じじぃの「歴史・思想_638_逆説の日本史・中華民国の誕生・科挙」

科挙からみる中国史 ~史上最難関試験~【一話完結】

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=xDjyvC8lUaE

科挙の合格者発表


科挙

ウィキペディアWikipedia) より
科挙(かきょ)とは、中国で598年 - 1905年、即ち隋から清の時代まで、約1300年間にわたって行われた官僚登用試験である。同様の制度は中国だけでなく、日本、朝鮮、ベトナムにも普及した。

建前上、受験資格に制限のない科挙ではあったが、科挙に合格するためには幼い頃より労働に従事せず学問に専念できる環境や、膨大な書物の購入費や教師への月謝などの費用が必要で、実際に受験できる者は大半が官僚の子息または富裕階級に限られ、士大夫の再生産の機構としての意味合いも強く持っていた。ただし、旧来の貴族の家系が場合によっては六朝時代を通じて数百年間も続いていたのに比べ、士大夫の家系は長くても4代から5代程度に過ぎず、跡取りとなる子が科挙に合格できなければ昨日の権門も明日には没落する状態になっていた。また幕友として働きながら受験する者もいた。

科挙に合格して官僚となることは、本人のみならずその宗族にとっても非常に重要な意味を持ち、「官本位」と呼ばれる権力中心の中華王朝社会では一人の人間が官僚となり政治権力の一部となることは本人だけでなくその者の宗族に莫大な名誉と利益をもたらす。そのため宗族は「義田」という共同財産を使い「義塾」を開いて子弟の教育を行って宗族から一人でも多くの科挙合格者を出すことに熱心であった。

清朝末期に中国が必要としていた西洋の技術・制度は、いずれも中国社会にはそれまで存在しなかったものばかりであり、そこでの常識だけでは決して理解できるものではなかった。中国が植民地化を避けるために近代化を欲するならば、直接は役に立たない古典の暗記と解釈に偏る科挙は廃止されねばならなかったのである。

                  • -

『逆説の日本史 27 明治終焉編 韓国併合大逆事件の謎』

井沢元彦/著 小学館 2022年発行

第2章 「好敵手」中華民国の誕生 より

中華民族が2500年持ち続けた「人間は平等では無い」という信念

「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」は福澤諭吉の『学問のすゝめ』の冒頭の音場としてあまりにも有名だが、この続きを知る人は少ない。まず、この言葉を受ける一句に注目していただきたいのだ。それは「といへり」なのである。現代語に訳せば、「とは言うけれども」なのである。お気づきだろうが、このように文章をつなげば当然その後に続く文章は、その前の文章とは反対の内容を語ることになるはずだ。つまり、「人間は完全に平等である」の反対である。実際、この「といへり」の直後は「人間は平等」を補足する言葉なのだが、その少し先に「されども」という接続詞があって次のようになっている。

  されども今、広くこの人間世界を見渡すに、かしこき人あり、おろかなる人あり、貧しきもあり、富めるもあり、貴人もあり、下人(げにん)もありて、その有様雲と泥どろとの相違あるに似たるは何(なん)ぞや。その次第、はなはだ明らかなり。『実語教(じつごけう)』に、「人学ばざれば智なし、智なき者は愚人なり」とあり。されば賢人と愚人との別は学ぶと学ばざるとによりてできるものなり。また世の中にむずかしき仕事もあり、やすき仕事もあり。そのむずかしき仕事をする者を身分重き人と名づけ、やすき仕事をする者を身分軽き人といふ。すべて心を用い、心配する仕事はむずかしくして、手足を用うる力役(りきえき)はやすし。ゆえに医者、学者、政府の役人、または大なる商売をする町人、あまたの奉公人を召し使う大百姓などは、身分重くして貴き者といふべし。
        (『学問のすゝめ』伊藤正雄校注 講談社刊)

おわかりだろう。実社会において「人間は平等では無い」と福澤は述べているのだ。では、そんな社会でどうしたら浮かび上がることができるのだろう。その答えもある。

  身分重くして貴ければおのずからその家も富んで、下々(しもじも)の者より見れば及ぶべからざるようなれども、その本(もと)を尋ぬればただその人に学問の力あるとなきとによりてその相違も出来たるのみにて、天より定めたる約束にあらず。諺(ことわざ)にいわく、「天は富貴を人に与へずして、これをその人の働きに与うる者なり」と。されば前にも言える通り、人は生まれながらにして貴賤・貧富の別なし。ただ学問を勤めて物事をよく知る者は貴人となり富人となり、無学なる者は貧人となり下人(げにん)となるなり。
        (引用前掲書)

あらためて解説するまでも無いだろうが、要するに最初はみんな平等なはずの人間に格差が生じるのは、学問を修めたか修めなかったかによって決まる、というのである。
    ・
ここで重要なのは、「経書の中の格言を妙録」したという部分である。『経書』とは「中国古代の聖賢の教えを述べた書物。儒教の経典。儒教の経典。 四書・五経・十三経の類。経籍」(『デジタル大辞泉』)
だから、じつはこうした考えのオリジナルは儒教にあるのだ。と言っても朱子学では無い。朱子学がうまれたのは日本における鎌倉時代以降だから、平安時代に成立した『実語教』の内容は孔子の教えである古い形の儒教に沿ったものなのである。その孔子の言行録である『論語』をあらためて読んでみればわかることだが、じつは『学問のすゝめ』を声高に唱えているのはそもそも孔子が元祖であり、福澤の主張はそのうの受け売りに過ぎない。しかし、福澤にもオリジナリティーはちゃんとある。それは、中国大陸や朝鮮半島では後に朱子学の悪影響で、朱子学以外は学問で無いということになってしまった。だからすでに述べたように孫文は「無学の人」にされてしまったのだが、ここで福澤が述べている学問とは西洋の学問のほうであって朱子学では無い。むしろ朱子学のようなものは捨てるべきだと福澤は考えており、だからこそのちに「脱亜入欧」も主張した。つまり、なにを学問とするかについて福澤はあきらかに新しい考え方を述べている。しかし、その根本にあるのは「実社会において人間は決して平等では無い」という、世界でもっともリアリスティックな民族と言っていい中華民族、あるいは漢民族または中国人と言い換えてもいいが、彼らの根本的信念なのである。人間は決して平等では無い。逆に言えば、優秀な人間と無能な人間が両方いるのが人間社会である。ではそうした人間社会をどのように効率的に的確に運営していけばいいのか?

こうした社会的前提を絶対的なものにすれば、答えは1つ。優秀な人間を選抜して彼らがそれ以外の愚かな大衆を指導していけばいい、ということになる。その合理的な遠別手段として考案されたのが、儒教そしてのちには朱子学を受験科目とする「国家公務員登用試験」である科挙だ。
そしてこの試験は、身分を問わず誰でも受験が可能である。ということは、社会制度としての公平性も保たれる。彼らは、この社会的体制こそ世界に他に類例を見ない合理的で優秀なものだと考えた。だからこそ、それが実施されている場所こそ「中華の地」つまり世界でもっとも優れた中国であり、中国人こそ最高の文明人であるという自負も生まれた。