ベルリンの壁 崩壊の夜 9th Nov.1989 The Night from East-Berlin to Top of the Wall
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若き日のプーチン氏がドイツで感じた「トラウマ」とは? 古都で過ごした冷戦末期の日々
2022年2月13日 毎日新聞
ロシアのウラジーミル・プーチン大統領(69)は、なぜ何としてもウクライナを勢力圏に置きたいのだろう。私はベルリン特派員時代の2014年、ウクライナ紛争の取材で現地を訪れるたびにいつも素朴な疑問を抱いていた。
そんな時、「答えはドイツ時代にあるよ」という人がいた。プーチン氏は冷戦末期の旧東ドイツで若き日を過ごしたが、その時の経験が後の人格形成に影響を与えたというのだ。どういうことなのか。今回はドイツ時代のプーチン氏を考えてみたい。
●肌で感じたベルリンの壁崩壊の怖さ
プーチン氏がドレスデンにいた89年11月、ベルリンの壁が崩壊した。当時37歳だった若き情報員は、ドイツの市民が一夜にして世界を変えた勢いを目の当たりにした。
https://mainichi.jp/premier/politics/articles/20220209/pol/00m/010/020000c
ロシア・プーチン大統領の原点とは
ロシアによる軍事侵攻からまもなく1年。
プーチン大統領はなぜ、ウクライナを力で押さえつけようとするのか。
その原点を求めてドイツ東部のドレスデンに向かった。
https://plus.nhk.jp/watch/st/g1_2023021802881
じじぃの日記。
2月18日、NHK 「サタデーウオッチ9」を観た。
ロシア・プーチン大統領の原点とは
1985年、東ドイツだったドレスデンに当時30代のプーチンは情報機関KGBの工作員として活動していた。
プーチンがドレスデンにいた89年11月、ベルリンの壁が崩壊した。
市民を押さえ込もうとするプーチン大統領の強権的な姿勢は、かつて同じソビエトを構成し歴史的にもつながりが深いウクライナにも向けられてきた。
2022年2月にロシアによるウクライナへの軍事侵攻が始まって1年になる。
ノルウェー軍高官は1月、同国テレビで両軍の死傷者はウクライナが約10万人、ロシアは約18万人との推計を明らかにした。
ロシアによるウクライナへの軍事侵攻はプーチンがドイツで経験した「ベルリンの壁の崩壊」にあった!
こんなプーチンだったら、原子爆弾使用もありえるんだろうなあ。