じじぃの「科学・地球_435_アルツハイマー征服・ワクチンAN1792」

Amyloid beta protein dynamics

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=O-OPrYgQD0I

Proposed targets of anti-amyloid-β (Aβ) drugs used in active and...


Proposed targets of anti-amyloid-β (Aβ) drugs used in active and...

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Examples include AN1792 (the first ever AD vaccine) and Bapineuzumab, both clinical trials which were halted due to adverse effects (such as microhaemorrhages, meningoencephalitis and increased vascular Aβ deposition), or not achieving the desired clinical targets . Currently, five passive immunization clinical trials are ongoing : ...
https://www.researchgate.net/figure/Proposed-targets-of-anti-amyloid-b-Ab-drugs-used-in-active-and-passive-immunization_fig1_347848120

ワクチン・アジュバント

医学用語解説 より
ワクチンの免疫原性を高める目的で抗原とともに投与される物質または因子の総称。
ワクチンによる獲得免疫の活性化には、抗原の曝露のみでは不十分であり、局所におけるサイトカインバランスの調整や抗原提示細胞を成熟化する自然免疫が同時に活性化されることが重要であると考えられている。
アジュバントは、抗原の免疫系への送達機能や自然免疫応答を活性化する機能を有し、ワクチンとともに投与することで獲得免疫応答を活性化する。抗原の送達機能を持つアジュバントには、アルミニウム塩、水-油系エマルジョン、リポソームなどがある。また、微生物の構成成分に由来する物質は自然免疫を誘導することがよく知られており、アジュバントとして開発応用されている。

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アルツハイマー征服』

下山進/著 角川書店 2021年発行

第10章 AN1792 より

  根本治療薬の期待を背負って「AN1792」の治験が始まる。フェーズ1を無事通過したあと米国と欧州で実施されたフェーズ2の治験で、だが、急性髄膜脳炎の副作用がでる。

デール・シェンクらエランのチームが苦労したのは、このアジュバントをどう作るか誰もわからなかったことだ。
マウスの場合はまだいい。しかし、人間にAβ42を投与する際のアジュバントは、安全にしかも確実に免疫反応をおこし、抗体をつくりだせるものでなくてはならない。それはアーチ(芸術)といってもいいほどの難しさだった。
アセナ・ニューロサイエンス時代からの研究者で、ワクチンの専門家は誰一人としていなかった。
デール・シェンクやピーター・スーベルトが頭をかかえているのを見て、リサ・マッコンローグはある人物のことを思い出していた。
「私にこころあたりがある」

科学の殿堂UCSF

UCSFと称されるカリフォルニア大学サンフランシスコ校は、州立大学であるが、医学の分野で名高い。ベイエリアと呼ばれるサンフランシスコが、80年代、90年代、医療ベンチャーの集積地となっていった背景には、カリフォルニア大学サンフランシスコ校という豊かな後背地があった。
リサ・マッコンローグは、博士号を分子生物学に関する研究でとったあと、このUCSFで、遺伝子工学について研究をしていた。
1984年のことである。
しかし、リサは象牙の塔での研究に限界を感じていた。あまりにもスピードが遅すぎる。ポストの空きがなければ、次の段階に進んでいけない。
リサにとって、ベイエリアで生まれ始めた医療系のベンチャー企業は魅力的な職場に思えた。しかし、当時のUCSFでは、アカデミアからでて、産業科学者になるものは、”科学者として認めない”という風潮がまだまだあった。
悩んだリサは、ラエ・リン・バーグに連絡をとる。この涼やかな眼をした女性は、UCSFでポスドク期を共に過ごした仲だった。リサは学生時代、ひっこみじあんだったために、ラエ・リンとはほとんど話したことがなかったが、医療ベンチャーですでに働いていた彼女に電話をし、ランチをとることになる。先にカイロンという医療ベンチャーで働いていた彼女に会って話を聞いたのだ。
カイロンはUCSFをバイオテクノロジーで有名にしたビル・ラターが1981年に設立した会社だった。カイロンは、B型肝炎のワクチンの開発に成功することになるが、飛ぶ鳥を落とす勢いがあった。
「今、医療ベンチャーにはフロンティアがある」
ラエ・リンはそう言って大学ではない、新しい分野で働いてみることをリサ・マッコンローグに勧めた。
このことがきっかけになって、リサは大学を辞め、セタスという別の医療ベンチャーで研究してのキャリアをスタートさせた。セタスで5年勤めたあと、アセナ・ニューロサイエンスに草創期のメンバーとして参加する。面接したのは、デール・シェンクである。
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デール・シェンクとピーター・スーベルトに紹介するとただちに面接が行われた。ラエ・リンはエラン社とコンサルティング契約を結び、デール・シェンクらのワクチンを手伝うことになる。
ラエ・リンの参加で、プロジェクトは一気に進んだ。アジュバントには、QS-21というチリ原産の石鹸樹脂から抽出精製したものが選ばれる。
このようにして、最初のアルツハイマー病のワクチンAN1792は誕生したのである。
ANはシェンクらの原点アセナ・ニューロサイエンスからとった。
エラン社は治験を申請し、米国と英国の100人の患者に、アミロイドβを注射する臨床第一相が開始される。

フェーズ2

ロジャー・ニッチはドイツのハイデルベルクの大学を卒業したあと、ハーバード・メディカルスクールで神経学を学び、MITでポスドク期を過ごしたあと、98年からスイスのチューリヒ大学で分子精神医学の教授になっていた、専門はアルツハイマー病だ。
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クリストファー・ホックは医者だ。すぐに議論は、チューリヒ大学のこの病院で、このワクチンの治験を行うことができないか、という話になった。ニッチは、米国にいるデール・シェンクに連絡をし、エラン社が始めようとしているこのワクチンの治験に参加できないかと打診した。大学の付属病院は治験のサイトのひとつになることができる。
臨床第一相(フェーズ1)を通過したエラン社は、治験の範囲を欧州まで広げるフェーズ2を始めようとしていた。
ニッチとホックはモナコモンテネグロで開かれるエラン社が行う治験のための会議に参加することになった。モナコの隣国のフランスは、AN1792のフェーズ2治験の欧州での拠点となっていた。
2001年10月から始まったAN1792のフェーズ2治験に参加した患者の総数は、375名。米国と欧州で、軽症から中程度のアルツハイマー病と診断された患者が、15ヵ月にわたり、AN1792とプラセボの投与をうけることになっていた。375名のうちAN1792の投与をうけるのが300人、生理食塩水つまりプラセボを投与されるものが75人。投与の時期は、1、3、6、9、12の各月に行われる。
このワクチンはアルツハイマー病の病気の進行を逆にできるかもしれない。
ジャーナリズムやウォール・ストリートも固唾を飲んでこの治験の進行を見守った。エラン社の株価は、治験の始まった2001年10月には、40ドルにまで達する。
ニッチとホックの勤めるチューリヒ大学の付属病院では、30名の患者がこの治験に参加することになる。
最初のAN1792がその30人の患者の腕に筋肉注射された。

追跡調査

チューリヒ大学のロジャー・ニッチとクリストファー・ホックは、急性髄膜脳炎ステロイド投与などでおさえ込んだあと、AN1792を投与した30人の患者の追跡調査することを決めた。
ニッチ、失敗した治験こそが多くのことを教えてくれるのだと、いつも考えていた。AN1792の治験が中止されたことは残念だ。しかし、ここであきらめるのではなくこの患者のその後の推移を追いかけてみよう。
30人の患者は、2度AN1792の投与をうけていた。その後治験は中止されたが、1年にわたって経過が観察されたのである。
まず、血漿を定期的によって、AN1792によってたしかにAβ42に対する抗体ができたかを各患者について調べた。
30人のうち20人が抗体を生じていたが、面白いことに、抗体を生じなかった残りの10人の中に、急性髄膜脳炎を発症した患者がいたのである。
これは何を意味するのだろうか? つまりワクチンによって生じた抗体が原因で農園が起こったのではない、ということだ。
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すでもこのとき、シェンクやピーター・スーベルト、どラ・ゲームズらのチームは、「第2世代」の薬について開発を急ピッチに進めていた。
ワクチンが副作用をおこすのであれば、抗体そのものを投与すればいい。シェンクらはアルツハイマー病のトランスジェニック・マウスPDAPPマウス、つまり「聖杯」を持っていた、実はAN1792の開発と並行し、この「聖杯」を利用して、シェンクらは30~40種類もの抗体を作り出していた。シェンクもスーベルトももともと「モノクロナール抗体」の専門家だから、ある物質に対する抗体をつくることにかけては専門家だった。
特に有力な抗体として「3D6」と「266」と呼ばれる抗体があった。
「3D6」という抗体は、Aβのアミノ末端部分を認識する抗体で、結果的に凝集したアミロイドによく結合した。「266」という抗体は、Aβの真ん中あたりを認識する抗体だった。
マウスから作られたこれらの抗体をヒトにも使えるように「ヒト化」する。
ワクチン療法から始まった根本治療薬は、抗体という「第2世代」に移行するのだ。
「266」は、アセナ・ニューロサイエンスがエランに買収される際に、イーライリリーにその権利を売ることになる。シェンクらは自らがもっとも有力と考える「3D6」を持ってエランに買収されたのだった。
AN1792の失敗のあと、われわれはこの「3D6」をヒト化した抗体薬で勝負をかける。
その薬はバピネツマブ(bapineuzumab)と名付けられる。
最初のバピ(bap)はBeta-Amyloid Peptideからとり、最後のマブ(mab)は「Monoclonal Anti Body」つまりポリクローナル抗体の略である。

AN1792に参加した1人の患者が治験参加後、肺炎をおこして死亡した。
剖検を行い脳を見ると、アルツハイマー病の症状のひとつであるアミロイド班はきれいに消失しつつあった、のである。