じじぃの「科学・地球_441_アルツハイマー征服・ある元科学者のつぶやき」

Vaccine Scientist Rae Lyn Burke on Living with Alzheimer's

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=6jjTZgueXWw

Rae Lyn Burke


Buena Vista Park is San Francisco's oldest park


Buena Vista Park in San Francisco

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Buena Vista Park is San Francisco's oldest park and easily the city's most famous for its inspiring nature and iconic views of the city.
The grassy slopes of Buena Vista Park have been a place of activity, natural recreation, and relaxation since it was established in 1867.
https://jp.hotels.com/go/usa/buena-vista-park-san-francisco

アルツハイマー征服』

下山進/著 角川書店 2021年発行

第22章 私にお手伝いできることはありませんか より

  科学者として自分は他の人の役に立ちたい。そう言ってAN1792(アルツハイマー病ワクチン)の開発にも参加したラエ・リン・バーグはいなくなってしまったのか? 記憶はなくなっても人格は残る。

人間の人格は、記憶によって成り立っているという人がいる。その人がその人らしいと感じるのは、その人の持つ記憶の集積によるものだ。だが、それは本当だろうか?
ラエ・リン・バークは、できることが少しずつなくなり、かつて自分がAN1792の開発に参加したことも、その第2世代の薬であるバピネツマブの治験に参加したことも、わからなくなってしまった。
それでも、なお、ラエ・リンはラエ・リンなのだと、UCSF(カリフォルニア大学サンフランシスコ校)時代からの友人であるリサ・マッコンローグは感じていた。
ラエ・リンは、科学によって人を助けたいという情熱に突き動かされていた。その情熱はいまもラエ・リンの口癖に残っている。
「何かお手伝いできることはありませんか」
別れの時が近づいていた。
ラエ・リンとこうしてサンフランシスコの街を散歩できるのももう、あと何回だろうか。
2017年のハロウィーン。リサは、ラエ・リンをつれてサンフランシスコの街を歩いていた。
友人の家で大きなパーティーがあり、そこに行く前にラエ・リンと仮装のための衣装を買おうとしたのだった。ハイト・ストリートを歩いた。ハイト・ストリートはブエナ・ビスタ・パークからくだる長い坂道だ。
本屋があったので、入ってみた。ラエ・リンは、本を眺めて不思議そうに手にとってみている。こうして2人はよく本屋によって、科学の本を手にとり、おしゃべりをしたものだった。
その本屋を出て少し歩くとお目当ての店「Decades of Fashion」が見えてきた。この店には、1880年代から1980年までのファッションが、時代別に売られている。
2人は吸い寄せられるように、1980年代のコーナーにいた。
1980年代、われらが時代よ。
UCSFのとびきり優秀な学生たちに混じって、遺伝子工学の最前線に自分たちはいた。2人は若く美しく、不可能なことはないと信じていた。
ラエ・リンはきらきらと光沢で光るブルーのワンピースを手にとった。試着室にリサが案内する。ゆっくりとラエ・リンは歩く。店員のせかせかした歩き方にはついていけない。もう自分で服を脱ぐことも着ることもできなくなってしまったが、ラエ・リンにそのドレスを着せた時に、リサは思ったのだった。
この美しいドレスに包まれて微笑むこの女性はまぎれもなく、ラエ・リンだ。
そして2018年の夏がやってきた。
ゴールデン・ゲート・パークに一緒に行ったのが、リサにとって最後のラエ・リン・バーグとの外のデートになった。この日は、ケア・テーカー(訪問介護)と一緒に行ったが、ラエ・リンの具合はよくなかった。公園で開かれる野外コンサートだった。科学者仲間と出会った。リサは、ラエ・リンを紹介した。しかし、もうラエ・リンはかつてのように自分をとりつくろうこともできなかった。

施設に入る

家では睡眠が細切れになり、夜中にしょっちゅうおきては、自分の寝場所を探すようになった。夫のレジス・ケリーは週7日、24時間体制で、ケア・テーカーを雇わなければならなくなった。その費用はばかにならなかった。
もう夫とは話をすることはなくなった。
夜が大変だった。
ワインを飲んだりすると、ラエ・リンは深夜に起き出して「ここは自分のベッドではない」と家中を自分のベッドをもとめてさまよい歩くのだった。
日中に大学での勤務のあるレジス・ケリーにとっては夜眠れないのは辛かった。休日も、一言も発しない妻と2時間も、3時間も向かい合っていなくてはならない。
妻を施設にいれるしかないとレジス・ケリーは決断した。
しかし、いい施設を探そうとすれば、年間12万ドルは必要だ。そうでなければ、公共の施設を利用することになるが、そうした施設は、患者のことを十分にはみてくれない。
レジス・ケリーは家を売る。売って妻の施設の費用のたしにした。現在も、UCSFの仕事はやめられない。
    ・
2018年12月に、リサ・マッコンローグは夫と一緒に施設に、ラエ・リン・バーグを訪ねている。
ラエ・リンとは、3人でもよく出かけた。そもそも、レジス・ケリーとラエ・リン・バーグは自分たちの結婚式の時に知り合ったのだった。しかし、施設で声をかけても、自分たちが誰かはわかっていないようだ。
ドライブに出た。ラエ・リンはアイスクリームが好きだった。アイスクリームパーラーによった。美味しそうにたべていた。
それがリサがラエ・リンに会った最後だ。リサの家からウインドチムまでは車で往復5時間かかる。あとはレジスにまかせることにした。
「何かお手伝いできることはありませんか」
その初老の女性は、施設で会うひとごとにたずねる。
科学の力で人を助けたいと願ったラエ・リン・バーグ、AN1792の力で認知症の人々を救いたいと願った彼女は、確かにまだそこに存在する。