じじぃの「歴史・思想_637_逆説の日本史・中華民国の誕生・北京議定書」

北京議定書の調印式の写真

北京議定書

2019-07-15 世界の歴史まっぷ
●北京議定書(辛丑和約) 1901
義和団事件に関する清朝と11ヵ国(出兵8ヵ国(日本・ロシア・イギリス・フランス・アメリカ・ドイツ・オーストリア・イタリア)とベルギー・オランダ・スペイン)との講和条約
清朝は、責任者の処罰、賠償金4億5000万両テールの支払い、北京公使館区域および特定地域への列国軍隊の常駐などを承認した。
https://sekainorekisi.com/glossary/%E5%8C%97%E4%BA%AC%E8%AD%B0%E5%AE%9A%E6%9B%B8/

『逆説の日本史 27 明治終焉編 韓国併合大逆事件の謎』

井沢元彦/著 小学館 2022年発行

第2章 「好敵手」中華民国の誕生 より

清朝打倒を望む多くの清国人がめざした「駆除韃虜、恢復中華」

恵州起義(恵州で清朝打倒の戦い)は失敗したのに、なぜ清国人の革命運動に対する評価は高まったのか? ごく簡単に言えば、それは「敵失」だったろう。清朝の腐敗堕落があまりにひどく、「君君たらずとも臣臣たらざるべからず」が根本道徳である清国人も我慢の限界に達したということだ。この言葉は中国の古典『古文孝経訓伝序』にあるもので、意味はいうまでも無く「主君に徳が無く主君として不適格でも、臣下は忠節を尽くさなければならない」ということだが、思い出して欲しい。清朝最後の忠臣とも言うべき李鴻章が苦心して築き上げた北洋艦隊は、なぜ弾薬不足に悩まされたのか? 国家にカネが無かったのでは無い。そのカネを実質的な「皇帝」であった西太后が自分の贅沢のために浪費し、艦隊に回さなかったからである。明治天皇が皇室の費用を艦隊充実に回したのとくらべれば、まさに天と地、月とスッポンの違いである。しかも、義和団事件においても西太后は当初義和団を支持していたのに。劣勢になると手のひらを返し、あげくの果ては北京から西安まで逃げ出したうえに、列強に多額の賠償金を取られた。李鴻章が最後の力をふり絞ってまとめた講和条約(辛丑和約)で決まった北京議定書では、4億5千万両を列国に年利4パーセントで39年間の分割払いで支払うことが決まった。この6年前には日清戦争の敗北で日本に2億3千万両支払ったばかりなのに、である。当然、そのツケは重税となり庶民にまで回ってくる。

また忠義を絶対視する朱子学の視点から見ても、西太后は皇帝を差し置いて勝手な政治をしている真の君主とは言えない存在である。それでもその政治が清国いや「中国人」全体にとって良いものであるならまだしも、そうでは無いのだからますます忠誠心が薄れる。さらに、漢民族遊牧民族に対する根深い差別というか優越感もあった。つまり、「あんな野蛮な連中が皇帝となっているのは真の中国では無い。だからうまくいかない」ということだ。高等教育以上はアメリカで学び「中国人」の中ではもっとも民主的センスをもっているはずも孫文も、そうした優越感というか差別環状には「迎合」せざるを得なかった。
    ・
それにしても改めて思うのは、日本における天皇はいかに貴重な存在であったかということだ。吉田松陰らが中心となって(これも朱子学の応用ではあるのだが)天皇を絶対者(私の用語では「平等化推進体」)に押し上げたことによって、近代国家に絶対必要な「四民(士農工商)平等」も「忠孝一致」も実現した。忠孝一致とは以前にも述べたことだが、わかりにくいことだからもう一度繰り返すと、本来の朱子学では「孝」は「忠」に優先する。極端なことを言えば、いや決して極端では無いのだが、軍人でも親孝行のためなら戦場から離脱して実家に帰っても非難されない、ということだ。しかしそれでは市民国家(市民すなわち男子がすべて兵役を果たし、国家のために忠誠を尽くす)は実現できない。そこで日本では、「国民はすべて天皇の赤子(せきし、子供)であり、親に対する『孝』と天皇に対する『忠』は等価値だ」ということにした。

しかし、朱子学体制の本場である中国大陸や朝鮮半島ではこれが不可能だ。皇帝や国王は絶対者のように見えるが、「親に対する『孝』を捨てて国家に対して『忠』を尽くせ」という命令は絶対に出せない。「『孝』のほうが絶対」だからだ。もしそんな命令を出したとしたら、その瞬間にその権力者は「失徳の君」になり、国民の支持を失い反乱が起きる。古くは孟子(もうし)もそうした君主は放伐(ほうばつ、追放あるいは討伐)してもよいと言った。このことは、逆に言えば、「有徳の君」であれば必ず忠節を尽くさなければならない、ということになる。
ちなみにもう1つ重要な指摘をしておけば、孔子より数えれば二千数百年、朱子から数えても千年近く絶対的名道徳規範として存在した「孝」より「忠」を、中国人民に優先させた権力者が中国歴史上ただ1人いる。それは毛沢東であり、紅衛兵という存在がそれを可能にした。詳しくは『逆説の世界史 第1巻 古代エジプト中華帝国の興廃』をご覧いただきたいが、そのために毛沢東は反対者を徹底的に粛清せねばならなかった。
ソビエトの独裁者スターリンがそうであったように、歴史上もっとも同胞を殺したのは毛沢東である。スターリン銅像ソビエト連邦の崩壊とともに破壊されたが、毛沢東の肖像や銅像は今もあらゆるところに飾られている。それどころか、国家を象徴する紙幣の肖像も毛沢東である。それは中国共産党政権下において、まさに日本における天皇のように本当の意味での絶対者になったのは毛沢東しかいないからだ。しかし、日本の天皇には長い伝統があるが中国には無い。だから毛沢東はそれを一代で作ろうとし文化大革命という「反対者皆殺し」という強硬策の成果で、「瞬間的」に一度は成功したのだが永続させることには失敗した。それを曲がりなりにもやろうとしているのが北朝鮮の金一族であり、さらには習近平がそれを狙っている。幸いにも日本はそんなことのために同胞を大虐殺する必要はない。日本という国がいかに恵まれているか、おわかりだろうか。逆に言えば、孫文がいかに苦労したか、わかっていただけただろうか。