じじぃの「科学・地球_519_ヒッグス粒子の発見・原爆の影」

What is the Higgs boson?「ヒッグス粒子って何?」 ILC lecture Episode 5

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=xM_fkcb9w2g


ヒッグス粒子について

2012-07-05 naganomathblog
ヒッグス粒子とは
そして、その動かしにくさを生み出している粒子こそ、「ヒッグス粒子」なのです。
ヒッグス粒子は空間を埋め尽くしています。例えるなら、体育館を埋め尽くす群衆のようなものです。そしてこの体育館の中に有名人が入ってきたとします。すると有名人は群衆に取り囲まれてなかなか前に進めませんね。群衆(ヒッグス粒子)のせいで動きづらくなっているわけです。
この場合質量は、有名の度合いに例えることができます。
https://ameblo.jp/naganosuugakujyuku/entry-11294782604.html

ヒッグス粒子の発見――理論的予測と探究の全記録

【目次】
プロローグ
第1章 プリンストンへ――その遥かなる道のり
 ヒッグス場に手なずけられた素粒子たち
第2章 原爆の影
 科学者に明日は予見できない
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第11章 「隠された世界」
 ヒッグスから届いた手紙
最終章 「新しい粒子」に導かれて
 「発見」と「観測」
 「発見したのです」

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ヒッグス粒子の発見』

イアン・サンプル/著、上原昌子/訳 ブルーバックス 2013年発行

第2章 原爆の影 より

科学者に明日は予見できない

マックスウェルの研究は、物質について考察している科学者たちにとって、差し迫った難問を突きつけた。ニュートンの実在感が浸透していた当時、科学者たちは「自然界のあらゆるものは、どのような形にせよ、物質という言葉で説明できる」という考え方に、概して同意していた。「場」を用いる必要性はどこにもない。ニュートンの法則1つで、あたかも巨大な機械的秩序のように、宇宙を満たすあらゆる物質の性質とそれらの動きのすべてを説明できるはずだった。

しかし、光を異なる解釈でとらえる中で、明らかな不調和が生じてしまった。ニュートンは、一筋の光は”小さな粒子の流れ”であるとしていたが、マックスウェルにとって、それは”波”だった。マックスウェルの光の理論は、「波とは何か?」という新たな問いを引き起こした。

電磁波の性質は何か? マックスウェル自身、どう答えてよいのかわからない問題だった。その問題に対する科学者たちの態度は、科学の世界に深く根ざした考え方をひっくり返すことがいかに至難の業(わざ)であるかを、如実に表していた。彼らの反応は”エーテル”という一風変わった形態の物質が宇宙に充満している、という説を提示する形で現れたのだ。彼らは、光の波は、空気の中を伝わる音波のように、”エーテル”の中を伝わる圧力波であるに違いないと主張した。
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自然がもつ不可思議な性質は、”神の証拠”として挙げられることがよくある。”エーテル”に関してもそうだった。もしその存在が真実なら、”エーテル”は想像できないほどの大きさで、完全に非の打ちどころがなく、折り合いをつけるのが難しい特性をもっていた。マックスウェルもその1人だったが、信仰心のある人々にとっては、そのようなたぐいの仕事を成し遂げられるのは神だけだった。

当時の著名な科学者であったウィリアム・トムソン(通称、ケルビン卿。1824~1907年)は、光は”エーテル”中の圧力波によって送られるということに何の疑いも抱いていなかった。もっとも、彼は無線には未来なないと確信し、”旅客機”など軽率な人間の考えることで、離陸することなど決してないだろうとも思っていた。ケルビン卿は、科学分野において、何よりも不思議な次のような2つのパラドックスを体現していた。

「いつの時代も、自然界に関する最新の理論は、ほぼ確実に間違いになる」、そして「科学者は、今日の発見がいかに明日のテクノロジーになるかを、最も予想しそうもない人たちだ」

光の性質についてのマックスウェルの発見は、場の概念をしっかりと確立し、それによって、ヒッグスの理論の重要な礎(いしずえ)を築いた。しかし、ヒッグスが突破口を開くまでには、さらに劇的な事態の展開が必要だった。マックスウェルの死から20年後に「量子革命」が始まり、その第1段階はヒッグスが誕生した頃に幕を下ろしている。
この期間ほど、物理学が非常にめまぐるしく変遷し、論争を読んだ時代は他に例を見ない。

ダイソンの告白

1980年に撮影されたテレビドキュメンタリーのインタビューの中で、フリーマン・ダイソンは、核爆弾に対する自身の複雑な心境について、彼らしい率直さを見せている。
「私自身が感じるのは、核兵器の華々しさです。もし、科学者としてそれを考えついたなら、それは抗しがたい魅力です。核爆弾が自分の手中にあると感じること。恒星に燃料を供給するエネルギー(核融合を利用する水素爆弾の場合の核融合エネルギー)を放出すること。それを自分の思い通りに操ること……。そのような奇跡を遂行すること。100万トンの石を空に舞い上げること。それは無限の力という錯覚を人々に与えるのです。ある意味では、それこそが、私たちの抱えるすべてのトラブルの原因です。自分に何ができるのか、自分の心に従って考えるときに人々がつい負けてしまう。いわゆる”技術に対する傲慢”だと思います」

広島とそれに続く長崎への原爆投下によって、ピーター・ヒッグスが通っていたプリンストン大学では、核分裂原子爆弾の科学についての物理学講義が相次いで実施されるようになった。学生の中には、そのテーマが歴史の流れに及ぼしたインパクトに魅せられた者もいたし、拒絶反応を示した者もいた。

「日本に投下された2つの爆弾は、人々を理論物理学者に引き込むか、あるいは、それらを崇拝者たちに任せておくか、そのどちらかに導きました」――ヒッグスはのちに、こう話している。
「あれは、世の中で何が起こっているのか、私自身が理解し始めた瞬間でした。あれ以降、私は、兵器に使われる恐れのあることは、何であれ避けようと心に決めたのです」

大戦後の物理学は、日の当たる新たな場所を見出した。戦争は、物理学における発見が、いたるところで”ことの成り行き”に影響を及ぼしうることを、疑う余地なく実証した。物事の進行の遅れ、あるいは、発見やその活用に失敗に対する代償は、歴然としていた。戦禍にまみれた各国が再建されたとき、物理学者は尊敬の対象になった。新しい世代の物理学者が、量子の世界へ深く入り込み、「質量の起源」を発見するときが訪れたのである。