じじぃの「科学夜話・ミシシッピ川・堤防が決壊するとき!歴史を変えた自然災害」

Black Slavery & The 1927 Mississippi Flood (HD version)

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=24MTUvXax00

Flooded Greenville, Mississippi, April, 1927


The Mississippi River Great Flood of 1927

The Mississippi River “Great Flood of 1927” inundated large areas in Mississippi, Arkansas, and Louisiana.
However, it was in Mississippi where the embankments overflowed, drowning hundreds, perhaps a thousand people, and became one of the largest natural disasters in US history in terms of loss of life.
https://www.blackpast.org/african-american-history/mississippi-river-great-flood-1927/

『歴史を変えた自然災害』

ルーシー・ジョーンズ/著、大槻敦子/訳 原書房 2021年発行

第6章 堤防が決壊するとき――アメリカ、ミシシッピ州、1927年 より

ミシシッピ川アメリカ最大の河川である。実際あまりに大きいため、それ以上大げさな表現しようがない。流域面積は世界で3番目に広く、アメリカ32州に降る雨と雪を集めながら、アメリカの40パーセントの地域とカナダの2州に広がっている。本流と支流はメキシコ湾に注ぎ込む。「支流」のミズーリ州のほうが本流よりだいぶ長いが、イギリス領とスペイン領の境界を示すのに都合がよかったため、東よりの部分にはミシシッピの名がつけられた。
ヨーロッパの領土拡張主義者が命名するよりずっと昔から、ミシシッピ川はそこで暮らしていた人々にとっての食料庫であり、主要な交通路でもあった。川からは魚介類がとれ、川岸沿いで交易が盛んだった。あとからやってきたヨーロッパ人は、川の輸送能力により大きな関心を抱いた。フランスの探検家ド・ラ・サールが川の権利を主張したとき、彼はフランスのメキシコ湾入植地とカナダを結べるのではないあk考えていた。けれども、フランスの主張は根拠に乏しく、やがて「ルイジアナ購入」によって川の支配は完全にアメリカの手に渡った。
数千キロを流れゆくその大量の水は、いつの時代にも、近くで暮らす人々の心の拠りどころであると同時に頭痛の種でもあった。川はアメリカ中部の農業と急速な発展を支える経済の原動力となってきた。最初の産業だった材木と毛皮は船で川を下ってニューオーリンズへ、さらにそこからヨーロッパへと運ばれた。広大で豊かな大草原の農場は、作物を各地の都市へ運ぶ効率的な交通手段がなければ、アメリカ全土、さらには国外へと食料を供給することはできなかった。川の水力は初期の製造工場を動かした。ミシシッピ川は地域の文化と暮らしの目に見える象徴となり、マーク・トウェインからテネシー・ウィリアムズカンザス・ジョー・マッコイ&メンフィス・ミリーからスティーブン・フォスターやアラン・トゥーサンまで、その流れは本や歌にも描かれた。
    ・
雨は1926年8月に降り始めた。激しい雨はインディアナ州からカンザス州、イリノイ州ネブラスカ州まで、アメリカ北中西部各地で収穫に被害をもたらした。洪水が街を襲い、人々を溺れさせ、パイプラインを破壊し、作物を水浸しにした。例年ならば比較的乾燥している10月に入っても雨は降り続き、イリノイ州とアイオア州ではそれまでで最高の水位を記録した。降水は冬になっても続いた。アメリカ気象局は、ミシシッピ川下流に流れ込む3大河川のオハイオ州ミズーリ州ミシシッピ川において、すべての水位計でかつてない水位計でかつてない水位で記録されていると発表した。1926年のクリスマス、異なる川沿いにあるテネシー州のふたつの都市、チャタヌーガとナッシュビルで洪水が発生した。雨の勢いは衰えなかった。5つの異なる嵐がミシシッピ川下流一帯を襲った。それぞれがそれまでの10年いかなる嵐よりも大きかった。1月、ペンシルベニア州ピッツバーグオハイオ州シンシナティが洪水に見舞われた。2月、今度はアーカンソー州でホワイト川とリトルレッド川の堤防が決壊して洪水が発生し、5000人が家を追われた。3月の嵐では竜巻が発生してミシシッピ州で45人が死亡した。
    ・
1927年の洪水で、自然災害そのものの影響よりもさらにひどい、最悪の事態が明らかになったのはそこだった。ミシシッピ氾濫原の肥沃な土地は旧南部の綿花プランテーション(大規模農園)の中心地で、1920年代になっても監督を除けば労働力は依然としてすべてアフリカ系アメリカ人であり、その労働環境は奴隷制度の時代とたいして変わっていなかった。その冬、ルイジアナ州で数人の農場主が銃を突きつけてアフリカ系アメリカ人の家族を誘拐し、ミシシッピに連れていって20ドルで売りつけた。被害者は武装した警備員に監視されながら、何週間ものあいだ無報酬で働かされた。白人の農場主はやがて起訴されたが、彼らの行動がもってのほかであることは言わずともわかる。
    ・
自然災害は人間のシステムを混乱させる。人間のシステムは、下水道や電気網、道路や橋、ダムや堤防など物理的に機能すると同時に、家族や友人、キリスト教会やユダヤ教会堂、市議会や立法府など社会的な役目も果たしている。そうしたシステムにはみな弱点があり、極端な自然現象はそれらに圧力をかける。崩壊はシステムのいちばん弱い部分で起こる。ミシシッピ川の場合は堤防が大きく壊れたが、もしかするとそれより重大な意味を持っていたのは、社会の崩壊だったのかもしれない。ミシシッピ川の氾濫はアメリカの社会秩序の根本に関わる弱点を暴き出した。自分たちとは異なる人々、とりわけアフリカ系アメリカ人を見下し、人間ではないかのように扱って、不当に迫害する傾向をあらわにしたのである。災害に強い地域社会を作るための最適な投資は、非常事態が起きる前に、そうした弱点を明らかにして修復することである。そのような手法をとれば、災害時にも、またそうでないときにもすべての人々の生活が改善される。
関東大震災直後の日本人による朝鮮人襲撃が示しているように、1927年のミシシッピ川の洪水に見られたような残酷で不均衡な対応はアメリカ人特有の問題ではない。人類の進化史は、自分という概念が部族の一員であるという認識から国家へと発展し、さらにより広い世界へと徐々に広がっていくことだと考えられよう。こうした災害の例や今日のニュースを見ると、人類がまだ道半ばであることがすぐにわかる。