じじぃの「太平洋ごみベルト・海洋プラスチックは永遠に!失敗の世界史」

Ocean plastic pollution


   

This Year’s Dead Zone In The Gulf Could Be One Of The Largest On Record

JUN 18, 2019 Texas Public Radio
This may be a difficult summer for Texas marine life. Experts predict a near-record dead zone, which is caused by heavy rainfall and agricultural activity along the Mississippi River that trickles down to Texas’ upper Gulf Coast.
https://www.tpr.org/post/year-s-dead-zone-gulf-could-be-one-largest-record

『とてつもない失敗の世界史』

トム・フィリップス/著、禰冝田亜希/訳 河出書房新社 2019年発行

やみくもに環境を変化させたつけ より

1800年代以来、オハイオ州の工場は、なにもかもカヤホガ川に捨てていた。工場から出るものは副産物でも生産物でも明るく楽しく垂れ流し、悪ぶれることもなかった。
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シカゴ川は19世紀の何度もの大火災を経て、地元民はこぞって川べりに繰り出し、独立記念日の打ち上げ花火か何かのように見物したものだ。だから、アメリカで何度も炎上した川はカヤホガ川だけではないが、それでも、「1番しつこく燃えた川」賞の北米部門を受賞することは間違いない。
だが、燃える川が話題に上がったことには意義があった。これが国の取り組みに拍車をかけた。まだ初期の段階にあった環境保護活動を、レイチェル・カーソンの1962年の『沈黙の春』のような本が力づけ、1つにまとまり始めた。地球や環境を考える地球の日アースデイはこの翌年に始まった。議会は問題に対処せざるをえなくなり、1972年には水質浄化法を可決させた。次第にアメリカの水路の状態は、めったに炎上しないほどまでに改善した。本書でハッピーエンドになった例は珍しいが、人々は実際に環境を良くするために必要なことをしたのだ。それに、まさかトランプ政権が水質浄化の規制を取っ払おうとするわけがないだろう。産業界がまだ川を汚し足りていないとご不満ならともかく……と思ったら、トランプ政権は本当にそうしたようである。
海の爆発炎上は、これよりもっと心を揺さぶられる例かもしれない。人類は自分達をとりまく自然界に目をつけては、かならずやだめにしてしまう才能がある。それだけではない。世界に目を向けると、私たちが行く先々はどこでも、片っぱしから環境を台なしにしてしまう例に満ちている。メキシコ湾に広大なデッドゾーンがあるのをご存知だろうか。それはほぼ壊滅状態の巨大な雲状の「死の海域」で、アメリカ南部の農場から流れ出る肥料のせいで、そこから藻が大発生して広がっている。生い茂った藻が水中の酸素を奪いつくし、藻でない生物の息の根を止めてしまうのだ。人類よ、でかしたぞ!
これに関連するが、私たちは後先考えずに何でも捨てるのがいかにも好きで、捨てたものはいつかどこかにいかなければならないことなどおかまいなしである。この結果、世界中で不要になった電子廃棄物が集積する巨大なごみの荒野が生まれた。中国の広東省にある貴嶼鎮は悪名高い電子部品の墓場である。50平方キロある敷地に時代遅れになったノートパソコンや昨年のスマートフォンが山積みになっている。公的には貴嶼鎮はリサイクル産業の地で、リサイクルは良い心がけだ! ところがつい最近までそこは濃い黒煙が立ち込め、燃焼するプラスチックの臭気があたり一面に漂う地上の地獄でもあった。廃棄物を塩酸で洗うと、有毒な重金属が土壌にも人体にも染み込む。だが中国政府は過去数年でこれまで以上の健康と安全の基準を義務づけ、厳しく取り締まった。その後、「空気はとても良くなった」と住民のひとりが香港の日刊英字新聞「サウスチャイナ・モーニング・ポスト(南華早報)」に語った。「金属を焼却する臭いがするのは、かなり近寄ったときだけですから」

おそらく人類がしでかしたなかで、最も印象深いのは「太平洋ごみベルト」である。

大海原の只中で渦を巻く広大なごみ溜めの眺めは圧巻で、思わず目頭がじんと熱くなるほどだ。こうしたものはすべて、私たちが何の気なしに捨てたガラクタである。その大きさはテキサス州ほど[余裕で日本の倍以上]もあり、産業廃棄物が北太平洋旋回の海流に乗って、海の上を際限なくまわっている。おおかた極小のプラスチックの粒と、捨てられた漁具の微細なかけらである。そうしたものは肉眼では見えないが、海の生物にとっては深刻な現実である。
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ポリネシア人は、私たちよりまぬけだったわけでもなかった。野蛮でもなかったし、ましてや状況に気づいていなかったわけでもなかった。もしあなたが、いつ何どき環境災害に見舞われても不思議ではない社会がみすみす問題をやりすごし、そもそもの問題の元となることをし続けるのはどうかしていると思われるなら……あ、ちょっとあなた、少しまわりを見ていただきたい。そして、エアコンの設定温度を少しだけゆるめ、リサイクルに励もうではないか。
ジャレド・ダイアモンドは『文明崩壊――滅亡と存在の命運を分けるもの』でこう問いかけた。
「最後のヤシの木を切り倒したイースター島民は、その木を切りながら何と言ったのだろう?」これはなかなか手ごわい質問で、答えを導き出すのは難しい。どうせポリネシア版の「あとは野となれ山となれ」だったのだろう。
だがおそらく、もっとも手ごわい問いはこうかもしれない。最後から2番目、3番目、4番目の木を切り倒したイースター島民はいったい何を思っていたのだろう? 人類の歴史にならえば、かなりのいい線で、こんなことを思っていただろうと察しがつく。

「知ったこっちゃない」だ。