことがある。

神様を信じる人たち、そして、それを信じない人たちだ、と。レダーマンは、米国の科学教育に及ぼされる宗教的な影響について話題が転じたときと、その後に何が起こり得たかに話が及んだ際に、真面目な表情になった。「もしSSCが続行していたら? 私たちは、1998年か99年までにはヒッグス粒子を見つけていただろうね」と彼はいった。
「それを見つけるか、あるいは標準理論には何か他のものが働いていると断言できていただろう」

SSCを失ったことは、ヒッグス粒子の発見競争に勝利するという米国の望みを、フェルミ研究所のテバトロンに託すことを意味していた。
SSCの運命が大西洋を浮き沈みしていたいたとき、欧州の科学者たちは、これまで世界が見たこともない最大の粒子衝突型加速器を作動させた。非現実的なSSCにくらべれば小ぶりなそれは、ジュネーブ近郊にあるCERNの敷地の地下100メートルに埋められた、外周17マイル(約27.4キロメートル)のトンネルの中にあった。

その加速器は「大型電子・陽電子衝突型加速器(LEP)」と呼ばれ、ヒッグス粒子が隠れていると考えられている高エネルギー領域での実験に進む前にZ粒子を生成し、そのふるまいを研究するために設計されたきわめて繊細な装置だった。

CERNヒッグス粒子を追い求めている科学者たちは、彼らの行く手に何が待ち構えているのか皆目見当もつかずにいた。研究所にある彼らのオフィスで物理学者と話すとすぐにわかることだが、今でさえほとんど理解ができていないのだ。その事象の中心にいるある研究者は私に、LEPで追い求めることへのストレスから回復するのにまるまる1年かかったと告白した。
ヒッグス粒子をめぐる探索には、単純な要素など何1つ存在しないかのようだった。