宇宙マイクロ波背景放射の偏光観測て゛探る宇宙のインフレーション 【オンライン特別公開 #10】
動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=G_OPiisjbHc
COBE(宇宙背景放射探査機)
ウィキペディア(Wikipedia) より
宇宙背景放射探査機(Cosmic Background Explorer, COBE、コービー)は、宇宙マイクロ波背景放射 (CMB) の観測を目的として打ち上げられた初の人工衛星である。
●CMB に含まれる非等方性
DMR はデュワーを冷却するヘリウムの供給に関係なく観測を行える唯一の機器だったため、4年間にわたって宇宙背景放射の非等方性のマッピング観測を行うことができた。
この観測結果から様々な周波数での銀河系由来の放射と地球の運動による双極子成分を引き算することによって、全天の CMB マップを描き出すことができた。その結果得られた宇宙マイクロ波背景放射のゆらぎは極めてわずかなもので、背景放射の平均温度である 2.73 K の 1/100,000 というものであった。宇宙マイクロ波背景放射はビッグバンの名残であり、そのゆらぎは初期宇宙に存在した密度差の痕跡である。この密度のさざ波が、今日の宇宙で観測される銀河団や広大なボイドの元となる構造形成を引き起こしたと考えられている。
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第5章 太陽からのメッセージ より
基本の元素:水素とヘリウム
宇宙初期の物語は、空間の拡大、時間の経過、または、温度の低下を用いて語っていくことができる。即ち、定規、時計、そして温度計である。私たちの宇宙では、これら3つの量は同じ物語を語ってくれる。空間は時間の経過に応じて広がっていくし、それにつれて温度も下がっていく。これら3つのうちどれか1つだけ用いればよいのだが、宇宙論者はよく温度を好んで使う。
3Kの光子、2Kのニュートリノ
1950年代の初めに、ガモフと2人の若い協力者、ラルフ・アルファーとロバート・ハーマンの3人は、熱平衡状態の中性子と放射に充ちた非常に熱い初期宇宙のモデルについて考察した。中性子は直ちに、陽子、電子、それにニュートリノへと崩壊する。宇宙が冷えるにつれて、生成した陽子と崩壊しなかった中性子とは、結合して核を作り、最終的には、電子が核と結合して原子を作った。
今では、このシナリオは正しくないことがわかっている。宇宙は同数の陽子と中性子で始まるのであって、中性子だけからではない。電子とニュートリノも、輻射と同じように初めから存在したのである。それでも、アルファー、ガモフ、ハーマンの3人の研究は、宇宙が初期に爆発し、その後膨張しながら冷えていくという説が、どんな観測可能な帰結を与えるかを探る、最初の試みなのであった。”ビッグバン”という名前は、こうした初期の試みを茶化すために、天文学者のフレッド・ホイルにより考えだされたのであった。皮肉なことに、この名は今でも使われている。
彼ら3人は、初期宇宙からの放射が今でも見えるかどうか考察したが、このビッグバンの遺物が、1950年代に探されることはなかった。それは、予測があまりにも不確かであり、また初期の宇宙という概念があまりに現実離れしており、そして実験に必要な技術があまっりに未熟だったからだ。1960年代には技術の問題は解決されていたが、初期宇宙はまだ手のとどかぬものと見られていた。
初期宇宙の生き残りの放射、もっと正確には、原子が生成した時に置き去りにされた放射が、1964年に偶然発見されたのだった。ベル研究所の若い技術者、アルノー・ペンジーアスとロバート・ウィルソンは、銀河系の中心方向から到来する電波ノイズの原因を突きとめようとしていた。彼らは、銀河の中心方向から90度離れた静かな宇宙空間にアンテナを向けノイズのない状態で装置を調整しようとした。ところが、弱いレベルの信号が現れ、どこへアンテナを向けても消えなかった。
この放射は、地球、太陽、また遠くの星々から到来するものではなかった。時間とともに変わることもなかったし、方向を変えても変わらなかった。放射がどんなものであったとしても、その起源は空自体にあるように思われた。この信号は電波雑音で、較正により生じるのかもしれないと考えて、ペンジーアスとウィルソンはあらゆることを調べてみた。例えば、検出機を分解してあらためて組み立てたり、アンテナについた鳥の糞を掃除したりしたのである。だが、そうしたところで、この雑音に変化はなかった。結局、彼らはこの雑音は起源不明の信号だとして片づけてしまった。
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この信号の均一性と特定の放射源が見つからないという事実は、これが宇宙起源であることを強く示唆していた。天空が一様に3Kの等価温度をもっているように見えた。だが、空虚な天空が熱平衡にあると考えても、何の意味もなかった。宇宙空間に置いた温度計が3Kを示すことはないはずだ。幸いなことに、この謎に対する解答は、すぐ目の前にあった。ジェームズ・ピーブルスという名のプリンストン大学の若き理論宇宙物理学者が、宇宙の初期に存在した熱平衡の生き残りとして、どんな種類の均一な放射が夜空に見えるだろうかを考え続けていたのだった。
放射強度対周波数のプロットに見られる最も面白い特徴の1つは、マクスウェルが提案した熱平衡にある分子における数密度対エネルギーのプロットと、驚くほどよく似ていることである。これは偶然ではない。アインシュタインが最初に示し、本書の6章で論じるように、放射は光子という「量子」、つまりエネルギーの小塊からなるものと考えられるのである。光子のエネルギーは放射の周波数に比例し、放射の強度は光子の数に依存する。
このように見ると、強度対周波数の関係は、光子数対光子エネルギーの関係に大変よく似ている。そして当然、熱平衡にある放射は、温度で決まるある値のところに最大値をもつことになるのである。
放射が熱平衡状態にあるためには、光子は周囲と相互作用する必要がある。光子は電荷に影響を受けやすく、負電荷の電子や正電荷の陽子によりたやすく散乱されるが、これらの粒子はともに、初期宇宙の濃密な3000Kの環境にも存在していた。電気的に中性な光子はお互いに直接散乱し合いはしないのだが、初期の光子は、電子や陽子による散乱によって絶えず運動を変えながら熱平衡を保ち、電子や陽子と共通の温度を維持した。しかし、一旦水素原子が形成されると、事情が変わった。つまり、電子と陽子が結合すると電気的に中性になるので、光子からはまったく見えないなる。原子が形成されると、光子は周囲と相互作用をしなくなるのだ。
ペンジーアスとウィルソンが検出した光子や、今日私たちが見ている光子は、過去150億年にわたってまったく邪魔されずに運動してきた。しかし光子は、宇宙の膨張によって大きく変化した。宇宙空間が広がるということは、任意の2点間の距離が大きくなることを意味する。波長の拡大率は、大雑把に言って1000倍である。つまり、原子が形成された時に熱平衡にあった光子の波長が、150億年の間になったということだ。
重要なのは、光子すべてが同じように変わっていくので、分布上の互いの関係は不変だということである。
ウィーンの法則には、もう1つの面白い特徴がある。それは、波長が1000倍に増加して周波数が1000分の1に小さくなっても、温度を1000分の1にするだけで同じ曲線が得られるという特徴である。強度が最大となる周波数は温度に比例することからピーブルスは、最大値を1000倍だけ動かせば、温度を1000倍した時の曲線が得られるということを示した。ペンジーアスとウィルソンが観測した光子を専門的に正しく表現すると、「3000Kの熱分布由来の光子の波長が、1000倍に引き伸ばされたもの」ということになる。これを簡単に表現する言葉が、「3K光子」である。
ペンジーアスとウィルソンの測定は、強度対周波数の曲線状の一点についてだけのもので、直感に基づく理論の正しさを示唆したにすぎなかった。この論争に終止符が打たれるのは、その後25年かかった。
25年後、全周波数での測定によって完全な熱平衡曲線――1000倍に引き伸ばされたもの――が得られた。この四半世紀には矛盾した結果が次々に洗荒れ、理論に疑問が発せられ、代わりの説明が見出された。高周波の部分は地球の大気に吸収されるので、普通の望遠鏡には届かない。この難点を回避するために、記録装置を気球に搭載して飛ばしたり、アンテナを山頂に設置したりした。だが、それでも十分でなかった。全周波数で観測できるようになるまで、この問題は解決されないことが明らかとなっていった。
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COBEは、宇宙のある一方向に検出器を固定して、2.735Kの放射曲線を描き出した。COBE搭載のもう1つの検出器は、天空上のさまざまな方向に向けられるように設計されており、いろいろな方向からの放射についてデータを取った。2つ目の検出器は、放射温度における小さいが統計的に有意な差を探した。例えば、ある方向では2.735K、また別のある方向では2.736Kというふうにである。