神の数式 完全版 #02 “重さ”はどこから生まれるのか~自発的対称性の破れ 驚異の逆転劇
NHK-BS1 「神の数式 完全版」
神の数式 完全版 第2回 「“重さ”はどこから生まれるのか~自発的対称性の破れ~」
2013年12月25日 NHK-BS1
美しい数式を探究し、ミクロの謎に迫る天才たちの前に立ちはだかったのは、なぜ物に“重さ(質量)”があるのかという問いだった。
実は素粒子の理論を積み重ねていくと、数式の上では素粒子の重さをゼロにしないと計算が破綻してしまうのだ。
今、この問題にひとつの決着をもたらそうとしているのが、2012年に発見されたヒッグス粒子だ。ヒッグス粒子の存在は2008年にノーベル物理学賞を受賞した南部陽一郎(92)が1960年代に発表した「美しい対称性を持っていた世界が、対称でなくなることで重さが生まれる」という理論から導き出された。万物に重さを与え、“神の数式”に最も近い最新理論を生んだアイデアは、どこから来たのか。南部の証言から解き明かす。
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「cool-hira ヒッグス粒子の発見」画像検索
ヒッグス粒子の発見――理論的予測と探究の全記録
【目次】
プロローグ
第1章 プリンストンへ――その遥かなる道のり
ヒッグス場に手なずけられた素粒子たち
第2章 原爆の影
科学者に明日は予見できない
第3章 79行の論文
南部陽一郎の論文と出会って
自発的対称性の破れ
CERNに送った論文
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第11章 「隠された世界」
ヒッグスから届いた手紙
最終章 「新しい粒子」に導かれて
「発見」と「観測」
「発見したのです」
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第3章 79行の論文 より
「対称性の破れ」に注目せよ
南部陽一郎の発想の大転換は、宇宙で起こった何か他の対称性の破れが、質量のない素粒子に質量をもたらしたのではないかというものだった。
彼の論文は結果として、陽子や中性子、その他いくつかの素粒子に質量を与える対称性の破れがどのようにして起こりうるかを大まかながら説明していた。その研究は、何1つ確かめられていなかったが、ヒッグスを含め、多くの科学者たちの心に種をまいた――「対称性の破れ」は、質量の起源を探るカギになるかもしれない。
対称性が物理学の歴史に果たした重要性は、いくら誇張してもしすぎることはない。ガレリオの時代からずっと、物理学者は対称性を自然界の法則を理解する指針と見なしてきた。物理学者は、「対称性とは、異なる環境の下でも変わらない自然の性質である」としている。
自発的対称性の破れ
南部陽一郎は、素粒子の質量に核心に「自発的対称性の破れ」があるとした。ペンの一端を下にして垂直に立たせ、そのままにしておいたなら、あなたは対称性の破れが自然発生的に起こるさまを目撃するだろう。倒れたペンの先端は、必ずどこか一方向を指す、そのときぺんは、対称性をもった「垂直に立った姿勢」から、「横たわった」非対称性の姿勢へと変化している。対称性の損失は、避けられない。ペンは地球の重力場がもつ引っ張る力に負けたのである。
南部の研究は、「宇宙は対称性のあった局面に誕生し、その時点では全ての素粒子が質量をもっていなかった」と確信した。その後に、新しい種類の場の影響を受けて対称性が破れいくつかの素粒子が突然、質量を獲得したと主張したのである。
CERNに送った論文
科学の世界には、学術誌の中で議論が展開されるという、滅びつつある伝統がある。
ある物理学者が、他の学者が賛成しかねるような内容の論文を掲載すると、反対者は自分の批判意見を出版元に送り、それを掲載するよう依頼する。最初の論文を書いた者は、反論に再反論する権利を得る。もしそれが、科学的な研究の価値をスピーディに議論する方法としてでなければ、実に礼儀正しく、かつ上品なものだ。
1964年の春、そのような批判意見の応酬が、米国の物理学誌「フィジカル・レビュー・レターズ」上で起こった。その1年前、ニュージャージー州にあるベル研究所の物理学者、フィリップ・アンダーソン(1923年~)が、「南部の理論を破滅させるように見える質量のない素粒子は、おそらくは結局のところ、さほど大きな問題とはならない」と指摘していた。
アンダーソンは、物質の構造の研究で1977年にノーベル賞を受賞した人物である。彼は、「質量のない素粒子は超伝導体に現れるが、相互作用ですぐに重さを得る」と述べた。アンダーソンは、南部陽一郎は正しい着想をしていたが、理論が間違っていたのだと考えていた。
ペンシルベニア大学の物理学者、ベンジャミン・リー(通称、ベン・リー。1935~77年)とエイブラハム・クレイン(1927~2003年)の2人は、同誌に、彼らが南部の研究を改善するものとして考え出した着想を掲載した。そこに、もう1人の物理学者、ハーバード大学のウィルター・ギルバート(1932年~)からのレター(学術誌に概要や論文として掲載される前の投稿)が続いたが、それはリーらの投稿をけなすものだった。
ギルバートのレターを読んだヒッグスは、ひどく意気消沈した。それが、ヒッグス自身の研究もまた、間違えている可能性があることを意味していたからである。
ヒッグスは、エディンバラで落ち込んだ週末を過ごす覚悟をしていたが、ギルバートのレターを改めてじっくり考えていたときに、あるアイデアがひらめいた。――ギルバートは何かを見落としている。
ギルバートの主張には、ある”抜け穴”があったのだ。ヒッグスは、ジュリアン・シュウィンガーが量子電磁力学を定式化するために使った、数学のうまい方法を知っていた。それがギルバートの指摘した欠陥を防いでいた。もしヒッグスが正しければ、それは、南部の理論を悩ませた問題に突き当たることなく、いかに素粒子が重さを獲得したかについて明らかにしていた。
1964年6月の月曜日の朝、ヒッグスは大学の部屋に向かい、仕事に取りかかった。
わずか79行の文章と数式――それだけで、ピーター・ヒッグスは、ギルバートの主張の欠陥を説明してみせたのである。それをタイプで打ち、ジュネーブ近郊にある欧州の核研究施設、CERN(欧州合同原子核研究機構)に送付した。CERNは、学術誌「フィジックス・レターズ」の編集者の本拠地だった。ヒッグスのレターは、7月の終わりにCERNに届いた。
ヒッグスの闘志にに火がついた。彼の次なる仕事は、自身の理論の概要を伝える論文を書くことだった。